紅桜の事件が幕を下ろしてから数週間がたったころのこと。
ある和室では高杉と万斉が二人、向かい合うようにして座っていた。
高杉は紫煙をくゆらせ、万斉は三味線を抱えており、弦からは名も知らぬ曲が絶えず紡がれている。
「晋助、最近刹那を仕事につかせていないというのは本当でござるか」
「……それがどうした」
「いや…、ただ刹那に元気が無いゆえ気になっただけでござる」
「…………」
万斉の言葉に煙管の灰を落とす手をほんの一瞬止める高杉。
しかしすぐに何事も無かったかのように煙管をくわえ直すと、彼は口を開いた。
「そうか、」
「…晋助、刹那の性格ならもう分かっているでござろう?
刹那のやつ、自分が何か失態をおかしたのではないかと嘆いておったぞ」
「…………」
「……心配なのは分かるが…」
「そんなんじゃねぇよ」
言葉を遮るようにそう言った高杉に万斉は困ったように笑った。
そんな彼が思い出すのはつい最近自分に訴えかけてきた来島との会話。
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─────……
「最近の晋助様、なんか変っス…」
「変、とは…どこか体の調子でも悪そうでござるか?拙者にはそうは見えんが」
「そうじゃないっス!いやなんうか、いつもと違うというか…」
「?」
「前より雰囲気が、……雰囲気が柔らかくなったような気がするっス」
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─────……
(このようなことにムキになるとは…、なるほど晋助らしくないでござる)
だがしかしそんな万斉の考えなど露知らず、高杉は怪訝そうな視線を彼に向けている。
「…ともかく、そろそろ刹那にも仕事を与えてやってもよい頃だと思うでござるよ」
「仕事っつっても春雨と組んでからは天人絡みの仕事しかねぇこと、てめぇも知ってんだろォが」
「……?それと何か関係でも…」
「……あいつ天人、駄目だろ」
思ってもみなかった高杉の言葉に万斉は色眼鏡の奥で目を見開いた。
まさかあの高杉の口から他人を案ずるような言葉が紡がれるとは。
しかし驚いたのはそれだけではない。
「晋助、それは刹那から聞いたんでごるか?」
「いや、」
「ならば何故そのことを…」
「春雨の連中前にしてるあいつ見りゃ誰だって分かるだろ」
「それはそうだが…」
(刹那はあの後、晋助の前では天人が苦手という素振りすら見せなかったはずでござる)
なのになぜ、そう言いかけた声を飲み込んで、万斉は違う言葉を口にした。
「…そうだとしても仕事の全部が全部天人がらみだというわけではない。それ以外にも山ほどあるでござろう、」
「駄目だ、何にせよあいつには人を斬ることができねえからなァ。中途半端な仕事につかせるわけにゃいかねェ」
「それは…心配せずとも紅桜の件で刀も抜けるようになったでござろう。相手が天人ではあるが…」
「……ちげえよ」
「?それはどういう…」
「あいつはあの時、確かに刀を抜いていた…が、誰も斬っちゃいねぇ」
「ならばどうやってあの乱闘の中、二人共無傷で…」
「………峰打ち」
「…峰、打ち?」
「アイツ…器用に全員峰打ちで片付けてやがった。当たり前だがこれから先、峰打ちだけで乗り切れるほどこの世界は甘くねェしな」
「なるほど…、しかしそれでも心配無いも同然でござる。
刀が抜けたのだ。近いうちに完全に刀を振れるようにもなるでござろう」
「…だといいがなァ」
「それにこれまでいくら己を制しても刀を抜けなかった刹那が今回はそれができたのだ。それだけでも素晴らしい進歩でこざ……晋助、お主なぜ笑っておる」
話の途中からくつくつと笑い出した高杉に、片眉を下げて万斉がそう問えば、高杉は微かに肩を揺らしながら顔を上げた。
「クク、万斉よォ…。滅多に他人に干渉しねぇおめェが、刹那のことになるとやけにお喋りじゃねえか。俺の気のせいか、それとも……あいつに気でもあんのかァ?」
予期していなかった高杉の発言に、万斉は暫し驚いたようにして言葉を失う。
だがすぐに口元を緩めて答えた。
「………刹那に限ってというわけではござらんよ」
「どうだかなァ」
「晋助、それは…」
「あァ?」
「………いや、何でもござらん」
そう言った万斉は笑みをひとつ零すと、立ち上がった。
「では拙者暫し用事がある故、此にて」
「……」
そんな万斉を怪訝そうな表情をして見送る高杉はまたすぐに視線を窓の外へと向ける。
そうして部屋を出た万斉は再び口角を緩めるとひとり呟いた。
「まさかあの晋助が嫉妬とはな…、これは益々面白いでござる」
近づくゆびさき
触れ合う日は来るのか否か。