時は過ぎゆく。
辰馬と紫苑が拠点へと戻ってからもう四、五時間ほど経ったころのことだ。太陽はとうに沈み、暗い静寂があたりを包んでからも桂と銀時の隊の者は誰一人として帰ってくることはなかった。
誰もが一抹の不安を抱える中で、しかし明日も戦は続く。仲間を待つことも大事だが、何よりも体を休めることを最優先としなければならないこの状況下で誰もが寝静まってからもたったひとり。紫苑だけはそれができずに縁側に腰を下ろしていた。
いつもの紫苑ならば仲間を信じて体を休めている。実際に今日だって一度は彼女も布団に体を沈めようとはしたのだ。しかし瞼を閉じてもいつものように眠気がやってくることはなかった。それどころか段々と冴えてくる感覚にこれは寝れたものじゃないと、どうしようもなく寝床から立ち上がったのだ。
そうして縁側に来てみれば確かな静寂がそこにはあった。すぐそこで戦が、人と天人の殺し合いが繰り広げられているとは到底思えないほどの美しい夜。
どこからか聞こえてくるスズムシの声が紫苑の気持ちをひどく落ち着かせる。
気づけば夏も終わり、季節は秋となっていた。季節の変わり目に気づく余裕があるうちは幸せだと紫苑は思う。ひたすら敵ばかりに目を向けていると、それすら見えなくなることも当たり前のようにあるこの世界だから。
「…綺麗だなあ」
つい呟いてしまった言葉は視線の先にある月に対してのもの。優しく、まっすぐに伸びるその光を体いっぱいに浴びていた、そのときだ。
きし、と微かな音をたてて廊下が軋む。その音につられてそちらを見ると、腕と頭に包帯を巻いた高杉がこちらに向かって歩いているのが見えた。
「よォ、お一人さんで月見かァ?」
「晋助!いつ帰ってきたの?」
「あぁ、ついさっきだ」
「…無事でよかった。おかえりなさい。…晋助、他のみんなは…?」
「さっき戻ったのは鬼兵隊だけだ。銀時とヅラの隊は……見てねぇな」
「そっ、か…」
そうしてふと顔を伏せる紫苑。いつもとは違う紫苑の様子に高杉は違和感を覚えつつも、別の疑問を紫苑に問いかける。
「つうか紫苑、てめぇなんで起きてんだよ。確かお前今日は切り込み部隊に配置されてたよな?」
「ん、うん」
「……馬鹿チビ助、明日も今日の戦は続くんだぜェ?ちったァ身体休ませとかねぇと明日へばるぞ」
「馬鹿って…てゆうか晋助にチビなんて言われたくなげふんげふん」
「おいちょっと待て今何言おうとした?まさか俺にチビなんてこたぁ言わねぇよなァ紫苑さんよォ?」
「ちょ、たんまたんま冗談っす!だから刀仕舞って晋助さまァァァ!」
ゆらりと刀を鞘から抜いた高杉は微かに口角が上がっており、それが尚更彼の恐ろしさを際立てている。
しばらく紫苑が懇願し続けているとようやく気がおさまったのか、刀を際にもどし、どっかりと紫苑の隣に腰を下ろす高杉。その光景に紫苑はほっと息をつくと、再び視線を月へと戻した。
「…銀ちゃんたち、遅いね」
「あァ?この位よくあることだろ。それにあいつ等が簡単にやられるような奴らじゃねぇのはお前が一番よく分かってんじゃねーのか?」
「そーなんだけど、さあ…」
「何だ、何かあんのか」
「そうゆうわけじゃないんだけど…なんだろうな。胸がざわざわして煩いの」
「あァ?」
「ね、意味分かんないよね。いつもはこんなことないのになぁ…」
「紫苑…?」
「まあ気にしないで!私ももう寝るし…、あっ銀ちゃん達が帰ってきたらちゃんと起こしてねっ」
「……、分かった」
「じゃあ、おやすみ。晋助もちゃんと身体休ませてあげるんだよ」
最後は笑って、それから自室へと戻っていく紫苑。そんな彼女を高杉は黙ってみつめていた。
部屋に入った紫苑は布団には潜らず、畳の上に座るだけ。そして天井を見上げてため息をひとつ。
「晋助に心配かけてどーすんのよ、私」
思い出すのはついさきほどのこと。
帰ってきたばかりで疲れていたであろう高杉に自分の中の不安を訴えかけてしまった、と申し訳ない気持ちをつのらせる紫苑。一方でいまだ胸中にある不安は消えない。
「昼間あんなことがあったせい、なのかな……、」
仲間の死、自分の死を間近に感じた。
どんな人間だって戦場では時と場合によって命を落とすことなど多いにありうるのだ。
銀時や桂が簡単にやられるなんて到底思えないのは事実。しかし不安が無くならないのもまた、まぎれもない事実で。
「はやく、帰ってこないかなぁ…」
いまはただ一刻も早く、彼らが無事帰還するようにと願うばかり。
「坂田さんと桂さんが戻ったぞ!」
しばらくして突然仲間の声が廊下に響いた。同時にけたたましく鳴り響く廊下を駆ける音。
二人が帰ってきたことが分かった紫苑は、自分の心配が杞憂に終わったことに胸をなで下ろす。
そして出迎えにいこうと立ち上がった時のこと、聞こえてきた仲間の叫びに耳を疑った。
「桂さん!桂さん!っ、大変だ!早く誰か来てくれ!」
「めいっぱい包帯を持って来てくれ!それとありったけの薬も!」
その瞬間、襖をたたき破るように開き駆け出す紫苑。向かう先はもちろん玄関。
そしてあっという間に玄関にたどり着いた紫苑は声を発するのも忘れ、そこにある光景に息を飲んだ。
眼下に広がるは赤、赤、赤。
倒れている桂から滴るそれは止まることなく、赤い水たまりをつくっている。
そんな桂の傍等に立ち尽くす銀時も身体もその色に染まり、ぴくりとも動かずに桂を見つめていた。
「こたろ…、ぎ、んちゃ…」
嗚呼、喉が震える。
肺に入ってくる酸素が重たい。
紫苑の声に僅かに反応した銀時は何も映していない瞳を彼女に向ける。
まるで暗い沼のように沈んだその目は、ただただ哀しみとも絶望とも取れない色を浮かべていた。
この気配を知っている
それはいつも戦場にいた時の、
仲間が消えてゆく瞬間の、