朝の空気の匂い [ 1/2 ]
「いよいよ準決勝だな!」
WC準決勝の朝も、木吉くんは変わらずに私を迎えに来てくれた。選手なんだからわざわざマネージャーの私のところまで遠回りなんかせず、直接会場に向かってって言ってるのに。朝一の名が見れるのは彼氏の特権だとか、一緒に行くとテンションあがって調子良くなるとか、よく分からん。…嬉しいけど。
「…うん、」
「なんだよスッキリしない返事だなー、嬉しくないのか?」
「嬉しいけど、いろいろ、思うことが、さ…」
私は正面から木吉くんの膝を見つめる。木吉くんは私の目線をたどって自分の膝に行き着くが、私の考えが読み取れなかったのか、ススッと左に動いた。そして自分の後ろを見る。
「…………」
もちろん、何もない。
木吉くんに合わせて私の目線も膝を追う。次は右に動いた木吉くんに合わせて少し眉を寄せながら膝からは目線をそらさない。
「え、あ、オレの膝!?」
「すぐわかれよ!」
「別れよう!?しかもすぐ!?嫌だ!オレは名が好きだ!」
「この流れでどう考えたらそうなんの!?」
真剣な表情で私の肩を掴みそう叫んだ木吉くんに思わずパンチを入れたくなるが、相手はこの後試合を控えた大事な選手。ゆっくり息を吐いて拳を解いた。
「だって…これで最後じゃん」
言葉にした途端、これが現実だと改めて思い知らされるように襲いかかってきて、木吉くんと出会ってからの走馬灯が目の前の彼の背景になるみたいに一気に流れていった。冷たい何かが両頬を滑ってボタボタを道に落ちて染みを作った。
「名っ!?ど、どうしたんだよ」
「…っ、あれ。なんで泣いてんの」
「オレが聞きたいよ」
焦って自分のスポーツバッグをかき回して何かを探す木吉くんを、涙も拭わずほったらかしたままボーッと見ていた。「あった」と小さく言って、見つけたばかりの大きめのタオルをゴシゴシと顔に当てられる。荒くて痛いけど、妙に心地いい。
「でもやっぱ痛い!」
「あ、悪い」
やっぱって何だ?と疑問符を浮かべる木吉くんが可愛くてフッと笑ってしまった。
「泣いたり笑ったり忙しいやつだなー」
「ごめん。こういう…泣いたりとか、絶対しないって決めてたんだけど」
「…まぁなんだ」
ガシッと大きな手で頭をグシャグシャと髪を乱される。前に落ちてきた髪の間からしっかり前を見据えた木吉くんの横顔が見えた。
「終わりじゃないさ」
朝日がキラキラ輝いて、木吉くんを照らして、眩しい。その後静かに私の髪を整えてくれた。
「それにまだ今日も明日もあるんだせ?まだ気が早いぞ!」「そうだよね…目の前に敵がいるのに違うこと考えてる場合じゃないよね!」
「それに相手は涼太だしね!」
「…なぁ、黄瀬くんと幼馴染みなのは分かってんだけどさ」
「え、うん」
「その…なんというか、あー…いや、やっぱいいや」
眉を下げて自分の後ろ頭をかく木吉くん。いつもはっきり言うのに珍しいな。
「今日はどーんと黄瀬くん倒して、明日も試合しようね、鉄平!」
「!…ああ!」
彼は一瞬驚いたのち、はははと豪快に笑って私の手を取って歩き出した。
神様、どうか彼に1秒でも長く仲間とコートに立たせてあげて下さい。かけがえのないこの日々を、出来ることならいつまでも…
私は彼の手を強く握りかえした。
朝の空気の匂い
(鉄平“さん”って呼んでみて)
(なんで?)
(新婚みたいで興奮するって思)
(変態!)
(変態じゃない、名だから良いと思っただけだ!)
(…)
20120907 →あとがき