「酔狂な男だ。自ら殺されに来るとは」
「…、聞こえねぇのか」
「なんだと?」
「そいつを返せって言ってんだよ」
「そんなにこの女が大事か?」
「黙れよ、それ以上汚ねぇ手でそいつに触れたらぶっ殺す」
「…ほう、」
それを聞いた男は何を思ったか、銀時に向けてにやりと笑ってみせると、横抱きにしたままだった紫苑の体をぐいと己に引き寄せた。
「…!、てめぇ…!」
「どうした。殺すのではなかったのか」
「……っ、」
「そもそもお前のその身体で何ができると言うのだ。…たかが人間風情の死にぞこないが」
そう吐き捨てた男の目に映るのは全身を赤く染め、見るからに立っているだけでもやっとというばかりの銀時の姿。
「無様だな、白夜叉よ。今のお前に護れるものなど何もない」
「………」
「そもそも血で汚れたお前のような鬼なんぞに…女を抱ける手などありはせん」
男の口から嘲るようにして吐き出される言葉たちは、どれも銀時の心中を抉るものばかり。
それを黙って聞き入れる銀時は顔を伏せたまま、表情は見えない。
「お前には何もないんだよ、白夜叉」
「……、ねぇよ」
「何か言ったか?」
「…確かに、俺はそいつを抱けるくらい綺麗でもねぇし、そんな権利もねぇよ」
「ふん、よく分かってい…「けどな」
「だからって、何もねェってわけじゃねーよ」
「…………」
顔を上げた銀時の目は辺りに散る炎のせいか揺れる赤色を携え、まっすぐに男へと向けられている。
痛々しい姿で、それでも刀を構えて。
そして信じられないことに、彼はにやりと笑ってみせたのだ。
「…俺は紫苑を護る」
「……」
「そいつのことを護れるんなら他のもんなんざ何もいらねェ」
「……ほう、」
「そのためなら俺ァ…、たとえバケモンと呼ばれよーが、そいつに触れる権利ってのを無くそーが、…構わねえよ」
「クク、…ハハハッ、酔狂な男だとは思っていたがここまで来るとただの馬鹿だな。それでお前は何を得る?」
「何を得る…か。そうさなァ、そんな大層なもんはねェが…果たせる約束がひとつ増える」
嗤う男とは裏腹に、銀時は落ち着いた様子で、至極穏やかに言葉を並べてゆく。
その言葉が向けられる先はもちろん、目を閉じたままの紫苑で…─
「また五人でお月さん見に行くってな」
言葉の終わりと同時に銀時は駆け出す。
刀と刀がぶつかり、高い金属音と肉が千切れる音。連鎖する咆哮。舞い上がる血潮。
まともに動かないはずの彼の右足はそれでも尚きちんと地面を踏みしめ、蹴り、跳躍していた。
しかしいくら白夜叉と怖れられる銀時もやはり人間。限界が来るのは当然のことだ。
次第に増えてゆく刀傷に身体中から血を滴らせながらもなんとか立ち続けていた彼だが、背中を斬りつけられた拍子にとうとう地面に倒れ込んだ。
両の目の瞳孔は開き、体は小刻みに震えている。
「ハッ…ハッ、っあ…ぐ、」
「なんだ。もう限界か?」
「…る、っせえ、よ、偉そうに…てめぇは何も、してねェだろ…が、」
「好きなだけほざけ。これで所詮貴様はその程度だったということがよく分かっただろう?」
銀時のまわりにわらわらと蟻のように集まってゆく天人たち。
それを見ながら彼は小さく舌を打った。
(畜生…、体中が悲鳴上げてらァ)
刀を握ろうにも力が入らない。
遠くで未だ目を瞑っているままの紫苑が、霞みゆく視界の中で確かに見えた。
「…わりぃ、紫苑」
なけなしの衝動
そうしていくつもの刀が己に向けて振り翳されるのを、銀時は目を瞑ったまま黙って受け入れる。
だがしかし次の瞬間襲いかかってくるだろう痛みよりも早く、彼に届いたのは、刀と刀がぶつかる音。
あの独特の金属音だった。