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「なまえ、出掛けるのかい?」
「ええ、黄瀬さんに呼び出されて」
「そう、よろしく伝えてくれ」
「はい、征十郎兄さん」


テンポのいい会話に合わせて、履いたスニーカーの爪先をトントンと床に当てる。振り返って「いってきます」と声をかけると、兄さんは組んでいた腕を片方外してひらひらと振ってくれた。ゆるりと弧を描く唇が優しく「いってらっしゃい」と言葉を紡いで、外は雪が舞うほど寒いのに暖かい気持ちになった。

…そんな訳がない。兄さんが笑うのは、決まって何か企んでいる時。しかも今日は手まで振っての見送り付き。怖い。そこはかとなく。今日は厄日かもしれない。


「すみません、お待たせしました」
「あ!なまえちゃんおはよ!オレめちゃくちゃ待ったんスよー?寒かったから風邪引いたかも」
「では帰りましょう、さようなら」
「うそうそうそうそうそ!!オレばりばり元気だから!」


待ち合わせ場所に着いた途端Uターンを始めた私を前に回り込んで必死に止めようとする黄瀬さん。黄瀬さんはいつもバタバタしている気がする。行動もそうだけれど、感情も起伏が激しい。今日だって、私が声をかけるまでの真顔。私を見た時の満面の笑み。めちゃくちゃ待ったと言ったふくれ顔。そして今の泣きそうな顔。よくもまあここまでコロコロコロコロ表情を変えられるものだなと感心してしまう。私はどちらかと言うと感情を表にだすことはあまりない方なので、何を考えてるか分からないなんて言われることはままある。だから表情筋が柔らかい黄瀬さんには尊敬の念すら抱いて…いや、これは言い過ぎだ。ワースゴーイ百面相か何かですか?くらいの感じ。


「あ、今笑った!?」
「いえ全く。どこに笑う要素があると思ったんですか」
「ない…ッスね」


黄瀬さんは私の笑った顔が見たいらしく「ちょっと笑ってみて?」とよく頼んでくる。「笑いたくなったら笑います」が常套句。先程も述べたが、私は感情が表に出にくい。テレビのバラエティー番組も笑ったことがない。でも心の中では結構腹が捩れる程笑っていたりする。お笑いは大好きだし、好きな芸人さんの番組は調べて録画しまくるぐらい好きだ。それが顔に出ていないだけで。兄さんも悪の化身みたいな邪悪な笑み以外はたいがい無表情だからそういう点では私達兄妹は似ているのかもしれない。


「さて、どこ行こっか?」
「誘ったのに決めてないんですか」
「なまえちゃんの行きたい所に行きたいなと思って!」
「では帰りましょう、さようなら」
「わあああごめんなさいそれだけはやめてぇ!」


結局、黄瀬さんの提案で行き先は海遊館に決定した。クリスマスだというのに館内には人が溢れていて、家に帰ってケーキでも食べてればいいのにと思ったけれど自分達にそっくり返ってくるから、今のはナシだ。


「ちょっとトイレ行ってくるッス。帰っちゃダメッスよ!」
「…はいいえ」
「なんスかそのどっちも兼ね備えた返事!?」「黄瀬さんが戻るまでに気持ちがどう変わるか予測がつきませんので」
「…とにかく!すぐ戻ってくるから、絶対そこから動いちゃダメッスよ!!」


ビシッと私を差して、黄瀬さんは俊足を轟かせ薄暗い館内を駆け抜けた。近くのソファーに腰をおろし何メートルも続いている大きな水槽をぼうっと眺める。魚の群れが一定の方向に向かい規則正しく進む。ある程度行ったらくるりと方向転換して来た道を戻って行った。水槽の中の世界しか見たことがない魚達はどんなことを思って泳いでいるのだろう。狭い?広い?楽しい?つらい?お魚博士でも何でもない私には気持ちなんて分からないけれど、水槽に張り付いて「綺麗…」と呟くような女ではないので、こういう事を考えいる方が些か自分らしいなと内心、自嘲気味に笑った。


「オ、オジョウサン」
「はい…!?」


スッと自分を覆った影に気づいて顔を上げるととんでもなく長身のサングラスをした男が私を見下ろしていた。とんでもなくと言っても、黄瀬さんもかなりあるし、その辺の人より耐性はあると思う。けれどソファーに座っているせいかその人に酷く威圧感を覚えて、珍しくぞわぞわと鳥肌がたった。


「こんな所で一人とは、悲しい奴だ。オ、オレが一緒にまが、ま、回ってやるのだよ」
「え、あの…わっ」


男はサングラスをぐいっと持ち上げ、私の腕を引っ張って立ち上がらせた。…やっぱでかい。黄瀬さんよりあるんじゃないだろうか?特に取り乱すでもなくそんなことを考えていると、男は腕を掴んだまま出口へと歩き始めた。歩幅の違いも気にしないその男に合わせるには小走りしないと転びそうになる。そこで初めて黄瀬さんはいつも私に合わせてくれていたんだと、この謎の急展開の中で思い知った。


「すみません、私あそこで待つよう言われているんです」
「したくてしているわけじゃない。分かってくれ」
「全然分かりません。…それよりあの…もしかしてみ」
「なまえちゃん!?」
「あ、黄瀬さん」
「なまえちゃん何してんスか、もぉー!動かないでって言ったのに!」
「この方が私が可哀想だから一緒に回ってくれるそうで…?」


振り返ったそこにもう男はいなかった。あの巨体をこの短時間で消せるとは、忍者か何かの生き残り?それよりいったい何だったんだ、アレは。だいたい初対面の人に向かって可哀想な奴、とはずいぶんな物言いだな。相当な自信家か。でもかみかみでどもりまくってたし…おかしな人だったな。


「一緒に回るってどういうことっスか!?オレというものがありながら!」
「黄瀬さんは私のものではないです」
「でもなまえちゃんはオレのッスよね?」
「は?なんでだよ」
「あれほどやめてと頼んでもダメだった敬語がなくなるほど嫌なんスか…てかそれナンパッスよナンパ!」


ナンパ?この私に?どこの物好きが私なんかをナンパすると言うのだろう。…ああ物好きは物好きだから物好きなのか。私の肩を掴み、説教らしきことをいくつか言われたが華麗に聞き流す。いざとなれば兄さんに習わされた護身術が使えるし、さっきの人…最初こそびっくりしたけれど悪い人ではなさそうだった。身近にどす黒いオーラを放つ人間がいるから私の善悪センサーはとても敏感だ。故に危ういと判断しなかったということは、特に気にしなくてもいいと思う。だから黄瀬さん、いい加減説教から派生した私をどれだけ好きかという恥ずかしい話を大声でするのはやめてください。


 

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