クロッカス行進曲 [ 2/3 ]


「もう…だから言ったのに…」
「あはは、ごめんって」


軽く手を合わせて思ってもないことを言ってみる。出ないでくれ、と願った電話はものの数秒で繋がって、落胆した。と同時にホッとした自分がいた事に気付く。無意識に、自分がこれから起こそうとしていた最悪のシナリオを、彼女が泣きわめくシーンを見なくて済むんだと、そう思ったのかもしれない。


「な、なんかスッゴい怒られて…笠松先輩が今からここに来るって…」
「あらら。大変なことになったッスね〜」
「ちょ、どうしよなんで先輩怒ってたんだろやっぱこんな時間に電話はまずかったかな!?」
「大丈夫ッスよ。先輩、名っちには優しいし。きっと話せば分かってくれるから。それより先輩来るまでにシャワー浴びちゃえば?もしかしたら先輩も泊まるかもだし。そうなると待たせたら悪いから先にオレ達は済ませといた方がいいと思うんスけど」
「確かに!じゃあお風呂借りるね」
「タオルとか適当に使っちゃっていいッスから」
「うん、本当いろいろありがとう」


よくもまぁこんなにつらつら嘘がつけるもんだなと自分を尊敬する。バスルームに入る名っちに笑顔で手を振って見送った。こういうことをさ、普通に信じるんだからたまったもんじゃない。オレの身にもなってくれ。時々心配になる、この人大丈夫だろうかと。いつか怪しげな壷を買わされたり借金の保証人になったり、その辺で変なのに捕まって売り飛ばされるんじゃないかと。


「本物のバカだからどれもありえるか…」


名っちがバスルームに消えて数分、無遠慮で不謹慎な想像に頷いていると、チャイムが鳴り響いた。インターホンのカメラを確認すると息も絶え絶えな先輩が映る。どうやら自転車で来たようだったが、先輩の家からここまで40分はかかるはずだ。だがあの電話からまだ20分弱しか経っていない。この二人はやっぱお似合いだな、こんなことされるとやる気なくすわ。脳内でため息をつき、機械越しに適当に返事をして玄関へ向かった。
打って変わって、極上の笑顔で迎え入れたオレを待っていたのは先輩からの腹パン。しかも結構強烈な一発。先輩の一発はいつも激しいが今日はなんか本気度が違う。理由は分かりきってるわけだけど。


「名はどこだ」
「っつ〜…名っちなら…」


素直に居場所を教えたオレに見向きもせず先輩はどすどすと床を怒りに任せ踏みしめ、名っちがいるバスルームの引き戸を壊す勢いで開いた。オレはぎょっとしたが、先輩はすっと脱衣場に踏み込んで薄いすりガラスの向こうの彼女に向かって叫びだした。せめて引き戸を閉めろ…と思ったがぎゃあぎゃあ騒ぐバスルームの修羅場から目を反らしリビングへ戻る。机に出ていた名っちの勉強道具をまとめ名っちのカバンにいれる。オレはなんて出来た男なんだろう。なのに何故彼女はオレを好きになってはくれないんだろう。


「彼女がシャワー浴びてるってのに脱衣場に入るなんて大胆ッスね〜。あ、なんか飲みます?」
「お前、なまえに変な事してねぇだろうな」
「…笠松先輩が言う“変な事”ってなんスか?」
「…」
「…」


名っちはオレに“変な事”をされても先輩には言わない。「なんでもないですよ!」って笑うんだと思う。でも彼女は酷く分かりやすいからきっと違和感むんむんですぐバレる。だから分かってるはずだ。名っちの対応が普段となんら変わりなかったことを。オレが何もしていないということを。なのにその質問を投げ掛けるなんて先輩も人が悪い。だから笑ってやった、極上に悪い顔で。自分の彼女が他の男ん家でシャワーを浴びてるって状況をつくりあげるだけで許すつもりだったけど、やっぱ本人を目の前にするとはらわたが煮えくり返そうになる。


「出ました!今すぐ出まし…た…?」


そこに飛び込んできた名っちはよく体を拭きもせず制服を着たせいで酷い格好をしていた。あーあ、これはこってり先輩に絞られるな。


「帰るぞ」
「え、先輩!?」


そんな彼女も空気は読めるようで、張り詰めた空気のまま、最後にオレを一睨みして玄関に向かう先輩に名っちはオロオロと分かりやすく動揺していた。何度も目線を二人の男に振り、やがて少し開いた先輩との距離を走って詰めた。

オレの方に来れば良かったのに。

視界から消えた彼女のカバンを持って玄関へ向かう。


「あっ名っち待って!…はいカバン。シャワー浴びてる間に荷物全部入れといたッスから」
「ありがと、ごめんね!」
「全然!勉強教えてくれて助かったッス」
「いえいえー私で良ければいつでも言ってね!じゃあまた明日学校で」
「うん、また明日!…先輩も」
「…あぁ」


先輩は目も合わせず、オレに警戒心むき出しの背中を向け名っちの手首を掴んで歩き出した。重い玄関の扉を閉めたのに、二人の足音が聞こえる気がするオレは末期かもしれない。
ドアに凭れ、その場から動けずにいると、ふと靴箱の上に置いてある写真立てが目に入った。合宿の時撮った写真だ。マネージャーの名っちを挟んで笑顔のオレと渋い顔の先輩が映っている。あの何の感情も持たなかったあの頃に戻れたらどんなにいいだろう。先輩とも名っちとも、純粋に付き合えたあの頃に。視界が霞んでボタボタとこぼれる何かで床の色が変わる。それを暫く見つめてやっと、あぁ泣いているのかと認識したら更に溢れだしてきた。止めどなく溢れる涙にイライラする。


「…くそ…っ!」


写真立てを力任せに払って床に落とすと、ピシッと音をたててヒビが入った。そのヒビが、丁度オレと名っちの間を綺麗に割っていて、こんなところでも思い知らされるのかと最早笑えてきた。

嗚咽と共に、カチ、カチ、と規則正しい音がする。電池はポケットの中に確かにあるのに、時計は止まらずに時を刻み続けている気がした。










クロッカス行進曲


(もう、戻れない)

20121202 →あとがき
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