それはたまたま入った家だった。昔ながらの日本家屋の縁側が暗かったから、熱い体を冷やすのにちょうどいいと思った。個性を使いすぎて、体の継ぎ目からじわりと血が出ているのを感じる。やべぇな、と口からこぼれた。不便な体だと改めて思う。ふとすぐ側にある茂みに蜘蛛が見えた。巣にかかった蝶を大切そうにその糸で包み始めていた。ゆっくりと意識が朦朧としていく中、遠くで声がしたが、もう目を開けるのが億劫すぎてどうしようもなかった。

 目が覚めたとき、見慣れない天井と久しぶりの布団に包まれる感覚に驚いた。ガバッと起き上がると、おそらく額に乗っていたであろう氷嚢が床に転がった。腕に包帯がぐるぐる巻かれている。なんだ、これ。

「目が覚めたんだ」

 よかった、と声がした方を向けば、コップを乗せた盆を手にした若い女が入り口に立っていた。

「縁側で倒れたの、覚えていますか?」

 微笑みを浮かべた女がゆっくり近付いてきた。焼くか、否か。一瞬頭をよぎるが、やめた。

「二日間眠ったままだったんですよ」

 そっと俺の横に膝をついて、盆に乗せていたコップを差し出した。

「なにか、口にできそうですか?」

 気遣うように女は言った。その視線がさっと俺の体を観察するように見た。舌打ちをする。何故かシャツを着ていない体は所々包帯が巻かれているが、その間からは継ぎはぎの爛れた肌が見えている。どうせ気持ち悪いと怯えるのだろう。不快感に吐き気がしそうだった。

「せめてお水だけでも飲んだ方が」

 差し出したコップを更に俺に近づけ、女は真っ直ぐ俺を見た。その目には嫌悪も同情も見られなかった。そんな馬鹿な。少しでも不愉快になったら燃やしてやろうと思って構えようと持ち上げた手は、行き場をなくした。そう思っていたら、女は手にしていたコップを俺の手に押し付けた。

「やっぱり喉乾いてますよね」

 二日も眠ってたらそうだろうと女は一人で頷いた。何だ、こいつ。うーん、と考える素振りを見せた。

「スポーツドリンクとかの方がいいのかな」

 ぽつりと呟くと、あ、と再び口を開いた。

「お腹空いたよね。お粥なら食べられそうですか?」

 女はそう問いかけるが、俺は口を閉ざしたままで居た。不審者に対して親切すぎるだろ。何か企みでもあるのでは、と眉を寄せたままでいれば、女はちょっと待っていて欲しいと部屋を出て行った。
 部屋の中をぐるりと見回す。和室の作りに合った桐箪笥が壁際に置かれている。その隣には鏡台があり、籐の椅子がその前には置いてあった。
 久しぶりの布団で身体がずいぶんと楽になった気がした。ふと部屋がひんやりとしていることに気が付いた。クーラーを見上げるがスイッチはオフになっている。この季節にこの温度はおかしい。

「お粥、どうですか?」

 盆の上には椀が乗っている。湯気が出ているそれの中身は粥らしい。女はそれを俺の横に置いた。

「この部屋・・・」

 俺が呟くと、女は眉根を少し上げた。

「個性で少し冷やしているんですが、寒すぎました?火傷なら冷やしていた方がいいかと思って」

 寒いなら、と俺が調整しやすいようにクーラーを付けるとリモコンを差し出した。

「・・・いや、ちょうどいい」

 差し出されたリモコンを受け取らず、そう答えれば女は少し驚いた後、嬉しそうに笑った。何がそんなに嬉しいのか。わからないまま俺は視線を椀へ向ける。くう、と胃が収縮するのがわかった。気を失う前も碌なものを食べていなかったことを思い出した。毒や薬が入っている可能性も考えたが、お腹がびっくりしすぎないようにお粥と梅干しくらいがいいですよね、と呑気に言った女がそんなことをするようにも思えず、怠い腕を伸ばした。漆塗りのそれは、しっくりと手に馴染む。匙で掬って口に運ぶと、とろりと米の甘みが舌の上で広がった。

「悪くねぇな」

 小さく呟けば、ほっとしたように女は微笑んだ。



蜘蛛の糸





 縁と名乗った女は、俺の名を聞くことなく、俺の手当てを続けた。でかい屋敷にひと気はなく、女も通報する気配を見せなかった。だから、新しい名前を教えてやった。縁は嬉しそうに俺の名を口にした。

「荼毘」

 縁はデザートだと、団子と茶を置いた。随分重たいものをデザートに選ぶものだ。そんなことを思っている俺に気付かず、近所の団子屋は美味いのだと話しだした。

「新しく来た時が一番美味しいんだけどね」

 ごめんね、と謝ってから一つ団子を頬張った。
 俺がここに来てから縁が外出した様子はない。他の人間が出入りしている様子もない。縁は自分で食事の支度をし、洗濯や掃除などもしているようだった。そんな日常的な家事の合間には、本を読んだり、書き物をしたり、ノートパソコンに向き合っている姿を見た。俺よりも年下に見えるのに、学校に通っている様子はない。仕事をしているようにも見えなかった。一条縁とは何者なのか。さっぱり見えてこない、

「悪くねぇな」

 団子を口にして言えば、縁は嬉しそうに笑った。もぐもぐと頬を膨らませながら団子を食べる縁を見て、リスみたいだな、なんて思う。

「お前、引きこもりか?」

 突然の質問に縁はきょとんとした。ぱちぱちと瞬きをすると、ぷっと吹き出した。

「確かに引きこもってるかも。あはは」

 傷付くことは想定していたが、笑い出すとは思わなかった。思わず眉間に力が入る。

「荼毘が来てから、ずっと家に居るものね」

 そう思われてもしょうがない、と言いたげな口調に続きを待つ。

「通信の学校に通ってるのよ」
「へえ」

 不登校ではないのだと言う縁に、そうか、と返した。

「昨日もレポートを提出したわ」
「へえ」

 感心してみせれば、少し自慢気な表情になった。ガキかよ。

「意外と真面目なんだな」
「意外って、ひどい」

 縁は、頬を膨らませて、唇を尖らせた。タコみたいだな。

「そんな真面目ちゃんが、こんな不審者を家に置いてて家族は何も言わないのか?」

 初めて縁の表情が強張った。少し困ったように眉を八の字にし、少し目を伏せて曖昧に笑んだ。

「家族はここには来ないから・・・」

 沈んだ声音は、初めて聞くものだった。口ぶりから家族が居ないわけではないことがわかる。では、何故ここに来ないのか。縁は懺悔するように続けた。

「私、イラッとしたときとか、個性を上手くコントロール出来ないときがあって。家族に迷惑かけてて。だから、別々に暮らしてるの」

 憂いを帯びた表情は今まで見たことのない顔だった。その顔に胸の奥がざわつく。普段の無邪気なガキのように笑う姿とは違い、どこか遠くを見て何かを諦めたような表情は大人びていた。

「だから、誰もこの家には来ないよ。安心して」

 歪な笑みに不快感を覚える。その苛立ちを誤魔化すように縁の手を引いて、その小さな体を抱き締めた。個性のせいか、低い体温がひどく心地よく感じた。一瞬強張った縁の体は、すぐに俺に全てを預けるように力が抜けていった。

「誰も居ないのに、俺みたいなの助けていいのか?」
「荼毘は口は悪いけど、優しいもん」
「俺が優しい?」

 くつくつと喉の奥で笑う俺に抗議するように、縁は顔を俺の胸から離して俺の顔を見上げた。

「優しいよ。一緒にお団子食べてくれるし」
「随分と優しさのハードルが低いな」

 思わずつっこめば、縁は俺の胸に顔を埋めた。

「荼毘はあったかい人だよ」

 甘えるような仕草は、他の人間なら一瞬で薪に変えたことだろう。何故か縁に対してはそうしようとは思わなかった。むしろ、欲しいと思った。この女の全てを自分の物にしたいと思った。

「そんなこと言うやつはお前くらいだ」
「私、わかるもん。荼毘はあったかい人。きっと、そう」
「どうだろうなぁ」
「荼毘はあったかいから、また遊びに来てくれるの。絶対そうよ」

 まるで小さな子供のように自分の願望を未来予知のように言う。くつくつと喉の奥で笑う。可哀想になぁ。俺みたいなろくでもない人間に目をつけられるなんて。そうっと背中に回した腕に力を込めた。




2022/11/11





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