わたしに向かって手を振る彼の姿はまだ幼くて、懐かしいにおいがした。
彼の後ろには今は無き村塾が見えて、だけどそこには彼以外の誰もいない。
思わず何してるのって駆け寄ろうとしたわたしの手を掴んで、引き止めた腕は銀ちゃんのものだった。
銀ちゃんのうしろには小太郎と辰馬がいて、三人とも悲しそうな目でわたしを見ている。
「晋助がいるよ」
みんな気づいていないのかと思ってそう言ってみた。だけど三人は余計に顔を歪ませて首を横にふるだけ。
どうして晋助の方に行ってはいけないのかな。
「わたし晋助のところにいく」
そう言ったら銀ちゃんの手の力が強くなった。腕が少し痛いけれど、彼の眼から目線を逸らしてはいけない気がしたから何も言わない。
「だめだ」
「どうして?」
「お前はそっちに落ちちゃならねぇ」
「……落ちる…」
どうして、晋助はどこにも落ちてなんかないのに。だってほら、すぐそこにいるでしょう。
そう思って晋助の方を見てみれば、いつの間にか手を振るのをやめていた彼がじっとこちらを見つめている。
「わたしは晋助のそばにいたい」
「あいつは変わったんだ。お前の知ってるあいつはもういねえ」
「なんでそんなこと言うの?晋助はなにも変わらないよ」
「変わった。お前も分かってんだろ?」
「…変わってない。晋助は晋助だもん。わたしたちのだいすきな、晋助だもん」
「あいつの眼にお前は映ってねぇよ」
「銀ちゃんに何が分かるの?!」
つい大声を出してしまった私を見て、ますます銀ちゃんの顔が歪んでく。
ああ、そんな顔をしないで。
悲しくなってしまうよ。
「…頼むから、行くなよ」
まるで懇願するような声で、銀ちゃんがそう言った。なんて彼らしくない。喉の奥が熱い。胸が痛い。ひりひりする。
嗚呼でもだめだよ、ごめんね。
だってほら、晋助が今にも泣きだしそうな顔でこっちを見てる。
「私は晋助を一人になんてできない」
「頼むから、お前まで居なくなるなよ」
「ちゃんと帰ってくるよ」
「………」
「ちゃんと帰ってくる。晋助はきっと迷子になってるだけだから、私が迎えに行ってくるね。だいじょぶだよ、だから待ってて」
もしも銀ちゃんの言ったとおり、晋助がどこかに落っこちてしまっているとしても私がちゃんと引っ張り上げてあげればいいだけのはなし。
たとえ気が遠くなるほどの時間がかかったとしても、たどり着く先は私たちみんな一緒だって、信じてる。
きっとまた会えるよね。
***
「おい」
「ん…」
「おい、起きろ」
「 …しんすけ、」
「おせえよ」
「ごめん、…あれ、もう時間?」
「時間も何も万斉達はとっくに船降りてるぜ?」
「………え」
「こりゃあお前が行く前に片が付いちまうかもしれねぇなァ?」
「ちょ、だめだめだめ!私も行く!」
「くく…」
銀ちゃんや小太郎、辰っちゃんたちと別れてから何年たったか、もうよく覚えていないけれど。長いような、短いような、そんな時間は私にとてもとても沢山の出来事をもたらした。
だけどその時間の中で私はきちんと前に進めているのかと問われれば、…どうなんだろう。
晋助を追いかけて鬼兵隊の一員となって、気づけば時代は変わった。笑うことが増えた。過去が恋しくなった。涙もろくなった。この変化は前に進めているということなのかな。
過去をひどく愛し、過去から抜け出すことを頑なに拒む晋助について来た私は、
そんなふうにわたしには未だにたくさんの疑問や不安がある。
あの時わたしが晋助を追いかけたのはちゃんと正しかった?
晋助を引き戻すために突き出したこの手は晋助の背を間違った方向に押したりなんかしてないよね?
分からないことは尽きなくて、自分が進んでいる方向すら分からなくて、だけどたった一つ。晋助には内緒だけれど。晋助のそばでいつだってひっそりと願ってる。たった一つの希望。
ねえ、あのひだまりの中できっとみんな待ってくれているから。
だからゆっくりでいい。
わたしたちも前に向かって足を踏み出すことができれば、
私たちだってきっと。きっとまたそこで笑うことができるよ。
疑問は消えない、希望も消えない。遠い日の思い出だって、また然り。
でも、それでもいいじゃないか。
「わあああ遅かったかあああ」
「二人とも遅いでござる」
「待ってたッス晋助さまっ」
「また子ちゃん私は?!」
「おい武市、状況はどうなってんだ」
「おやおやどうして貴方がここに…」
「もう説明は帰ってからにしよーよ、そろそろ真撰組が来ちゃうでしょ」
「お主はいま来たばかりでござろう」
「うるっさい!」
五人でまた一緒に笑えるかなんて分からない。ただ、今は無理だとしてもいつかは、と信じていられる理由ならある。
だって私たちはちゃんと此処で生きてる。笑ってられるんだから。
ねえ、そうだよね。
手をつないで歩こうか、最後にたどり着いたそこにはきっときみが愛でた世界があるはずだから
くそったれた未来で生きるだなんて願い下げだった。哀しみも憎しみも通りこしたそこはまっくらでやたらと息苦しく、誰もいなかったはずなのに。
俺の左手をにぎる手はあたたかかった。
「こっちだよ」
誰のものかも知れないその手をにぎり返したのは確かに俺自身のそれだった。
たったそれだけのことなのに、少しだけ、呼吸が楽になったような気がした。
高誕企画サイト誰かが、様に献上
HAPPY BIRTH DAY 高杉!
2011 8/10 影踏み/わらび
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