「おねーさん、だあれ?」


それは屈託のない声色だった。
もうしばらく聞いていない、幼子の声。

誰だと尋ねてくるその少年は、曇天の下でくるくると傘を回している。

まだ少し距離があるせいで、はっきりとは顔が見えないが、その雰囲気から笑っているように感じた。

しかしそれに微笑み返している暇はない。問いには答えぬまま紫苑は少年のもとへ駆け寄る。


「とにかくここは危ないから、っ、」

「危ないって何が?」

「ここにはまだ天人が…!」


しかし次の瞬間、ぴたりと彼女の動きが止まる、と同時にその目が見開かれた。

なぜならば先ほど感じた殺気をふたたび感じ取ったからだ。

しかもその殺気の出所は、


「…………キミ、」

「なに?」

「人間じゃ、ない?」


間違いなく目の前の少年から、だ。

漸く互いの顔が認識できるほどの距離にまで近づいた二人。

紫苑の問いに答えなかった少年は、その代わりにとでもいうふうにその青空の色をした瞳を細め、おだやかにニコリと微笑んだ。

それは肯定の意味を指すのだと、彼女は直感で感じ取る。

即座に刀を抜こうとした彼女の手を止めたのは、少年のひとことだった。


「で、おねえさんはだあれ?」


まるで裏のないその声色と笑顔に、紫苑は僅かに眉をしかめる。今までにないケースに戸惑った、というのが正しいだろう。

しばらくの沈黙のあと、刀に備えた手を下におろし、彼女は口を開いた。


「……私は、紫苑。……人間」

「あっ、俺聞いたことがあるヨ!紫苑…紅蝶々、だっけ?」

「…そういう名もあるみたいだね」

「気に入らないの?」

「だって私の名は紫苑だもの。それ以外の名は要らない」


…あの人がくれた名前以外の、知らない誰かが付けた名前なんて要らない。


「ふうん、そうなんだ」

「それより、その名を聞いたことがあるってことは他に仲間がいるのね?それってこいつら?」


紫苑の指先は下に転がる天人たちの亡骸を指している。

すると真剣な表情をしている彼女とは裏腹に、少年はきょとんとした後、さも愉快だと言うふうにケラケラと笑い出す。

一方で紫苑は、少年が突然笑い出したものだから警戒するのも忘れて目をまるくした。


「おねーさん面白いネ、俺がこんな奴らの仲間なわけないでしょ?あのね、天人って言っても全員が全員仲間ってわけじゃないんだヨ」

「そう、なんだ」

「うん、それにおねえさん…本当はもう気づいてるんでしょ?」

「………」

「此処にいる奴らはみぃーんな、俺に殺されちゃったんだってこと」


少年の口から告げられる残酷な真実にも関わらず、彼の笑みは依然としてぴくりとも揺らがない。

しかし、そのあまりの穏やかさに紫苑の背筋は密かに凍りついた。

少年が言うように、本当は既に大方の察しはついていた。しかしそれを認めなくなかったのもまた、事実。


「…うん、やっぱりそっか」

「ま、人間の方は俺がくる前にもう殺されちゃってたみたいなんだけど」

「…………」

「おねえさん?」


その言葉を聞くやいなや、くるりと背を向けた紫苑に首を傾げる少年。

そんな少年に顔だけを向けると彼女は初めて笑みをみせた。


「君とは戦う理由がないみたいだから」


彼女の笑みとその言葉に、しばし驚いたような表情をしていた少年だが、すぐにまたあの笑顔にもどる。


「おねえさん達は俺たち天人と殺し合うために理由がいるの?」

「…理由があるから、戦うの」

「ここは戦場だろ?理由なんかそれだけで十分じゃない」

「そうね、ここは戦場。刀を振るう度にいちいち理由を考えていたら自分が殺されてしまう、…でもね、」


紫苑はそこまで言うと、ほんの一瞬だけ悲しそうに目を伏せ、微笑んだ。


「私が戦うのは戦いたいからじゃない。みんなを護りたいと、そう思うから戦うの。それは忘れちゃいけないことだから、だからせめて自分で必要じゃない戦いを見つけることが出来た時くらいは無意味に刀を抜きたくない。…他人を傷つけたくない」


少年は目を見開いたまま、黙ってそれを聞いていた。不思議そうに彼女を見つめるその目は、やはり無垢そのもの。


「…おねえさんは甘いネ」

「うん、私もそう思う」

「………ふふ、面白いなあ。面白いヨ」


そう言ってくすくすと笑う少年は紫苑に向かって歩き出す。

やがて彼女目の前にたどり着くと、少年は今日見せた中で一番の、太陽のような満面の笑みを浮かべた。


「あのね、紫苑。俺の名前は神威」

「かむ、い…?」

「そう!俺、紫苑のことすきになっちゃった」

「っ、す…、ええ?!」

「だからまだ死んじゃ駄目だヨ。俺、地球とは今日でさよならだけど、いつかまた紫苑に会いに来るからさ!」

「ちょ、か、神威…くん?」

「じゃあまたネ!紫苑」


そう言い残すと少年…神威はまるで兎のように、ひょいひょいと器用に屍を飛び越え、あっと言う間に見えなくなってしまった。

後に残ったのは紫苑と、下に転がる屍ばかり。

そうして暫く呆けていた彼女のもとへ駆け寄って来たのは息を切らした辰馬だった。


「紫苑、何しゆう!もうとっくに退却命令ば出たろー!」

「た、辰ちゃん……」

「なんじゃ?」

「う、」

「う?」

「兎さんがいた…!」

「………へ?」


色の少年と蝶々


「旦那!鳳仙の旦那!」

「何だ神威」

「俺、地球にすきな女ができたヨ!」

「ほう、」

「戦場に居るのに甘っちょろくて、だけど強くて…あとすごく綺麗だった」

「闘(や)ったのか?」

「いいえ、でも最初に俺に向けてきた殺気…あんなの初めてだったヨ。…ぞくぞくした」

「神威、お前が我慢するとは珍しいこともあるものだな」

「ふふ!旦那、紫苑はきっともっと強くなるヨ。そしたら俺の子供、生んでもらうんだ!」

「クク…、そうか」

「…早く会いたいなぁ、紫苑」

いい匂いがするんだ。俺の大好きな、血の匂いが染み付いた、綺麗な女。

「………楽しみだなぁ、」



 
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