おはよう、とロシーと目が合った瞬間のことだった。雪崩のように脳内に流れ込んできた記憶と共に血の気が引いていく。これは過去じゃない。混乱した頭では上下左右すらわからないくらいに世界が揺れているような気がした。怯える声。怒鳴る声。悔しい。悲しい。一面の白雪。赤く染まった結晶。床に倒れ込む前に、大きな腕に抱えられ、ふわりと体の浮く感覚がした。苦しくて胸を抑える。ぐっと腕を掴まれた感覚に目を開けると、真っ赤な紅と戸惑いを隠せていない目が目の前にあった。ロシー、小さく名前を呼ぶと、大きくて温かい手が頬を撫でた。見えていた映像が消え、世界は暗転した。



守らせてくれない





 おはよう、と挨拶をしたユカリと目が合った瞬間、きらりとユカリの目が陽の光を浴びた透き通ったガラスのように輝いて見えた。すると、ユカリは、ぐ、と胸を抑えた。突然倒れ込む体を受け止め、抱き上げる。胸を抑える仕草に、苦しいのか、と口だけ動かして問いかけるが、目を閉じている相手には伝わらない。腕を掴んでゆすると、うっすらと目が開いた。微かに自分の名前を呼ばれ、頬に手を当てると、ゆっくりと目が閉じられた。すごい熱だ。慌ててユカリをベッドへと運ぶ。

「何してる?」

 部屋の入り口に立っているドフラミンゴに心臓が大きく鳴った。ねつ、と一言書いた紙を見せると、ドフラミンゴはベッドへ腰掛け、ユカリの額に手を伸ばした。

「何かあったのか?」

 わからない。正直に答えると、眉間に皺を寄せたドフラミンゴは舌打ちした。

「医者、呼んでこい」

 答える時間ももったいないと思い、俺は部屋を出た。結局原因は分からず、解熱剤を処方された。翌日の予定をキャンセルしてまで、ドフラミンゴはユカリの側から離れなかった。ベビー5やバッファローが見舞いと称して様子を見に行ったが、部屋にすら入れなかったらしい。

「げ」

 一仕事終え、無意識の内にユカリの部屋へ足を運んでいた。するとドアの前にはローが立っていた。睨んでくるローをいつも通り殴ろうかと思ったが、何も信じていないと言った奴が何故ここにいるのか、ふと疑問に思った。

「なんだよ?」

 ふてくされたように口をへの字にしたローに、なにをしている、と問う。

「お前に関係ないだろ!」

 見舞いかと問えば、ぐ、と言葉に詰まったように唸った。否定しないのか。意外に思った。ユカリがローを気に入っているのは知っている。ファミリーに加入することになった日に、ユカリはローを庇うように抱きしめただけでなく、軽く覇気を放った。ローがファミリーに入れてくれと言い出して、ドフラミンゴがローをファミリーの一員にするまでたった一週間。その間に二人に何があったのか。そんな頻繁に外に出ないユカリがローと接触する機会などそうそうないと思うが。何故ローはユカリを気にしているのだろうか。

「何を騒いでやがる」

 ドアが開いて、低く唸るような声が耳に届いた。

「べ、べつに」

 体を強張らせたローが床へ視線を落とし、ユカリが倒れたって、と呟いた。

「ああ、まだ寝てる」

 入るか、と問うドフラミンゴに俺は驚いた。ベビー5やバッファローが追い返されたのを聞いたのだろう、ローも驚いていた。しかし、すぐに頷いて部屋の中へ入っていく。ドフラミンゴにとって、ローもユカリも特別なのだと改めて実感する。

「お前はいいのか?コラソン」

 寝ているのなら仕方ない。何より俺は『極度の子供嫌い』なのだ。あまり構いすぎるのも良くないだろう。通り過ぎただけだと言うように、何も言わずに自室へと足を向けた。どうしたら子供達をここから追い出せるだろうか。作戦を考えなければならない。


「買い物に付き合って」

 熱も下がり落ち着いてきたユカリが、新聞を読んでいた俺に言った。なんでおれが、と書いた紙を持ち上げながら、眉間に皺を寄せて見せた。

「荷物持ちが必要なら、俺が」

 グラディウスが申し出るが、ユカリは俺を見つめたままグラディウスを見ることはなかった。グラディウスはマスクの下で不満気に唇を噛み、髪が僅かに尖った。

「コラソン」

 ゆったりと一押しするように呼ぶ声に、溜息を吐いて見せる。あくまでユカリの望みを叶えてやっているのだ、というポーズを見せるために。グラディウスを一瞥すれば、悔しそうに眉間に皺を寄せていた。立ち上がって、ユカリの横に立てば、にこりと笑んで、歩き出した。

「サイレント」

 人気のない公園で能力を使った。ユカリは手にしていたコーヒーを俺に手渡し、自分のココアに口をつけた。

「何かあったのか?」

 歩いている内に少し冷めたおかげで、コーヒーを噴き出すドジは踏まなくて済んだ。

「ロシー」

 ゆったりとした口調で俺を呼ぶ。その視線は手元のココアに向けたまま。真剣な声音に息を呑んだ。

「未来が見えたの」

 それは決していいものではなかったのだろう。見ようとしたのではなく流れ込んできたのだとユカリは説明した。これからローの体調が悪化していき、俺はそれを治そうとするだろう、と。

「ローと二人でここを出たら、ロシーは死んでしまう」

 死。予想外の宣告に口の中が乾いていくのがわかった。

「なにを、いって」

 ユカリの未来を見る能力はまだ未発達だとドフラミンゴは言っていた。それは果たして、未来を見ることが出来ないという意味なのか、見たいときに見ることが出来ないという意味なのか。

「だからね」

 潤んだ瞳が真っ直ぐ俺を捉えた。

「どこにも行かないで」

 小さな手が俺の手に触れた。縋るように握る手の温かさに、どくりと心臓が鳴った。

「珀鉛病の治し方について調べるから」

 だからどこにも行かないで。

「心配するな。ローは殴って追い出す。なかなか手強いけどな」

 ユカリを撫でながら言えば、ユカリの目から大粒の涙がぽろりと零れた。

「ロシー」

 安心させるためにその小さな体を抱きしめてやると、小さな手は俺の首にまわった。

「ロシー、忘れないで」

 小さく柔らかい体は温かった。守りたいと思う。守るべき小さな命だ。胸元の濡れた感触に唇を噛んだ。

「大好きだよ」




2023/02/07





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