クラスメイトに戦闘態勢を取られた乙骨憂太は、あとから一人だけ少し離れた所に立っていたことが気になった。その瞬間は三名に囲まれて、顔を引き攣ることしか出来なかったからである。荒々しい雰囲気の中、その人だけが少し異質に思えた。よろしく、と笑んだ姿は年相応に可愛らしかった。そんな彼女が窓の外を見ているのを見つけたので、乙骨は勇気を出して自分から声を掛けることにした。

「あの、」

 後ろから肩に触れようとした瞬間、縁は勢いよく振り返った。乙骨の手を振り払うような動作を見せたその手を里香が掴み、縁と里香の視線が合った。乙骨は大きな里香の手が縁の手を包んでいることを認識すると、一気に顔から血の気が引いていくのがわかった。

「ダ、ダメだ!里香ちゃん!」

 乙骨はストラップを握りしめ、必死に止めようと叫んだ。縁は静止したまま、里香を見つめた。そして、肩から力を抜くと、微笑んだ。

「びっくりしちゃって。ごめんね、里香ちゃん」
「い"、い"、い"っしょおおお」

 乙骨は顔を強張らせたまま、視線を里香から縁へ向けた。縁は僅かに首を傾げながらも、微笑みを浮かべたまま里香を見ていた。

「里香ちゃんのおかげで、乙骨くんに怪我させずにすんだよ、ありがとう」
「あ"、あ"、あああ」

 里香は嬉しそうにハートマークを飛ばすと、スーッとその姿を消した。何の危害を人に加えることもなく消えた里香に、乙骨は呆然と縁を見た。

「あ、あの・・・」

 縁の視線が乙骨へ向けられた。

「ごめんね、乙骨くん」

 突然の謝罪に乙骨は困惑した。

「私に突然触ると危ないの」

 俺に触ると火傷するぜ、なんてトンチンカンなキャッチフレーズが乙骨の頭に浮かんだ。困惑したままの乙骨に縁は苦笑した。

「私もちょっと乙骨くんみたいな感じなの。誰かに触られそうになったりすると、自動的に弾く感じかな」
「えっ」

 微笑む少女に悲壮感や絶望感などは見えない。そっとその目が窓の外へと向けられる。校庭に見えるのは、ジョウロで水やりをする狗巻だった。乙骨は狗巻と会話を交わしたことがない。おにぎりの具しか発さない相手とのコミュニケーションは中々ハードルが高く、乙骨は少し怖いと思っていた。狗巻がふと何か気付いたように振り返ると、縁は「あ」と小さく声を上げ、手を振った。そして、少しの間を置いて、うん、と大きく頷いた。

「それじゃあ、またあとでね」
「あ、うん・・・」

 縁が少し早足で去ると、乙骨は何気なく再び窓の外へ視線を向けた。紫色の垂れ目と目が合った。ひ、と喉が一瞬締まる。ジッと見つめるその目に、乙骨はやはり何を考えているのかわからず、冷や汗を垂らした。



屋烏之愛




「棘くん」

 狗巻が縁に手を差し出せば、その手に自身の手を重ねる。

「こんぶ」
「乙骨くんの用事?あ、聞くの忘れちゃった」

 縁は、わざわざ話しかけてくれたのに、と内心反省していた。バツが悪そうな縁の表情に、狗巻はフッと笑った。きっと自分に気付いたから、縁の気が逸れたのだ。

「いくら」

 そっと握られた手を引けば、すんなりと縁の体は狗巻に近付いた。狗巻がくいっとネックウォーマーを少し指で下げ、ゆっくりと屈めば、縁はふわりと笑う。柔らかな感触が口元の呪印に押し当てられ、ちゅっと可愛らしい音を立てた。

「学校でなんて珍しいね」
「しゃけ」

 少し恥ずかしそうに言う縁に、狗巻は満足そうに口角を上げた。照れながらも縁は、いつも狗巻の要望に応えてくれるのだ。同期達の前で強請ったら、どんな反応を見せてくれるだろうか。そんなイタズラ心が顔を覗かせる。

「いくら」

 もう一回。唇に。狗巻がそう言葉に込めれば、縁は、えっ、と声を漏らして、キョロキョロと辺りを見渡した。人が居ないことを確認すると、胸に手を当てながら、少し緊張した表情で、ゆっくりと背伸びした。一瞬で離れてしまう体温を惜しく思いながら、狗巻は縁の頭を撫でた。

「ほんとに珍しいね。学校でなんて」
「しゃけ」

 縁の視線が恥ずかしさを誤魔化すように、髪を耳にかけた。その耳が赤いことに狗巻は目を細めた。幼い頃から共に時間を過ごし、幼児のままごとのような口付けから思春期が興味を持つ深いものまで数え切れないほどしていて、自分からすることだって数え切れないほどだというのに、縁は時々こうして恥じらいを見せる。狗巻にはそのポイントがいまいちわからなかったが、照れた姿は可愛いと思った。

「午後はグラウンドなんだよね」
「しゃけ」
「乙骨くん、大丈夫かな」
「こんぶ」

 どうだろう。突然やってきた転校生は、特級の呪いを抱え、周囲に畏怖されてきた。呪印と呪言の力を受け継ぎ、敬遠されてきた狗巻は僅かながら似た境遇なのだろうと思った。自身は術師の家系で心構えがあるが、一般家庭で家族にすら不気味がられるとなると、心の傷は深いだろう。現に乙骨はおどおどとした態度を見せた。真希との任務で何か覚悟を決めたらしく、子鹿のように震えることはなくなったが、やはり狗巻達に対する態度のぎこちなさは否めない。もっと楽しく日常を送ればいいのに。そう思って気に掛けていても、おにぎりの具しか語彙のない狗巻に乙骨は中々心を開かない。

「真希ちゃんスパルタだもんね」
「しゃけ」

 クスクスと笑った縁の髪を狗巻は撫でた。自身を気に掛けてくれた縁は、きっと乙骨のことも気に掛けているだろうと狗巻は思った。実際、縁は真希にしごかれた乙骨にタオルを渡したりして話しかけている。そのため、乙骨も縁には口数が少し増える。だからといって、嫉妬心は湧かない。友達が出来ることの楽しさを高専で経験できるのならいいことだろう。

「私も頑張らないと」
「おかか」

 狗巻は縁の頬に手を添えた。その手の感触に擦り寄るように顔を傾けられる。視線は真っ直ぐ狗巻へと向けられている。それは昔と変わらない。ずっと一緒。自身が望んだ通りのままだ。解呪の話が上がっても、縁は首を振って不要なのだと周りに伝えた。狗巻以外の人間に触れられる必要はないのだと。その時狗巻は全身が痺れるほどの興奮を覚えた。これ以上の幸せはなかった。だから、狗巻は語彙がおにぎりの具だけに縛ってしまっても、気にならなかった。

「いくら」
「も、もうすぐ授業始まるよ」
「おかか」

 まだ大丈夫。遅れても別にいいだろうと思いながら狗巻が言えば、縁は困ったように眉尻を下げた。

「パンダくんに揶揄われちゃうよ」
「おかか」
「真希ちゃんに怒られちゃうし」

 そう言いながらも縁は狗巻の手をどけない。親指でゆっくりと唇をなぞると、一瞬で頬を紅潮させた。少し潤んだ瞳を見て、狗巻はここが学校であること、午後の授業がまだあることに舌打ちをしたくなった。

「こんぶ」

 狗巻は顔を上へ向けさせた。唇を合わせれば、ふ、と縁の鼻から空気が抜けるのが聞こえた。唇を少しだけ甘噛みしてから、ゆっくりと離した。学校には相応しくない色の目に、狗巻は満足する。

「とげくん」

 甘い響きのある声と蕩けた視線に狗巻は口角を上げた。

「いくら」

 あとで。そっとネックウォーマーを上げて一言答えれば、縁はコクリと頷いた。さらりと頭を撫でて、再び手を取った。自分のものだと、その手を引きながら狗巻は思う。皆の前でキスをすれば、転校生の乙骨にも二人の関係がすぐ理解出来るだろう。しかし、縁が怒る可能性がある。怒ってもすぐに許してくれる自信はあるが、こんな蕩けた可愛い顔を他の人間に見せるのは不本意だとも狗巻は思う。どうせならパンダも真希も驚くようなサプライズがいいと思った。

「棘くん、なんか、悪いこと考えてる?」
「おかか」
「ほんとに?」
「しゃけ」





2022/10/23

屋烏之愛:溺愛、盲愛、偏愛のたとえ。




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