目の前の少女を"ひいろ"と呼んでしまっていいのか、否か。
ちがう、そんなことはどうだっていい。

ただ俺はまだ、それが許されないことだと思っていたいだけだ。


「しんすけ…、しんすけね」
「………」
「これで知らない人じゃないね」
「お前の、名は」
「え、あ、そっか。私の名前はね、ひいろってゆうの」
「………」
「しんすけは私のことを知ってるの?」
「…何故そう思う」
「さっき私のこと呼んだから」
「いや、あれは、」
「私ちゃんと聞こえた。しんすけはひいろって言ったよ」
「………」
「あのね、わたし本当はすぐに帰れって言われてたの。だから急いで帰ろうと思ったんだけど、」
「…そうかい。…まさか今から帰るなんて言わねえよなァ?」
「? ううん、言わないよ」


忠告するつもりで言ったのだがどうやらその意味は伝わらなかったらしい。それどころか予想もしていなかった返事がすんなりと返ってきた。無理やり攫ってきた反面、すぐに帰りたがるのが当然だと思っていたが、そういうわけでもないようだ。
尚更に不思議なやつだと思う。


「むかしね、夜は危ないから外に出ちゃいけないんだって言われたの。だから今日はここにいる」
「…誰が言ったんだ。それ」
「おにいちゃんだよ」
「は…?おまえ兄貴がいんのか」
「あにき?」
「……兄妹…、家族のことだ」
「かぞく…、ううん違う」


目の前のこいつはどうも会話をするのが下手に思える。ちぐはぐな内容、片言を紡いでゆくそのさまがはっきりとそれを表していた。

だがそんなこいつの話でも暫く聞いていれば自然と分かる。
こいつは兄とそう呼ぶ人間の言うことをたいそう慕っているようだということ、そいつの言うことを絶対のように考えているということ。


「いまはもう夜になっちゃったから、だから明日はすぐに帰らなきゃなの。おにいちゃんね、怒ったらすごおく怖いんだよ」
「…おまえを足止めしたのは俺だぜ?」


少女はこてんと首をかしげた。
意味が分からないというわけでは無いだろう。陽が落ちるまで此処にこいつを縛りつけたのは俺だ。こいつだってそれくらいは理解しているはず。しかし不思議そうに俺を見つめるその目は変わらない。


「うん、でも明るくなったら急いで帰るから大丈夫だと思う」
「…」
「それにお仕事ちゃんとしたら褒めてあげるって言ってたからね、平気」
「仕事?」
「うん。ねえねえ、そんなことより聞いてもいい?」
「?」
「しんすけは何で私と一緒に居るの?」
「………、さあな」
「ずるいよ。さっきから私ばっかりしんすけに話してるのに」


名を呼ばれるとまだ胸が疼く。
ガキのころのあいつと同じ声色、姿、名前。
昔と違うのは既に刀を扱えるところ。

そして始終表情を変えないところだ。


「……、気持ち悪ィ」
「え」
「てめえのことだよ」
「…ええっと……、ごめんね?」


ほら、傷つく素振りさえ見せねえ。
なんなんだ。なんで、そうやって、人形みてえな顔をしてる。

もうあの戦争は終わったのというに。
どうしておまえすらも笑わない。

いや、笑うどころか悲しむことも怒ることもないこいつは。

本当にまるで。



 
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