僕は君と逢うために生まれてきたんだ [ 2/2 ]
そっと開いた引き戸から入って来たのは名ちゃんによく似た女性。
「はじめまして、黄瀬涼太です」
「確かに、直接お会いするのは初めてね」
「はい」
この声は会うと決まった時にかかってきた電話の声だ。携帯に知らない番号からの着信があり、それがこの人、名ちゃんのお母さんからの電話だった。
『普段は頼みごとなんてしないあの子が何度ダメだと言っても聞かなくて、先生と話し合ってしぶしぶ許可を出したけど、多分あなたに迷惑をかけることになるわ』
“それでもいいのか”と聞かれたが“もちろん”と即答した。
『あの子には思い出なんて呼べるものはほとんどないわ。運動会にもましてや学校にも行けず友達と呼べる子もいなくてずっと一人だった。だからあの子に、どうか…どうか楽しかったと言える、生きてて良かったと言える最後の思い出を作ってやって下さい。お願いします…!』
電話の向こうで頭を下げられたような気がした。大人にこんなに丁寧に何かを頼まれたのは初めてで、精一杯この人の期待に答えよう、そう思えた。
「あの、オレ…すいません」
「謝らないで、こうなるのはわかってたんだから。むしろお礼を言いたいくらいよ。お医者さまが仰ってたわ、混乱せずに落ち着いて状況説明をしてくれて助かったって」
「…いえ」
「本当に今日は…今日まで、ありがとう」
「……は、い」
深々と頭を下げられて、あぁ電話で想像したのと同じだ、とのんきなことを考えた。考えなければ、涙がこぼれそうで、顔が歪んでしまいそうで。
“最後の思い出”
今日で、手紙のやりとりもおしまい。最後とはそういうことだ。いずれ手も動かなくなって返事を出せなくなり傷つくというのを見越してのおばさんの判断。会えるのもこれっきり。名ちゃんは知らない。もういくら手紙を送ってもオレから返事が来ないことを。
「最後…に、名ちゃんと二人きりでお話させてもらってもいいっスか?」
「でも名はまだ目が覚めてないわよ」
「それでも、いいんです」
その方が良かった。起きてにこにこと話す姿を見たらオレはまたここに来てしまうかもしれない。この病弱な姿のままの方が、諦められる。
おばさんは「ロビーにいるから、帰る時は一言とちょうだいね」と病室を出た。スーッスーッと静かに音が響いて、立ちっぱなしだったオレは椅子を引き寄せて座った。
「今日は楽しかったッス。映画もカフェもショッピングも、オレにはなんてことない日常的なことなのに、一々目を輝かせてて…」
掛布団から出ていた手をとって、両手で包んだ。白くて、細くて、今にも折れてしまいそうだ。
「オレたち“お友達”ッスよね?名ちゃんに一つ友達の条件、教えてあげる。友達は何回も会わないとダメなんスよ?何回も会ってお互いを知ってどんどん仲良くなっていくんスよ!」
返事を待って黙ってみるがもちろん返ってくるはずがない。
おばさんは、これきりの理由を名ちゃんがいずれ弱るからだと言った。それは事実だろうけど、それだけじゃない。きっとオレのためでもあるんだ。これ以上仲良くなると別れが辛くなる。残されるオレの事を考えてくれた。だってそうだろう?手紙が書けなくなるからってのは分かる。でも会うならオレが来さえすれば、死ぬ最後の時まで可能なはずだ。出来ることならそうしてほしいって思うはずだ。…だからこそ最後なんだ。すでにこんな風にまた会いたいと思ってしまってるんだ。これ以上は本当に引き返せなくなる。
「死んだら、絶交ッスよ…いいんスか?唯一の友達がいなくなっても。やっと出来たって喜んでたのに。またひとりぼっちッスね?オレ性格悪いから、ホントに絶交ッスよ?嫌ッスよね?」
ボタボタとオレの滴が名ちゃんの手に落ちた。
「だったら、だったらもう一回オレの事呼んでよ…その時は、黄瀬さんじゃなくて友達らしく涼太って呼ぶんスよ?」
指がピクンと動いたが起きる気配はなくて、浮いた気持ちがスッと現実に引き戻された。
「またね」
濡らした手を指できゅっとぬぐって布団に戻した。ロビーでおばさんに声をかけると何度もありがとうと頭を下げられたが、何も言葉が出なくて、会釈だけして病院を出た。もう、名ちゃんから手紙が来ることはなかった。それが書けなくなったからなのか、書かなかっただけなのかは分からない。
あぁ、どうして“サヨナラ”と言わなかったのだろう。“またね”だなんて、もう会えるはずないのに。
未練がましい思いも、時と共に薄れていく。
オレはキセキの世代と言われる選手になって、全国大会では優勝して、街を歩けばすぐに声をかけられる程有名になった。左耳にはピアスを開けて、高校生になって先輩に蹴り飛ばされながら毎日バスケに明け暮れて。その日も朝練からしごかれたオレは授業前にはヘトヘトで、頬杖をつき、カックンカックンと船を漕いでいた。
「今日は転校生がいるぞー。あまり激しい運動とかは出来んらしいからお前ら気を付けろよ。じゃあ入ってきてくれー」
「は、はい!」
上ずった声が強烈に脳に響いて、目が覚めた。無意識に入ってきた人物を見つめる。ああ、緊張してる姿を見るのは二度目だ。
「あれ…涼太?」
ガタッ、と気付いた時には立ち上がって走っていた。
「僕は君と逢うために生まれてきたんだ」
(そうじゃないかと思ってた、風船が届いた時から)
20121029 玄米