「っ、はぁ…、はぁ」


がむしゃらに駆けていた足を漸く止めた紫苑は肩で息をする。
まるで他人のもののような荒れた自分の呼吸音を聞きながら思い返すのはついさっきの出来事。


「っ、ふ…」


あの声が、手つきが、表情が頭から離れない。ひたすら苦しい。

ひとり廊下で涙を零し、立ち尽くしていたその時だった。


「おりょ?紫苑?こんな所で何しゆう」


ふいに投げかけられた声に思わず彼女の肩が跳ねる。

しかし紫苑は彼に気づいたと同時に何くわぬ素振りで涙を拭うとすぐに笑顔を取り繕い、振り向いた。


「辰っちゃんこそ!こんな時間に何やってたの?」


完璧な笑顔を作り上げたつもりだった。
けれど向かい合った瞬間、坂本は何かに驚いたようにして目を丸くさせると、すぐに眉を潜める。


「紫苑、何かあったがか?」

「……え、なんで…?」

「目が真っ赤じゃき」

「…………」


紫苑は返ってきた言葉にどう返事すればよいのか分からず、ほんの少しだけたじろいでしまう。
けれどやっぱり、どうしても心配だけはかけたくなかった。


「や、ほら、ちょっと目にゴミが入っちゃったみたいで…」

「……紫苑」


普段とは違う、真剣さを含んだ辰馬の声に紫苑はぴくりと肩をゆらす。

しかしその声とは裏腹に、辰馬は眉を下げて笑ってみせた。


「まあた何か抱えこんじょるがか?」

「……………、」

「ほらほら、わしで良ければいくらでも弱音吐いていいき!」

「で、も…」

「おんしはいつも一人で背負い込みすぎちゅうんよ。たまには泣いても良いき、咎める者なんぞ誰もおりゃせんぜお!」


そう言ったとたんに紫苑の頭にかかる手のひらの重み。
優しく、撫でるようなその手つきに彼女は心が火照るのを感じた。

ぽろり、ついに零れたのは涙ではなく、小さな本音。


「……辰っちゃん、あのね、誰も悪くないんだよ」

「そうじゃろうの」

「ただ、わたし…、わたしが」

「夜襲だ!!」


しかし突如響いた仲間の声が紫苑の声をかき消した。
それと時同じくして、遠くのほうから爆撃音が木霊する。

目を見開いた紫苑は動揺に震える声を口からこぼした。


「夜、襲………?嘘でしょ、なんでこんな時に、っ」

「……っ、寧ろこんな時だからじゃ!
大方どこかからヅラが負傷していることでも聞きつけたんじゃろうが…ちっくとまずいの。ただでさえこの間の奇襲で人手も足りてないちゆうに…!」

「ど、どうしよう辰っちゃん!」

「とにかく紫苑は今から高杉と銀時にこのことを伝えてくれ!わしはヅラのところへ行く」

「うん、わかった…!」


互いに反対方向へ走り出した坂本と紫苑は拭えない嫌な予感に、密かに背筋を凍らせる。

どう考えても応戦などできるはずのない今、できることはただ一つ。


(ここを棄てて、…逃げる)


その考えが頭をよぎった瞬間、長いこと拠点にしていた廃寺での思い出が脳裏を駆けめぐる。

しかしその思いを振り切るようにして、彼女はさらに駆ける速度を速めた。

何よりも今しなければならないことのために、早く、速く。


「銀ちゃん、晋助…っ」


そうしてやっと目に映った目的の部屋。だがその襖は紫苑が手をのばすよりも早く開け放たれた。


「紫苑!」

「銀ちゃ、っあいつらが!」

「ああ、大方の予想はついてる!それよりも他のやつらは?!」

「辰っちゃんはヅラのところに、晋助は分かんないっ」

「ならお前は高杉のところに行ってあいつにこのことを知らせるんだ。あとはあいつの言うように動きゃ何とかなるだろうから、」

「でも、銀ちゃんは…?」

「俺は……、ちょっと出てくる」


それを聞いた紫苑は信じられないものを見るような目を彼に向ける。

そして無意識のうちに彼の袖を強く握りしめた。


「なに、を、言ってるの…?」

「…なにって、」

「…っ、一人でなんか行かせないからっ、銀ちゃんも一緒に逃げるんだよ!」

「…てめぇこそ何言ってやがる!
ヅラは怪我してんだぞ?!今からまともに逃げたって追いつかれるに決まってるだろうが!」

「銀ちゃんだって怪我してる!」

「俺のことは関係…「なくない!」


彼の言葉に被せるようにして紫苑の言葉が廊下に響き渡る。

その間にも刻々と迫ってくる敵の気配を肌で感じながら紫苑と銀時はその場で向かい合った。


「……関係ない、わけなんて……ないでしょう?」

「……………」

「お願いだから銀ちゃん、行かないで」

「……………」

「行かないで…っ、つ…」

「………ごめんな……」


その言葉を最後に、すれ違う二人の距離は離れていく。

はなれていく。

そうしてあとに残ったのは少女のすすり泣く声、ただひとつだった。


軋みだす


お前を置いていった俺を、どうか許さないで欲しいと思う。

これは俺のエゴだから。

たとえそのせいでお前がまた涙を流すことになったとしても、どうしても、護りたいものがあった。

それだけなんだから。



 
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