ずっとむかし、夜は好きじゃなかった。
くらくて、辺りがよく見えないし、とても寒かった思い出しかない。
眠たくても眠れなくて、怯えるわたしを見下すように空に浮かぶお月様が憎たらしかった。

だけどいつしか夜に独りぼっちではなくなって、お月様が優しい光をわたしたちに分けてくれていることを知った。
誰かが空をなぞって教えてくれた、星にも名前があるんだと。
いつから私は夜がこわくなくなったんだっけ。

ある日はみんなで空を見上げた。
とても優しい気持ちになれた。
思い出せば涙が溢れそうになる。
どうしたって大切な時間だ。

その時わたしはまだ独りじゃなかった。



指先で愛でたスピカ



「……、う」
「…………」
「ぎんちゃ…、うで、痛い」


そう言われてやっと腕の力が強まっていたことに気がついたらしい、銀時はあわてて紫苑の身体を離した。

胸を押さえて息を整える紫苑の姿を見て銀時の心拍数も落ち着いてゆく。
ふと、息をついた。


(あぶね…理性ぶっ飛ぶとこだった)


顰めっ面を掌で隠してひっそりとそんなことを思う。いつものようにできないのは戦場に向かう前夜だからか、銀時は妙に落ち着かない自分自身をもどかしく感じた。

それから少ししてようやく落ち着いたのか、ふいに自分のほうを見上げた紫苑に彼の肩がぎくりと跳ねる。


「…………」
「………………」
「…なにこの沈黙」
「銀ちゃんのせいだよ」
「……、そうか」
「………」
「っ〜…、悪かったっていきなり!だからこの空気なんとかしろ息苦しいんだよ!」
「ほ、ほんとに悪いって思ってる?!」
「は…、あ?」
「わたしがさあ!…もう!頭の中ぐちゃぐちゃ!訳わかんない天パもげろっ」
「いや訳わかんないっつかそれは俺のセリフ…つうかてめえさりげなくひでーこと言うなよ」
「ひどいのはどっち!」
「なに…おれ?」
「……わ…わたしが…すすす、…銀ちゃんのこと、どー思ってるか知ってるくせに、だ、だきしめるし、…ちゅーするし、わたしは…、…なにか忘れてる、みたいだし」


だんだん小さくなってゆく声と比例して紫苑の真っ赤だった頬も落ち着いてゆく。彼女がきつくくちびるを噛み締めたのがわかった。


「…だから、泣くなよ」
「くそばかぎんとき、…泣いてない」
「……わるか「謝ってほしいんじゃないもん」
「…じゃあどうすりゃいいんだよ」
「…………わたしだって分かんないよ」


いつのまにやら言葉に勢いは無くなって、ぼそぼそと呟くような声が彼の鼓膜に届く。
俯いているせいもあり、いま彼女がどんな顔をしているか、彼には分からないままだった。


「……ねえ、銀ちゃん」
「あん?」
「わたし悪いけど、そんな大人じゃないんだよ」
「へ?」
「情けないけどね、かんたんに気持ち切り替えらんないんだから」
「………」
「でも、本当に諦めつかなくなっちゃうから…、お願いだから、やめて」


紫苑はぎうと固くまぶたを閉じて、絞り出すようにそんなことを言う。
と同時に再びざわつきだす銀時の心中。
くちにしてはならないと決めた感情がのどを取り巻いて、首が締め付けられているようだ。
泣きたい、とはこういう時のことを言うのだろうかと銀時は頭の片隅で思う。視線は彼女から離さない。

するとふいに顔を上げた紫苑の瞳がそんな彼の瞳をうつした。
へたくそな笑顔を口元にうかべて。


「ごめん、やっぱりわたし銀ちゃんのことが好きだよ」


そう言って力なくかすれた声で笑ってみせる紫苑に銀時の胸がずきりと痛んだ。
ほら、こんなに、狂おしいくらいに愛おしく思うのに伝えられない。伝えるべきではない。
そう思っていた自分に疑問すらもつ。
本当にそうなんだろうか。
このまま目の前の少女にうそを突き続けることで、少女が傷つかずにすむと思ったのは正しい判断なんだろうか。

せめてと言わんばかりに投げ出されていた彼女の手をとったのはほとんど無意識のうちだった。


「!」
「………」
「……ど、どうし」
「…お前、手えちっちぇのな」
「え…あ、そりゃあ…みんなと比べれば、いちおう女だし」
「は、自分でいちおうって…」
「う…だって……」
「…ほんと、ちっちぇ」


きゅうと絡めた指先と、自分のものより柔らかくてすこしひんやりした小さな手のひらが心地良い。
紫苑がびくりと肩を揺らしたのを見て銀時はわずかに目を細めた。


「…こんな手で、あんな重てえもん振り回してんだなあ」
「だ、だからこーゆうの…」
「……なに?」


いつもとは違う、囁くような銀時の声を聞いて、紫苑はまた泣きだしそうな顔をして彼のほうを仰ぎ見る。
その表情が銀時の欲情をさらに煽るとうことを彼女は知らない。


(お前こそ、そーゆうの止めろよ)


背筋がぞくぞくする。
目の前の少女がたまらなく欲しい。今度こそ理性なんてもの投げ出してしまおうか。


握った手を強く結びなおして、銀時はしずかにゆっくりと、くちびるを彼女のそれへと近づけた。
一方で紫苑は目を見開いたまま、ぴくりとも動かずに硬直している。

けれど冷えたくちびるが熱に触れる、その直前、銀時は薄く開いていたまぶたを大きく上げて動きを止めた。


(……何やってんだ、おれ)


その時彼の脳裏に浮かび上がったのはいつかの夜のこと。傷つけて、泣かせた。


「……銀ちゃん、銀ちゃんはなんにも悪くないよ」

「銀ちゃんのことが、すきだよ」



きっと怖かっただろう、それでも紫苑は伝えてくれたのに。おれは、言わなかった。
どうして。
そうだ、言ってしまえばこいつがまた苦しむと思ってた。
あんなことした俺に伝える権利なんてないと。
だけどその結果がこれだ。現に紫苑はいま辛そうにしているじゃないか。
そして俺はまた何も伝えないまま同じ過ちを犯そうとしている。

なんだ。俺は、こいつがどうとかそんなんじゃなかったんじゃないか。
おれは、ただ、


「銀ちゃん…?」
「……なあ。あした、最後の戦が終わったらまたここに来てくれねえ?」
「え…」
「半日だけでいい、もし俺が来なかったらそのまま江戸に向かってくれ」
「そっ…そんなのやだ!江戸に下りるならみんなで行こうよ!」
「俺たちも行くっつうの。ただみんなでってのは無理だから、ばらばらに行くだけだ。お前も半日たって俺が来なかったら先に江戸で待っててくれ」
「…わかった。じゃあ私が来なかった時も先に行っててよね」
「ああ。………紫苑」
「なに?」
「…………ごめん、な」
「え…?」


これから先も一緒に居られる保証なんてどこにもない。
生きるか死ぬかの瀬戸際で生きてきた彼らにとってはいつものことかもしれないが、今度ばかりは少しちがう。

死ねばもちろんのこと、万が一生き残ったとしても今まで通りそばに居ることができないかもしれないのだから。

でもそれならば、最後くらい。と、そう思ってしまう弱い自分が情けない。
それでも伝えたい。

お前をたくさん傷つけた、そんな俺をも救ってくれたお前に。
すきだと言ってくれたお前に。






「今度こそ、ちゃんと言うから」







おわりの音が近づいてくる。
目を丸くして銀時を見つめる紫苑の瞳には月明かりに照らされた銀色。
ゆるやかに弧を描いた唇を見てただただ綺麗なひとだなあと、そう思う少女はこの夜に恋をした。

ずっとこの時間が続けばいい。
彼と、彼をとりまく優しい夜とずっとそばに在りたいと恋い焦がれた。

そうしてふと紡がれる少女の疑問がひとつ。

明日の夜。わたしはまだこの世界にいるのだろうか。



 
back



第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -