裏山とは拠点である廃寺のすぐ近くにある山のことで、緊急時には必ずそこに逃げ込むことになっていた。
それは複雑に入り組んだ木々やその広大な面積を配慮した結果、桂が提案したこと。
そのため敵にとっては迷路のようなその山も、彼ら攘夷志士にとっては自分たちの庭も同然。
真っ暗な森の中を躊躇なく進んでいく高杉に連れられて、ぐんぐんと拠点から離れていく紫苑は、それでも何度も振り返っていた。
彼が追いかけてくるのを願って。
「………なァ」
「…………」
「紫苑」
「…あ、ごめん。…どうしたの?」
「……その格好、寒くねぇか?」
「え、あ…うん、まだ大丈夫。さっきまで走ってたし、今は体温まってるから」
「そうか、」
「…………?」
どうしてかなんて分からない。
けれどその時彼女は何となく、いつもとどこか違う高杉をそこに感じた。
言葉で表すならそれは"ぎこちなさ"と似ている何かだ。
そして彼女がその疑問を高杉に投げかけようとした、その時だった。
紫苑は突然開けた視界に思わず目を見開いた。
視界が開けたといっても森を抜けたわけではなく、ここは山の端、崖になっている部分だった。
しかし彼女が驚愕した理由はそのようなことではない。
何故ならばその時、彼女の目の前にあったのは轟々と火の粉を飛ばして燃え盛る、つい先ほど出たばかりの廃寺だったのだから。
「…っ、お寺が…」
「……、もう少し、歩くぞ」
「でもお寺が燃えてるってことはっ、」
「銀時なら大丈夫だ」
「…、でも……」
「…行くぞ」
そう呟き踵を返して歩き出した高杉を追おうとするも、彼女の足はそこに縛り付けられたかのようにびくともしない。
刹那、紫苑は遠くで唸る炎の中で奮闘する誰かを見たような気がした。
「おい、紫苑」
「で、も…銀ちゃんが…っ、」
「今は自分ができることだけを考えろ。お前が今ここで立ち止まってても何もできねえ、何も変わらねえ、違うか?」
「……」
「急ぐぞ」
引かれた手に、またひとつ遠ざかる距離に、胸が苦しくなる。
それでも彼女がその手振り払うことなんて出来るはずがないのは、高杉の言うことが正しいからだ。
自分が銀時のために今できることは、ただ逃げ延びることだけ。
その事実がまた彼女の胸を締め付けた。
けれど紫苑の中にある、どうすることも出来ない感情は、そのような無力感や悔しさだけではなかった。
「ここまで来れば大丈夫だろ」
それからまたしばらく歩いて、ようやく高杉が立ち止まった頃には、夜は既にとっぷり更けていて、頼りになる明かりといえば木々の間から覗く微かな月明かりのみだった。
それでも夜目がきく彼らからしてみれば十分なもので、まわりの様子ならはっきりと見えるのだけれど。
「大丈夫か?」
「私は全然…それより晋助のほうが疲れてるみたい」
「こんくらい何ともねえよ」
そう言ったにも関わらず、漸く向かい合った高杉の顔には僅かな疲れが見えた。
きっと歩いている間もずっとあたりに神経を張り巡らせていたのだろう、しかしそれも彼女が後ろにばかり気を配っていたからだ。
それに気づいた紫苑は自分の不甲斐なさに再び眉をゆがめた。
「ごめんね晋助…ちょっと休もう」
「なんで謝んだよ馬鹿、」
そこでふといつものように鼻で笑った晋助に、紫苑も小さく笑みを返す。
それでも彼女の胸を刺す、痛み。
その痛みのせいか、あまりにも不自然な笑みを見せた紫苑に高杉が気づかないはずがなかった。
「………」
「おい」
「………、いっ?!」
「………」
「いひゃい、いひゃい!」
「………」
「な、なにひゅるのひんひゅけ!」
「…むかつく」
「はひ?」
突然頬を左右に引っ張られた痛みによって目尻に涙を溜めたままの紫苑は高杉を見上げる。
そのままの姿で何を言われるかと思えば彼の口から零れたのはぼそぼそと独り言を囁くような声。
「俺ァてめえのそういうところが気にくわねェんだよ」
「ひゃ…?」
「人のこと第一で自分のことはいっつも二の次。こっちの言うことは聞きゃあしねェし、挙げ句の果てには胸糞わりィ顔しやがって、まじでムカつく」
「う……」
一息にそう言い切った晋助はやっと彼女の頬から手を離す。
紫苑はひりひりと痛む両頬に思わず手をやって言った。
「いっ、痛いし酷い…!」
「ふん、ざまァみやがれ不細工」
「ぶっ…、…晋助このやろー!
黙って言わせとけばいきなり何を…!」
「…やっと戻りやがったな馬鹿」
「はあ?!」
「お前にゃ、んな辛気くせェ面は似合わねェよ、そっちのほうが合ってる」
「……何、言ってんの、」
「ヅラも坂本も無事だろうし、さっきも言ったが銀時も簡単にくたばるようなタマじゃねえ。……信じてろよ、お前は。
いつもそうやってきたんだろ?」
「……………」
「誰かを護るために戦うんだろ?
強くなるって決めたんだろ?
だったらお前は今までのまんまでいい」
「…っ、」
「誰かを信じることが出来るっつーのも、俺ァ強さだと思うぜ?」
たとえば
泣き出しそうな夜に
私に向かってはっきりと言った晋助は自信たっぷりに少し微笑んでいた。
嗚呼、あんたはどこまでも優しいね。