その手を取った意味は





 玄関の戸を開けた瞬間からびっしりとお札の敷き詰められた廊下は異様な光景だ。ジジィ共が秘匿死刑者を隔離する部屋だって、その部屋にしか札は貼っていない。ひんやりとした空気で溢れた部屋を進めば、ぎしりと古い床板が音を立てる。怯えながら前を歩いていた男がゆっくりと一番奥の部屋の戸を開いた。
 部屋の中央に膝を抱えて丸くなって座っている少女は微動だにしない。その手足には子供には不釣り合いな金属の枷が掛けられている。やりすぎじゃね、なんて廊下を見た時同様の感想が浮かぶ。一歩部屋に入れば、バチンと部屋の札が音を立てた。

「よお」

 軽く声をかけると、ゆっくりと膝に埋めていた顔を上げた。深紅の瞳はどこか虚で俺の足元を見ている。ぼーっとした視線は上へ上がらない。言葉を持たないという話は聞いていない。

「今度は何をえばいい?」

 子供らしからぬ問いかけは、とても小さな掠れた声だった。普段から人と接することはなく、話すこともないのだろう。久しぶりに使ったであろう声帯はうまく機能していなかった。返事をせず、少女を観察する。少しでも握れば折れそうなほど細い腕と足は、充分な栄養が取れているようには見えない。少女の体はおそらくその年齢よりも幼く見える。さらりと髪が揺れ、胸あたりまで視線が上がると、僅かに目が揺らぐ。

「…この前の」
「五条悟」

 簡単な自己紹介をすれば「ごじょうさとる」と小さく繰り返した。

「六眼の子供か」
「へえ、知ってんだ」

 意外だと思った。クズのようなこの家の人間がゴミみたいな扱いをしている相手に世の中の話をしているとは思わなかったからだ。とはいえ、自分よりも年下の子供に『子供』と呼ばれるのにはなかなか違和感があった。

「昔五条家へ行く、と外が騒がしかった」

 『外』というのはおそらく母屋の方のことだろう。まあまあな距離があるけど、聴覚か視覚か、何らかの方法で外部の様子がわかるらしい。有能じゃん。そんなことを考えながら、見た目よりもしっかりした受け答えに感心する。

「六眼の子供が『蠱毒の化物』を祓いに来たのか?」

 俺の目を赤い目はまっすぐ捉えた。僅かに口角を上げてどこか期待するような眼差しに、腹の奥から込み上げてくる不快感を押し留めた。



 山奥の廃病院での簡単な仕事だった。なんとなくすぐに帰る気分ではなく、困っていることを隠さない補助監督を置いて歩き出した。人のいなくなった村の中を歩いていると妙な気配を感じて、そちらへ足を向ける。報告にない呪いでも出たか。
 爆発音が聞こえ、足を速めると、木々が消えた。開けた土地の中央には呪霊が複数体居た。

「ご、五条悟?!」

 横へ視線を動かすと、地面に座り込んだ男がいた。呪術師か。擦り傷くらいしかついていないように見える男は「し、失礼いたしました、五条様」とおどおどとその姿勢を低く俺へ手をついた。

「あれ、なに?」

 俺の問いかけに男は固まった。轟音と共に土煙が上がった。その中央には大きな呪霊と小さな子供。

「最後だ」

 血だらけの子供が言うと、呪霊はニタァと笑った。刃のように鋭くした腕を振り上げ、それを小さな体の腹に突き立てた。血飛沫が辺りを赤く染める。ゴボッと子供が口からも血を吐き出す。駆け寄ろうとすると男が「あれに近づいてはいけません」とどもりながら止めに入った。突然止めた男を睨むと、ひ、と情けない声を出した。

ってやる」

 そう言った子供は、呪霊に齧り付いた。肉が切れるような音が聞こえ、それを咀嚼し飲み込んだ。すると、呪霊は叫び声を上げ、腹へ突き立てた腕から子供の腹へと吸い込まれていく。なんだ、あれ。

「まずい・・・」

 ぽつりと呟いた子供がゆっくりとこちらを振り向いた。真紅の目が、俺を捉えた。
 あれは、なんだ。呪霊の気配のする子供。同時に、人間の気配のする子供。混ざり合ったそれは、今まで見たことのないものだった。六眼で見れば複数の術式が刻まれている。そんな人間は今まで見たことがなかった。虚ろな目が俺を見ていたのは一瞬で、すぐ男の足元へと視線を移した。
 血だらけの体は、ふらりふらりとこちらへ歩みを進める。しかし、それは男によって止められる。男の指示通りに子供は立ち止まる。まるで人形のように。

「見苦しいものをお見せ致しました、五条様」

 頭を下げていう男がさっさと帰ろうとしているのがわかり、声をかける。

「なあ、俺の質問に答えないわけ?」

 冷たく男を見れば、汗をだらだらと流しているのがよくわかる。

「あれは、我が家の、使い魔のような、もので」
「ふーん」

 低く頭を下げた男が逃げたがっているのは火を見るよりも明らかだった。

「オマエ、何級?名前は?」

 一条家の者だと名乗った男が渋々答えたそれは、男にとても見合っているものとは思えず、へえ、と気のない返事を返した。いくら御三家の五条家の人間を相手にしているからと言って、そこまで謙る必要があるのだろうか。情けねえな。

「五条さん!」

 補助監督がぜえぜえ言いながら俺を呼んだ。同時に開けた土地と血だらけの地面に、うげ、と顔を顰めた。


 一条家には蠱毒術を持った子供がいると耳のしたのはつい最近のことだった。呪いを喰い、その術式を得るその子供の呪力が増えているため、近いうちに処分するべきかどうかという議論が上がっている。いつも通り、腐ったミカン共の胸クソ悪い話だった。
 数日前に見たあの子が、噂の子供だったのか。性別も分からないくらい細い体を思い出す。貫かれた腹の傷は手当てを受けたのだろうか。それとも、あの呪霊を取り込んだ時に治ったのだろうか。生気の抜けたような目は、この世界では珍しくもない。俺が気にかけるようなことじゃない。普段ならばそんなこと気に留めもしない。それでも、まっすぐと自分を見た瞬間だけは光が見えた気がした。だから、ただの興味本位だった。

「まさか」

 笑って否定する。

「お前をここから出しに来たんだ」

 まるで能面のように表情が消えた。

「何をわせたい?」

 再び陰る目に苛立つ。人の話、聞けよ。

「世界を見せたい」

 手を差し出しながら言えば、少女は大きく目を見開いた。息を呑み込んで固まった姿に、自然と口角が上がった。

「こんな陰気くさい、狭いところじゃつまらないだろ。世界は広い。俺はお前に無限にある世界を見せたい」

 俺の手から俺の顔へと視線が移る。

「俺について来い」

 止まっていた呼吸が小さく再開される。金属の擦れる音が聞こえると、傷だらけの小さな手が俺の手に重なった。





2022/06/29
シリーズ化するのか?




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