夜の闇に紛れてどこからか響く虫の声。聞き慣れたそれが銀時の鼓膜に届いた。
耳をすませば懐かしい記憶が廻るというのに、瞳が映し出す現実はやはり現実のままで、まぶたがひどく重たいのは何故だろう。


「またてめーかよ」

「…お前がわざわざ俺んとこに来るなんざ明日は雪でも降るんじゃねーの?」

「てめーがいるって知ってたらわざわざ屋根なんかにゃ登らねえよ、さっさと寝やがれ天パ」

「お前こそ早く寝ねーと背伸びねーぞ」

「死ね」


ぷいと顔を反らした二人の間には大きな空間が広がっている。おなじ風が二人の髪を揺らして過ぎていった。
そんな中おもむろに口を開いたのは銀時のほうだ。


「…高杉よお、おまえは昔からいっつも飄々としてて気にくわねえわ」

「そりゃこっちの台詞だ」

「いまも、さっきも」

「………」

「………あいつが、先生のこと覚えてないって言ったときも」




「お前何ふざけたこと言ってんだよ!」

「銀時やめろ!」

「おちつけ馬鹿野郎が」

「るっせえ離しやがれ!冗談でも笑って言っていいことと悪いことがあるだろうが、っ」

「お前には紫苑が冗談を言ってるように見えるのか?!」





「あいつ、本当に…」

「……ありえねえな」

「けどお前もあいつのあの顔見ただろ」

「俺たちのことは覚えてんだぞ。村塾のことも。先生が存在した記憶だけごっそり無くなっちまうなんざ普通じゃねえ」

「普通じゃねえことくれえ分かってら」

「………」

「ふつうじゃねえ、誰かがなんかしたか言ったんだ。…紫苑に、っ」



「銀ちゃん、晋助、小太郎、先生、村塾の子たち。みんなが私の居場所だから、だから私がみんなを護るの!」

「せんせい、ってなに」




「…ちくしょう。いつからだ…っ」

「分からねえ、が………仮にだ、」

「?」

「仮にあいつが本当に忘れちまってんだとしても、あいつがそれを望んだんならこのままでもいいんじゃねえのか?」

「…いまなんつった」

「あいつが先生のこと無理に思い出す必要はねえって言ったんだ」

「テメェ自分がなに言ってんのか分かってんのかよ!」


いつの間にか詰まっていた二人の距離と、高杉の胸ぐらを掴み上げる銀時。
ふだん死んだ魚のような目をしているそれは今、轟々と怒りを灯している。
しかし一方で高杉はというと、まるで何でもないような素振りで銀時を見下し、そして呟いた。


「……それがあいつの願いならそれでもいいじゃねえか」

「っだから、ありえねえだろ!あいつにとって先生はっ」

「んなこと知ってる」

「じゃあなんでだ!紫苑が自分であの人のことを忘れようとしたなんてあるはずねえだろ!」

「何故お前がそう言い切れるんだ、銀時よォ。お前がいちばん分かってんじゃねえのか。先生を失って、俺たちは世界を呪った。それが俺たちだけじゃねえことも」

「……!」

「…もしあいつが、苦しいなら。先生を思い出しても辛いばっかだってんなら。もう、いいだろ」

「高杉、てめえは………てめえは本当にそれでいいって思ってんのか」

「……、俺ァもうこれ以上あいつの苦しむ姿見るのなんざまっぴらなんだよ」


消えるような声でそう呟くと、歯を食いしばってやるせない表情を浮かべる高杉の姿を見て、銀時の手の力が弱まった。とたんに彼の手を払いのけ、高杉は立ち上がる。


「…とにかくだ。てめえに今できることなんざ、せいぜい明日に備えて刀の整備でもしとくことくれえだ」

「………」

「次で最後だと、ヅラが言ってただろうが。辛気臭え顔してんじゃねえよ」

「……は…、何だよ。もしかして励ましてくれてんの?」

「そのふざけたこと抜かす口ごと今すぐぶった斬ってやろうか?」

「…遠慮しとくわ」


その後、高杉が去ったあとも銀時はひとり夜空の下にいた。
ずっとずっと遠くの空を見て、届かない声で問いかける。


「…なあ辰馬、おまえはどう思う。先生と逢ったことのねえ…おまえは、」


そんな問いかけに返ってくる言葉はなくて、はたと我に返った銀時は己の情けなさに苦笑を漏らした。
どうしたっておまえには何もできないだろうと、先ほど高杉に告げられたばかりだというのに。


「……俺ァだめだ。高杉が言うことも分かるってのによ…俺にゃああの頃の思い出がでかすぎて、何が正しいとか、もうわかんね」


あんな顔をする紫苑を二度も見ることになるなんて思ってもみなかった。前に一度、あいつにひでえことしちまった時に見たあの顔。真っ青になって怯え悲しむ、あの顔。

明日ですべてが終わる。この地獄のような戦場に立つこともなくなるかもしれない。そんな淡い希望がすぐそこまで来ているというのに。


「なんだって、こんな時に…。こんなことになっちまうかなあ…、」


黒の


どうしたって痛むから。いっそのこと今日のことなんて忘れてしまいたい。
そう思ったら高杉が言っていたことの意味がやっと分かったような気がして余計に辛かった。



 
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