「私、縁。よろしく」

 差し出された手を握ると、とても小さかった。呪術高専には不似合いな気がした。もう一人の同級生も人懐っこい男で、呪術師には似合わない気がした。



焦がれ散るのは





「縁ちゃんは、なんでそういうの知ってるの?」

 灰原の質問に一瞬驚いたような顔をしてから、彼女は視線を花壇へと向けた。

「うちは術師の家系だから」

 その眼はまだ蕾の花を見ているようで、どこか遠くを見ているように見えた。

「へー、すごいね」
「御三家でもないし、別にすごくはないよ」
「そういうもん?」
「そういうもん」

 スカウトされて高専に来た我々に、彼女は術師の常識や暗黙の了解などを時折説明してくれていた。何故知ってるのかと問いかけた灰原への答えは至ってシンプルだった。そして、意外なものだった。あまり世間知らずな感じはない。呪術師にどっぷり浸かっているような感じもなかった。柵のある人間には見えなかったが、それは少ない同級生三人で居るときだけだとのちに知った。



 彼女はとても強かった。灰原は「縁ちゃんって何級なの?」と彼女に投げ飛ばされる度に聞いていた。

「灰原くんが勝ったら教えてあげよう」
「くっそー!絶対勝ってやる!」

 草の上に横たわりながら、悔しそうな言葉を吐きながらも灰原は笑っていた。
 彼女の階級が何級かは、はっきりとはわからない。わかっているのは、私と灰原よりも上だということだった。彼女は一年生にして、既に時折一人で任務に出ている。

「縁」
「やあ」
「悟、傑」
「夏油先輩!五条先輩!」

 二年生の先輩を呼び捨てにできるのは彼女くらいだろう。普段礼儀正しい彼女が言葉や態度を崩して接している姿を見て、始めは目を丸くした。話を聞いてみれば、五条先輩は幼馴染で、その親友である夏油先輩とも自然と親しくなったのだという。
 倒れていた灰原は勢いよく起き上がり、二人の先輩たちに笑顔を見せた。

「今日、七時、門のとこ」
「わかった」

 簡潔な言葉に彼女は頷いた。じりじりと胸の奥が焼けるような感覚に眉を顰めた。彼女に出会ってから知った不快な感覚だ。

「えっ、デートですか?やっぱ縁ちゃん、五条先輩と付き合ってんの?」
「さーすが、灰原、わかってんなー」
「任務だよ」

 灰原が目を丸くすると、五条先輩は縁さんの肩に腕を回してニヤニヤと笑い出す。回された腕に抵抗せずに、縁さんは呆れたようにそれを否定した。いくら幼馴染でも近すぎるであろう距離感に、嫌がる素振りを見せればいいのに、なんて思う。ただのクラスメイトなのに、そんな風に思う自身の身勝手さに自己嫌悪を覚える。それを見透かしているように、サングラスを少しずらした青い目と目が合う。肩に回した手とは反対の腕を彼女の腹に回し挑発的な笑みを浮かべられ、自分の口角は自然と下がった。

「悟、重い。傑、助けて」
「ほらほら、これ以上縁がチビになったらかわいそうだろう」
「私がチビなんじゃなくて、皆が高すぎるんだ!」

 だいたい私は女性平均身長より高いよ、とムッとして見せた縁さんから夏油先輩が五条先輩を引き剥がした。かわいそうに、と彼女の頭を撫でつつ、視線はこちらに向いている。どちらもタチの悪い先輩だ。そんなことにも気付かず、灰原は「よしよし、いいなー」なんて呑気なことを言っていた。



 休日に、コンビニでお菓子買ってゲームしようぜ、と夕方誘ってきた灰原とコンビニへ行こうとしたところ、出かけていた縁さんと偶々門の前で遭遇した。若い女性らしい紅色の着物姿はとても華やかで、言葉を失った。

「うわー!縁ちゃん、綺麗だね!」

 どこか疲れた様子の彼女は一瞬驚いたように目を見開くと「ありがとう」と眉尻を下げて微笑んだ。

「着物着てお出かけしてたんだ?」
「ちょっと実家から呼び出されて」
「実家行くのに着物なの?すごいね!」
「本当は着替えてから帰ってこようと思ってたんだけど」

「とても綺麗だよ」と再び言う灰原に、彼女は困ったような表情になった。

「ね、七海!すごく綺麗だよね!」

 にこにこしたまま灰原が私に振り返った。素直にその感想を言える彼が羨ましいと一瞬思った。縁さんと目が合った。少し上目遣いになって、なにか伺うような視線に言葉が詰まる。

「・・・お似合い、ですね」
「ありがとう」

 彼女がふわっと笑った瞬間、顔の血流が良くなった気がした。

「正直苦手なんだけど。二人に褒められると、着た甲斐があるね」

 ふふふ、と笑った顔に先程までの陰りはなく、ほっと小さく息を吐いた。



「もうあの人一人で良くないですか?」

 吐き出した言葉は、話しかけていた人ではない人によって返された。

「そういう考え方もあるのか」

 いるとは思わなかった人の声に、びくりと体が震える。上がった心拍数と耳の奥で響く心音は、他人にも聞こえてしまいそうなほどうるさかった。今の言葉は失言ではないだろうか。

「縁さん・・・」
「お疲れさま」

 柔らかく告げられた言葉に、うるさかった心臓が少し落ち着く。タオルを置いた両目から情報を得ることはできなかったが、それでもいつもの微笑みを浮かべて私を見ている気がした。布切れの音が静かな部屋のせいで大きく聞こえる。

「灰原くん」

 掠れたような、震えるような声に、初めて聞く声のトーンだ、なんて思いながら、鼻の奥に痛みを感じた。

「よく、帰ってきてくれたね」

 それは誰に向けられた言葉なのか。呪術師をやっていれば、生きたまま帰ってこないことも珍しくはない。遺体が帰ってこないことも、珍しくはない。ぽたりと水の音が聞こえたような気がした。

「そういえば、術師の家系ではなかったね」

 思い出したように、ぽつりと縁さんが呟いた。夏油先輩も、灰原も、私も、術師の家系ではない。この場では彼女だけが、幼い頃からこの世界にいるのだ。

「正直、意外だな」

 なんの話だろうか、と自然と眉間に力が入った。引きつった肌が傷を引っ張り、痛みが走る。

「悟が最強なのは、前からだろう」
「縁」

 あっけらかんと。雨を見ながら雨が降っているなと言うような、当たり前のことを述べるような声で言った。咎めるように夏油先輩が彼女を呼び、じり、と胸の奥に燻りを感じた。

「七海くんも一番を目指していたとは思わなかった」

 そこには嘲笑も哀れみも含まれていない。純粋に驚いているような声。
 何故今なんだ、と叫びたくなった。時折感じる彼女との溝がある。突然現れる、どうしようもなく深く、大きな溝だ。すぐ隣にいても感じる距離は、呪術師の家系に生まれた彼女と非呪術師の家庭で生まれた私の間にどうしたってある。突然突き放されるような感覚に情けなくも、やめてくれ、と声をあげたくなる。ギリッと奥歯が鳴り、手のひらに爪が食い込むくらい強く握る。

「最強は孤独だ」

 どこか淡々としているような、他人事のような声だった。

「本当に一人で済んだら、私たちはとっくのとうにここにいないだろう」

 万年人手不足なんて言葉も必要ない。祓っても祓っても呪いは生まれる。淡々と告げられる事実は、わかりきっていることだった。腹の奥からふつふつと湧き上がる不快感と肺が酸素を取り込めなくなるような感覚を覚える。そんなことはわかっている。ギリッと奥歯が再び鳴り、握った手の感覚がなくなっていく。

「悟は運がいい。傑がいる」

 近くで小さく息を呑む声が聞こえた気がした。

「それでもずっと走り続けることなんて無理だから」

 少し笑いを含むような声から、きっと幼馴染のことを思い浮かべて、慈愛に満ちた微笑みを浮かべている姿が脳裏に浮かぶ。また焼けるような感覚が胸の奥で燻り出す。

「休憩するときに代われるくらいには、強くならないと」

 少し低くなった声音に、どんな顔をして言っているのだろうと思った。ふと強張っていた体から力が抜けた。引き止めたくなり、伸ばしそうになった手を再び握る。

「おやすみ、灰原くん」

 ちゅっと小さなリップ音が聞こえた。

「ゆっくり、休んでね」

 布の擦れる音が聞こえ、カツンカツンと靴の音が遠ざかる。

「七海くんも、しっかり休んで、しっかり治してね」

 重たい戸が閉まる音が、溝が深くひび割れていく地響きのようだった。





2023/02/25




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