デンドロビウム行進曲 [ 2/3 ]


『はーい』
「…オ、レだっ」
『今開けるッス』


全力で自転車を飛ばしてきたおかげで乱れた息を整えるより先に、チャイムを鳴らす。機械越しに聞こえた黄瀬の声は心なしか覇気がない気がした。日常的に意識して聞いてるなんて気持ち悪い事はしてないから確証はないが。


「いらっしゃい」


ガチャリと解錠音の後ドアが開いた。片手は壁に、もう片手はドアを支え、目が合ったオレに笑いかけたのは先ほどの懸念を凪ぎ払うような黄瀬の笑顔。男の、しかも自分より高身長でイケメンだなんだと持て囃され、なんでも出来てしまうのが悩みだなんて奴の満面の笑みなどイラつくだけだ。ガードさせる暇もなく腹に一発食らわせれば、黄瀬は呻きながら両手で腹を押さえた。


「名はどこだ」
「っつ〜…名っちなら…」


まだ身悶えうつむく黄瀬が弱々しく指をさしたのは、一部がすりガラスになっている引き戸。自然に意識がそこに集中する。ザーッと断続的に激しい雨のような音が耳に入ってまさか、と結論を出す前に横から「シャワー浴びてるッスよ」と聞きたくもない台詞を呟かれた。アイツは本当にバカの極みとしか言い様がない。人様の家の床を抜くぐらい強く踏みしめて近付き、引き戸を開け放った。


「ギャアアアアア!!なに、何事!黄瀬くん!?」
「オイこらバカ!」
「ええっ、え、あれ笠松先輩?」
「お前何悠長に風呂なんか入ってんだ、今すぐ出ろ今すぐだ今すぐ!!」
「ひぃぃぃっ、な、なんか分かんないけど分かりましたっ今すぐ出させていいいいただきますぅ!!」


薄いドア越しにうっすら敬礼したのが見えて、オレは脱衣場を後にした。黄瀬が一人暮らしをするこの家には一度訪れたことがある。IHで立てなくなったまま回復しなかった黄瀬を部員数人で家まで連れて来たのだ。ワンルームの簡単な作りのこの部屋で、名と二人っきりだったのかと思うと虫酸が走る。


「彼女がシャワー浴びてるってのに脱衣場に入るなんて大胆ッスね〜。あ、なんか飲みます?」
「お前、名に変な事してねぇだろうな」
「…笠松先輩が言う“変な事”ってなんスか?」
「…」
「…」


オレが脱衣場にいた間にリビングでラグにあぐらをかいていた黄瀬は、わざとらしくベッドの縁に肘をつき手の甲へ頬を乗せてにやりと笑った。睨み付けるオレとは対照的に余裕綽々の嫌な薄ら笑いを浮かべる黄瀬に、いつもの爽やかな雰囲気は微塵も感じられない。


「出ました!今すぐ出まし…た…?」


ホカホカと体から湯気をたて、濡れたままの髪と乱雑に身につけただけの制服、本来膝下まである靴下がアキレス腱辺りでぐちゃぐちゃになってるところを見ると、指示通り大急ぎで上がってきたのだろう。明らかに穏やかでないこの空気を感じ取った名は静かにオレと黄瀬を交互に見やった。


「帰るぞ」
「え、先輩!?」


身を翻しスタスタと玄関に向かうオレに名はオロオロと分かりやすく動揺して何度も目線を二人の男に振り、やがて少し開いたオレとの距離を走って詰めた。


「どうしたんですか本当に…」


気を遣ってか小声で心配そうに囁いた名にお前のせいだと怒鳴り付けてやりたかったが、黙って靴を履いてドアを開けた。


「あっ名っち待って!…はいカバン。名っちがシャワー行ってる間に荷物入れといたッスよ」
「ありがと、ごめんね!」
「全然!勉強教えてくれて助かったッス」
「いえいえー私で良ければいつでも言ってね!じゃあまた明日学校で」
「うん、また明日!…先輩も」
「…あぁ」


名の手首を掴んで足早に廊下を進む。背後でバタンと音がしたと同時に名が顔を覗き込んできた。


「笠松先輩、私…何かしましたか?」


深夜であることも考慮された控えめな声。それを無視して自転車へと急ぐ。たどり着いてからまずカゴに名のカバンを突っ込み、続けてジャージの上着を脱いで名の肩からかける。


「あ、ありがとうございます…」
「名、いったいどういうつもりだったんだ」
「へ?」
「こんな時間まで一人暮らしの男の家に居座って、あげくシャワーまで浴びて」
「えと…黄瀬くん家の時計止まってるの気づかなくて。携帯確認したら11時だったんで、黄瀬くんがもう遅いし明日は休みだから泊まっていけばって言ってくれたんです」
「…そんで泊まってくつもりだったってか」
「?…はい…」
「はぁーーーっ…」


身体中の酸素を吐ききってじとっと名を睨んだ。頭から大量のハテナを飛ばしている名はまだ風呂から出た余韻を残し少し頬を染めていて、今日こそこの無防備な天然女をこってりシボってやろうと思って睨んだのに、すっかりそんな気がなくなってしまった。


「オレが気ぃ抜かねえようにするしかねえか…」
「え?」
「そんでもちょっとは危機感っつーもんを覚えろ」
「ふぁっ!?」


名を抱えて自転車の荷台に乗せる。オレがサドルに股がると「し、失礼します!」と遠慮がちに腹に手が回ってきてきゅっと絞められた。


「しっかりつかまってろ…よっ!」


力強く地面を蹴って、夜の住宅街に自転車を走らせた。
黄瀬のためにも、このままじゃダメだ。そのためにオレがしなきゃならないことはたくさんあるが…とりあえず、後ろでくしゃみをしているコイツに世間一般の男に対する接し方というものを教え込まなければいけないと思う。










デンドロビウム行進曲


(先輩、鼻水拭きたいです)
(ジャージにはつけんなよ)
(………えへへ)
(おまっ)

20121123 →あとがき
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