俺たちが失ったあの人は俺に剣の振り方を教えてくれたひとだった。
ずっと独りきりだった俺に誰かと共に生きることを教えてくれたひとだった。
世の中に忌み嫌われていた俺すらも受け入れ、背負ってくれた大きな背中と深い懐をもつひとだった。

叶うなら俺だって、あのひとがくれた世界ごと全部、あのひとを護りたかった。


俺だってちゃんとあのひとに、生きていてほしかったよ。



***



「紫苑、起きてるか…?」


子の刻も超えたころだろうか。
桂や高杉、他数名の隊士たちが眠りについているだろう境内とはまた離れた位置にある小さな部屋。その襖の目の前に銀時は立っていた。

夜、少しひとりになりたいと言った紫苑が使っているであろう部屋だ。


「………寝てる、よな」


銀時はそう呟くと背中を襖にあずけ、そのままずりずりと座り込んだ。少し肌寒くなってきた空気に身を震わせ、ひっそりと息をつく。


「…さっきは怒鳴って悪かった」


誰に言うでもなく、消えるような声でそう言った。
月がやたらと大きく見える今日のような夜は、ふしぎと時間の流れを遅くかんじる。それがまたもどかしくて、まるで自身を落ち着かせるかのように銀時はひとりまぶたを下ろした。


(………畜生、とおい)


朝はまだとおい。
過去は、遥かにとおい。
こんなに近くにいるはずの彼女さえ、どうしてこんなにもとおく感じるのか。

けれど彼がそう思った瞬間、背にしていた襖がふわりと重さをもった。
はっと目を見開いた銀時は思わず振り返る。


「…っ、」
「夢をみたよ」
「…………」
「だれかがね、わたしの腕をひくの。こっちだよって、夜みたいに真っ暗な道をまっすぐ。そしたらその先に銀ちゃんや晋助や小太郎、辰っちゃんがいた」


あまりにも唐突に発された紫苑の声が背中あわせに襖一枚を通して銀時に届く。しんとした夜にまるで世界でふたりきり。夢を語る少女の声は迷いなくまっすぐだった。


「そこで私はああよかった、もうひとりぼっちじゃないってほっとするの。そしたら手を引いてくれてたその人はわたしの手を離して、よかったねって笑ってくれる。わたしも嬉しくて一緒に笑って、それから」
「……………それから?」
「……その人は笑って、きえちゃうの。一緒にみんなのところに行こうって言うまえに、うそみたいに、溶けてくみたいに」
「…………」
「夢の中の私はくるしくて泣いてたのに、目が覚めたらもうなんで泣いてたのか分かんなかった。何がくるしかったのかも、何も分かんないの」
「……………、」
「銀ちゃん、わたしなにか忘れてるの?どうして顔も分からないのに、あの人の笑顔だけ目に焼き付いて離れないの?」
「……っ、」
「こわいよ、私…なにか、とても大切なこと忘れてるみたいで、こわい…、っ」


だんだん小さくなっていく声、語尾が震えた。泣いているのか。そう思い堪えきれずに開いた襖の向こうで紫苑は銀時を見上げていた。

紫苑は泣いてはいなかった。
だけど、その目が。


「……銀ちゃ「なんでだよ」
「なんでおまえが…また、っ」


どこかで見た。孤独と僅かな戸惑いを含んだ、暗くて冷たい目。ああ、そうだ。
こいつを初めて見たときそう感じた。
俺はこの目を知っている。


「なんで、おまえなんだよ…っ」
「…銀ちゃん」
「お前が、俺達が、何したってんだ」


なあ、俺は今も昔も弱くて、自分の大事なもんすら護れなくて。

だから俺だって何度忘れちまいたいと思ったか知れない。
それでも忘れることができなかったのは、おまえらがいつまでも俺のとなりで過去の記憶を美しいままに残してくれていたからだ。

なのに、あんなにあの人を、あの人と過ごした過去を愛していた紫苑がそれを忘れちまってるなんて、やっぱりどうしたって信じられない。

信じたくなんてねえんだ。



だけど、












ぎうと、きつく抱きしめられた少女は彼の腕の中でゆっくりと瞼を下ろした。
目尻からかすかにこぼれ落ちた涙はどちらのものか。

さいごの朝は共に迎えよう。
たったひとつ、少女の記憶すら置いていって。
さようならの声すら届かない闇の中、それでも彼は少女の手を離すことはなかった。


こわいはきみと


今も眠り続けているあの頃のきみを、いつかきっと、迎えにゆくから。

それまでどうか待っていて。

どうか消えてしまわないで。


愛おしげに紫苑の額に口づけを落とした銀時はそんな願いを込めて、腕の中の小さな身体を抱きしめる力をまたひとつ強くした。



 
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