単独任務から帰り高専へ続く石段を登る途中で、夜も遅く暗い木々の中に人影を見つけ足を止めた。座り込んでいる人物は、突然クラスメイトになった一人だった。

「お、つかれさま」

 僅かに顔を上げた少女は、荒い呼吸を抑えながら呟いた。

「任務?」

 あまり話したことのない相手に「ああ」と短く返した。

「こんな時間まで、大変だね。怪我は?」

 その言葉に驚いた。人見知りなのか、お喋りな幼馴染が先に口を開くからなのか。一条縁という少女は出会った時からあまり喋らない。「ねぇ」と質問に答えた。
 学校の屋上で五条先生に投げられた小さな体を受け止めたときのことが、ふと頭に浮かんだ。震えながらも幼馴染を呼び、見知らぬ男から救おうと向かって行った。そんな健気な姿は、宿儺の器となった虎杖を追いかけ東京に来ても変わらない。

「・・・こんな時間に、何でここに?」

 一条は乱れた呼吸を整えるように大きく息を吸った。

「体力、つけようと、思って」

 自主練をしていたらしい。術式は持っているらしいが、つい最近まで呪術に関しては素人だった彼女は、自ら望んで高専に来たわけではない。それでも努力をする姿勢は、やはり健気だと思う。そんなに大事なのか。善人らしく大きく口を開けて笑うクラスメイトが脳裏に浮かぶ。羨ましい。ふと頭に浮かんだ言葉に、慌てて頭を振った。自然と手が拳を握る。そんなことを思う権利など自分にはない。



そのままで、君にはいてほしい





「不機嫌だね、縁」

 五条の言葉に伏黒は視線を縁へと向けた。僅かに下がった口角は、不満を露わにしている。

「別に」
「縁は笑ってた方が可愛いよ。ほら、スマイル、スマイル」

 両手の人差し指で縁の頬を引っ張る五条に、縁は不愉快そうに眉間に皺を寄せ、その手を払った。ぺちんと音を立てた手を「ひどーい」と大袈裟に言いながら撫でる五条に、伏黒は溜息を吐いた。

「…虎杖達も一緒でもよかったんじゃないですか」
「二級の任務だもん。悠仁達にはまだ早いんだからしょうがないでしょ」

 なら何故彼女を連れてきたのか。伏黒は眉間に皺を寄せた。

「じゃ、二人でちょっと待機ね。その辺の喫茶店入っててもいいけど、あんまり遠く行かないように」
「ちょ、どこ行くんですか?」

 スタスタと歩き出した相手を慌てて引き止めるように問う。五条はヒラヒラと手を後ろ手に振り「野暮用」と真実味のない適当な一言だけ残してその姿を消した。マジか、と伏黒は二人きりにされた状況に顔を引き攣らせた。

「そこでいい?」

 縁は道の向かいにある喫茶店の看板を指した。伏黒は「え」と小さく驚きの声を漏らすが、縁はすでに左右を見渡して車道を渡り始めている。慌ててその背中を追いかけ、木製の看板のぶら下がる店へ入った。
 店の中は薄暗く、新聞を手にした男性客が一人いるだけだった。昔からやっている雰囲気のある店内はコーヒーの香りが漂っている。猫足のアンティーク調の椅子に目を奪われた縁は、感嘆の声を小さく上げた。カウンターの中から白髪の老人が好きな席を選ぶよう告げ、二人を迎え入れた。伏黒は窓際を選ぶべきだろうかと迷ったが、置いて行った教師に気遣う必要などないだろうと考え直した。縁を見ると、縁は少し奥まったソファの置いてある場所を指した。

「あそこでもいい?」
「ああ」

 少し嬉しそうな雰囲気を感じ、伏黒はホッとした。同時に意外に思う。ラミネートされていない目の粗い紙のメニューに視線が向いている縁から五条に向けていた刺々しさは消えている。

「コーヒーの種類がたくさん」

 田舎の方がこういう古い喫茶店はあるんじゃないのか。伏黒は珍しい物を見るような縁の様子に首を傾げた。初めて縁に幼さを感じた。まさか自身の前で素の姿を見せてもらえるとは思わず、伏黒は僅かに目を見開いた。

「どうしよう」

 迷っている様子に虎杖ならどうするだろうか、と伏黒は考えた。きっと迷っているのを二つ選ばせるのだろう。そして、味見をさせて、好きな方を選ばせるのだろう。もしかしたら、半分ずつ飲むかもしれない。しかし、自身は虎杖ではない。縁が自分と飲み物をシェアしたいと思うかと問われれば、喜ばないだろうと伏黒は答える。

「やっぱりカフェオレにしようかな」

 縁の呟きに伏黒は店員を呼んでもいいか確認すると縁は頷いた。老人がカウンターから出てくると、ブレンドとカフェオレを注文した。

「ドラマに出てきそう」

 ぽつりと店内を見回しながら縁が呟いた。伏黒はいつもよりテンションの上がった様子に内心驚いたまま「そうだな」と頷いた。

「伏黒くん、似合うね」
「似合う?」

 何の話かと首を傾げる伏黒に縁は、うん、と頷いた。

「こういうお店、っていうか、雰囲気っていうか」

 喫茶店に似合う似合わないもないだろうと伏黒は思ったが、口は閉じたまま縁を見ていた。

「落ち着いてて、ホッとする感じっていうか。なんか、伏黒くんみたい」

 縁は伏黒を少し見てから、また視線を店内へと移した。飾ってあるレコードやアンティークのランプなど、視線は忙しなく動いている。伏黒は自身の心臓が速く感じた。縁がそんなことを言うとは思わなかったのだ。自身に心を許すような言葉に、とても驚いていた。そして、視線をテーブルの上に置かれた水の入ったコップへ下げた。
 恨んでいないのか。口から出そうになる問いかけは、口に出す勇気が出なかった。
 自身の弱さが全ての原因だ。あの時、自身が強ければ、虎杖は宿儺を取り込むことはなかった。あの時、自身が強ければ、縁が戦うこともなかった。そんな状況を作った自身は縁に恨まれていても仕方がない。そう思っていた。そして、いざという時、虎杖に何かあれば、自身が責任を取る。そうなれば、縁は確実に自身へ憎悪を抱くだろう。それも伏黒は覚悟していた。

「・・・一条も似合ってる」

 運ばれてきたカフェオレを手にした縁に伏黒は言った。口にしようとしていたカップから縁は視線を伏黒へ向けた。

「お店?」
「ああ」

 ふふっと縁は笑った。その笑顔を見て、可愛い、と伏黒は思った。そして、すぐに自身の思考を誤魔化すようにブレンドコーヒーの入ったカップに口を付けた。





2022/07/11
伏黒夢か?




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