「お別れを」

 船に居るはずのユカリが短く言った。宝を抱えたままの男達は、ドフラミンゴが何も言わずに歩き出したことに戸惑いながらもそのまま歩みを進めた。

「ロシー」

 白雪を真紅に染めている大きな体を見てユカリは目を閉じた。目蓋の裏に映るのは、数ヶ月前に見た光景。目蓋を持ち上げても、視界は変わらない。鼻の奥が痛んだ。

『本当に行くの?』
『お前も来い、ユカリ』
『一緒には行けないよ』
『どうして、』
『あの人を置いて行けない』

 差し出された大きな手が、今では力無く雪の上に放り投げられている。

「ロシー」

 ユカリが頬に触れると、ゆっくりと目蓋が持ち上げられた。

「ユカリ」

 掠れた声にユカリは震えた。ロシナンテが何かを求めるように手を持ち上げようとすると、ユカリはその手を握った。

「喋らないで」

 唇が触れそうなほど顔を近付けたユカリが囁いた。

「ごめんなさい、ロシー」
「あ、やまること、なんか・・・」

 ごふ、と血がロシナンテの口の中に溢れせき込んだ。残り少ない体力を使わないようにユカリは、喋らないで、と繰り返した。

「変えられなかった」

 謝罪の言葉を落とすと、ぽろりと涙がユカリの目から零れた。

「大丈夫よ、ロシー」

 悲しさに震えながらも、優しく愛おしい声に、ロシナンテはぼんやりとする焦点をユカリへ合わせようとした。

「ローはこのまま無事逃げて、珀鉛病を治して、元気になる」

 透き通るような瞳に焦点が合い、美しい、とロシナンテは思う。海のような瞳だと思った。静寂な深海の暗さも、水面に反射する太陽の明るさも兼ね揃えた瞳だ。

「そして、たくさんの人を助ける素敵な人になるの」

 そうか、と持ち上がった口角に、ユカリは大きく頷いた。

「本当よ。だから、安心して」

 ぽろぽろと頬に落ちてくる雫に、ロシナンテは、ドジったな、と思う。こんな風に涙を零しながら無理矢理笑うユカリの顔が見たいわけではないのだ。それでも掠れた声で、わらっていてくれ、とロシナンテは言う。ユカリははっと息を呑んだ。そして、ふんわりと微笑んだ。

「大好きだよ、ロシー」



沈黙のなか





 腸が煮え返る感覚を無理矢理抑えつける。コラソンの裏切り。何故だ。何故裏切った。ロシー。実の弟のお前が。何故。苛立ちに任せて殴りつけたサイドテーブルが割れた。

「ドフィ」

 小さく呼ぶ声の方へ視線を向けた。真っ赤な顔で、荒い息をするユカリが小さな手を伸ばしてきた。いつもならすぐに取る、その手をただ見つめた。

「ドフィ」

 甘えるような、縋るような声。伸ばされていた手がベッドに触れ、ゆっくりとその体を起こした。ベッドに立ち上がり、はあ、と苦しそうに大きく息を吐いた。両腕が俺へ伸びてくる。苛立ちに任せて叩き落とそうかと思った瞬間、ふと悪夢から起こされ怪我をさせた時を思い出す。ギリ、と奥歯を鳴らしたが、小さな体は怯えることなく俺に触れた。ぎゅうと頭を包むように抱きついたユカリの背に片手を当てた。

「ドフィ」

 雪まみれになりシャワーを浴びたばかりのせいか、ユカリから石鹸の香りがした。いつものユカリの匂いがしないことに苛立つ。ぐっと額を平らな胸に押し付ければ、高熱で弱った体はベッドに倒れた。う、とうめき声が聞こえたが無視した。巨躯に潰されても腕は頭を包んだままだった。しばらく小さな体を枕にした状態でいたが、いつもより熱い体から顔を引くと、両手がするりと離れた。

「一緒にいるよ、ドフィ」

 その熱の原因は何だ。寒さか。雪か。それとも、未来を見たのか。誰の未来を見た。どんな未来を見た。問い詰めたいことが次から次へと頭に浮かぶ。涙目でこちらを見つめるユカリにごくりと喉が鳴った。

「ごめんなさい」

 細い首に触れる。それは何への謝罪だ。お前も俺を裏切るのか。俺にお前を撃ち、許せと言うのか。そんなことは許さねぇよ。そっと小さな手が首に回る指に添えられる。抵抗するのではなく、ただただ寄り添うように触れている小さな手。

「ドフィとずっと一緒にいるよ」

 熱い息が俺の手にかかる。指先で微かに心音を感じた。指先に少しでも力を込めれば折れる細い首。ゆっくりとそこから手を離すと、ユカリの手が離れた。人差し指で鎖骨をシャツの上からなぞり、心臓の上に触れる。視線を目に向けると、うっすらと濡れた目が俺を見つめていた。心音を感じていた手を頬へ添えると、再び俺の手にユカリの手が重なる。俺の手に頬を気持ちよさそうに押し付けるようにしたユカリは目を閉じた。

「お前は置いていってくれるなよ、ユカリ」

 ぽつりと口から零れた言葉に、ユカリは泣きそうな顔で微笑んだ。

「大好きだよ、ドフィ」




2023/02/14





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