桂の一喝で跳ね起きた紫苑と、桂に足蹴にされるまで起きる素振りすら見せかった高杉は今二人して桂に見下ろされ、ピリピリした視線を浴びせられている。
「…ご、ごめんなさい」
「まったく…、銀時ならともかくお前が目的を忘れてしまっていたとは思ってもみなかったぞ」
「…はい」
「まあ…そのことについては叱るつもりなど無いのだがな」
「え、なんで…」
彼の視線から逃れようとずっと俯いていた紫苑は、桂の言葉を聞いたとたんに思わず顔をあげる。するとそこにはクロを抱き上げている桂の姿があった。
「…こいつを見つけてくれたのだろう?ちゃんと仲間を連れて帰ってきたお前を叱る理由などないからな」
「こ、小太郎…っ!ありが…」
「俺が怒っているのはそういうことじゃないと言ってるんだ」
目を輝かせて感謝の言葉を唱えようとした紫苑の動きがまたもやピシリと音をたてて止まる。
クロを抱えた瞬間の桂の笑みはどこへやら。濛々と漂う息の詰まるような空気は未だ健在である。
「…この庭の惨劇はなんだ。どうやったらこうなるのか説明してもらおう」
「ええっとこれは晋助が…」
「ああ?ここの木の幹へし折ったのはおめーだろうが」
「それを言うならここの壁に穴あけたのは晋助でしょうが!」
「……紫苑、高杉。他にも何か言い残したことはあるか?」
「わああごめんなさいいい!ほら晋助も早「俺は別に悪くねえ」
その直後、ぶつんと音をたてて切れた堪忍袋の緒が誰のものであるなど言うまでもない。
***
「げ、もう日が暮れる」
一方で拠点の外、一人そう呟いて廃寺目の前の石畳の階段を登り始めたのは銀時だった。
ふいに見上げた空が赤みを帯びているのを見て彼は思わずため息を吐き出す。
「あいつらもう帰ってんのか……ん?」
ふと視界を掠めたそれに目を向ける。
薄く黒ずんだその本は、まさしく彼らが幼い頃胸に抱えていた教本だ。
師からもらい受けた、形として残る数少ない思い出のひとつ。
「何でこんなとこに…つーか誰のだ?」
高杉はいつも大事そうに懐にしまってあったので落としでもしたらすぐに気づくはずだ。桂はそもそも物を落とすなんてドジは滅多にしない。銀時自身のそれはというと今自分の懐にきちんとある。そうなると残るはただひとり…。
「………紫苑の?」
それこそ有り得ないとは思う。けれどもしそうであれば今とても焦っているだろうと、銀時はその本を持って紫苑の姿を探し始めた。
本当に彼女のものであった時はからかってやろうなどと思うほど、彼にとっては軽い気持ちであった。
そんなはずだった。
***
「えー…これ何て状況?」
「あ、おかえり銀ちゃん」
「ただいま…じゃなくてこれ何。何してんのこいつら」
「手合わせじゃないかな」
「いやいやいや真剣使ってる上に殺気むんむんじゃねえか。どこの国の手合わせだ危険すぎるだろ下手したら死ぬぞ」
紫苑の姿を見つけて縁側えと近づいた銀時は呆れたようにそう言ってもはや戦地と化した庭を眺めると、頬杖をついたまま二人を見守っている紫苑の隣にどかりと腰を降ろした。
「お疲れ様ーそういえば遅かったね」
「まーな」
「どうだった?」
「んー、ノーコメント」
「……そっか」
「お前の方は?」
「聞きたいっ?!」
「お、おう。なんだよいきなり…」
「クロがね、見つかったの!」
「…は!?まじでか!」
「うん!」
「暫く見かけて無かったもんだからもう戻らねーと思ってたけどなあ…、そっか。良かったな」
そう言って微笑んだ銀時に紫苑も微笑み返した。久方ぶりの銀時との二人の時間に彼女の心は安らいで、じんわりと胸が熱くなった。
「おい、まさかお前ら俺たちのこと忘れちゃいねえよな?」
「あ?」
「おつかれ晋助、小太郎も!」
「俺はまだやり足りんがな」
「んだと?やるか?」
「やーめーてーよー、もう二人ともボロボロでしょ!」
何とかして二人を宥めようとする紫苑を眺めながら、銀時は先ほど拾った教本のことを思い出してぽつりと呟いた。
「そーいや落とし物…」
「ん?どしたの銀ちゃん」
「お前なんか落としてねえ?」
「え、私?」
それを聞いてへらりと笑みを浮かべた銀時は教本を顔の前に掲げて紫苑にそれを見せつける。
それを見た高杉と桂はあ、と呟いて互いに掴んでいた襟元から手を離した。
「これ。お前んじゃね?」
「あ!うん、私の!落としてたんだね、気づかなかった」
「ったくやっぱりか…てめーこれすげえ大事にしてただろ。先生に戦ってるとこ見せたく無いとか何とか言って、ぜってえ戦にも持っていってなかったほどのもん落とすか?普通」
ため息を付きながらそう言った銀時に紫苑は首を傾げた。つい反論してくるだろうと予想していた銀時は彼女の予想外の反応に頭上に疑問符を浮かべる。
「銀ちゃんなに言ってるの?私がその本拾ったのってついさっきだよ?」
「………、は?」
「前の拠点のそばに落ちててねー…」
「なに…言ってんだお前、」
「?」
その瞬間。銀時は、桂は、高杉は、三人して殆ど同時に目を見開いた。
いくら彼らが紫苑の目を見つめても彼女が冗談を言っているようには到底見えない。
「てゆうか先生って、…何?」
首を傾げて尋ねられたその言葉に三人は声を失った。
そして少女は微笑んだ
困ったようなその笑顔に、返す言葉も見つからない。