この子は温もりに飢えていたのですね。
そういうものは持っている者より持っていない者の方がよく知っている。
きっとこの子は人の温もりに敏感な子なのでしょう。
先ほどから泣き続けていた彼女がだんだんと落ち着いてきたのでゆっくり起きあがらせ背中に乗るように促した。
最初彼女は『汚してしまう』と言ってためらっていたけれど、大丈夫だと言えばおずおずと体を預けてくれた。
そしてゆっくりと村塾の方へ歩き出すと彼女はぽつりと訪ねてきた。
「いまからどこへ行くの?」
「私が開いている村塾です。あなたと同じくらいの子供たちがたくさん居るんですよ」
「たくさん………」
「みんないい子たちですからきっとすぐ仲良くなれるでしょう」
(それにあの子たちがこの子を放っておくとは思えませんしね)
ある三人の男の子たちを思い出して思わず零れた笑みを、彼女は不思議そうに見ていた。
「あ、そうだ。あなたの名前は何というんですか?」
「……名前…?知らない」
少し俯いてそう言う彼女。
名前を知らない、とは彼女の境遇が少し見えてきましたね。
けれど安心して下さい。もうそんなことで貴方を悲しませたりなんかしません。
「……そうですか。では、今から私と一緒に決めちゃいましょうか」
「え…っ」
だってそれはこれからの貴方にとって必要なものなんですから。
***
村塾、という場所に向かって歩く中、その人は私に名前をくれると言った。
正直おどろいた、自分に名前なんて考えてもみなかったから。
いままで私の名前を呼んでくれる人なんてだれも居なかったから、それを必要と感じたことがなかった。
そう伝えたらその人は少し悲しそうに笑ったから、今の言葉はもう言わないことにしようって思った。
この人の悲しそうな顔を見ると、何故か私も悲しくなってしまうから。
「さて、どうしましょうか」
うーんと唸るこの人を見て、私のために考えてくれているんだと思うとなんだか嬉しくて胸がむずむずした。
こんな感情はじめてだ。
この人は私に色々な初めての感情をたくさんくれる。
そんなことを思っていると突然その人は歩みを止めて、私の顔を見て言った。
「紫苑」
「え?」
「紫苑、なんてどうでしょう?」
「紫苑…?」
笑顔を携えた彼の口から発せられた名前を、何度か舌の上で転がしてみる。
(私の、名前……紫苑…)
ただただひたすらに嬉しかった。
初めて名を呼ばれたことでちゃんと私を求められてるんだって、そう思った。
と同時に、そんな綺麗な名前を私なんかが貰ってよいのかと恥ずかしくなったのも事実で、何も言わない私を見て勘違いしたのか。
「ごめんね、気に入りませんでしたか?大切な名前ですから、ちゃんと貴方が気に入るものにしましょうね」
そんなことを心底すまなそうに言うその人に私は慌てて答えた。
「ちっちがうよ!とっても嬉しくてっ、すごくきれいな名前だからそんな名前をわたしなんかがもらってもいいのかなっておもったの!」
今まで出したことのない位の大きな声に自分でもびっくりしたのだけど、彼は安心したように、そして嬉しそうにふわりと微笑んだ。
「貴方が気に入ってくれたならそれ以上に嬉しいことはありません。それに貴方はその名に負けないくらいとても綺麗ですよ、紫苑」
「っ、」
─────……こんなに汚れたわたしを綺麗だなんて言うあなたの方がよっぽど綺麗だよと、心の底からそう思った。
また泣きそうになっている私を見たその人が「紫苑は泣き虫さんですね」なんて言って小さく笑ったからから、私は頑張ってこらえてみたけれど、やっぱり嬉しくて少しだけ泣いた。
「…ねえ、貴方の名前は何てゆうの?」
「そういえばまだ言ってなかったですね。私の名は吉田 松陽と言います」
松陽、この人にぴったりの綺麗な名前だと思った。
「松陽…」
「はい」
「名前、ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
何もかもを貰ってばかりの私だから。いつの日か絶対、あなたに恩返しがしたいです。
あなたがくれたもの
それは名前と、今まで見たことのない色鮮やかな世界。それらを私にくれたのは、まぎれもないあなたなのだから。
「松陽はどうしてこんなにぽかぽかして、あったかいの?」
「ぽかぽか、ですか?うーん…まわりに居る人達がみんなあったかいから…ですかね」
「まわり?」
「あたたかいという気持ちは人から人に伝わるものなんですよ」
「ふーん……」