だれかの歌が聞こえたような気がして、わたしは立ち上がる。
まっくらな夜に人工的な明かりはなくて、頼りない月の光で朧気に照らされた廊下をぺたぺた歩いた。


「…やっさしいこえ」


普段そんなふうに穏やかな表現ができるならね、なんて、どこかで歌っている彼にぽつり呟いてみる。


「あ」


やっと見つけた声の主は屋根の上に登っていたらしい。だからいくら境内を歩きまわっても声に近づくことができなかったのね。

わたしのことにまだ気がついていないらしい彼は尚も呟くような声で歌ってる。

傍に行きたいと思ったのは、胸のどきどきがそう急かすからだ。


「……ー、 …あ?伊織?」
「…えへ」
「えへじゃねーよ、んな格好で外出たら風邪ひくぞ」
「だいじょーぶ、それより続き歌って…、っぶし」
「…大丈夫じゃねーだろ、ほら」


その言葉と同時に晋助の羽織りが私の肩に掛かった。着流し一枚だった私の身体はさっきまで寒さを感じていたはずなのに、それだけでぽかぽかあついくらいに感じた。
でも不思議と全然いやじゃない。


「…ありがとうー」
「ん」
「……ふ、ひっひ」
「あ?なんだよいきなり」
「だって晋助へんなんだもん。今日はなんかすっごくやさしーね!」
「悪かったないつも不親切で。つうか普段からへんなお前に言われたくねえ」
「…………」
「あと笑い方ももうちょい可愛くできねーのかよ。それでも女か?」
「やっぱりいつもの晋助だったか」
「うるせえ」


「ところで晋助、さっきの」
「さっきの?」
「うん、さっきの歌」
「あー…、」
「なんてゆう歌なの?」
「…もう忘れた」
「ふうん…」


わたしの隣に座って頬杖をつく晋助はじーっと空を見上げて、なにを想っているのかな。
そんなふうに晋助のほうを見上げていたら不意にぱっちりと目があった。


「なんだ」
「んん、なんでもないよ」
「……」
「…私の顔なんかついてる?」
「べつに」
「そー」


なんでもないってゆうのは嘘。
ほんとはひとつだけ分かんないことがあって、声には出さないまま尋ねてみてたんだ。
晋助が訝しげにわたしを見たのはそれがばれてたからなのかなあ。

ねえねえ、晋助の歌を聞いて胸がひりひりしたのはどうしてだろう。


「……なあ、」
「はーい」
「おまえよく笑ってられるよな」
「んん?」
「お前はつよいな」
「えー?どしたのいきなり」
「いっつも、なにも変わらねえで」
「ねえってば、いきなりどうしちゃったの晋助、熱でもあるの?」
「  伊織、」
「…………なあに?」
「…… 」
「っ、…わ」


ふわふわとぞわぞわ、わたしに覆い被さった少しの浮遊感と恐怖。よもや屋根から落ちてしまうかと思った。
なによりもよくこんな足場のわるい場所で女の子を押し倒せるねって、よっぽど言ってやろうかと思った。
でもそれができなかったのはすぐにそのくちびるを塞がれてしまったからだ。


「…………っ…ふ、あ」
「……」
「し、…、くるし…っい」


いつもいつも、晋助のきすは優しい。わたしより少し温度の低いくちびるが触れる瞬間、めいっぱいの幸せを感じる時間なのに、どうしてだろう。今はひたすらなにかを求めるその舌がだんだんこわくなってきた。
酸素が欲しくて口を離しても、またすぐにふさいでくる彼のそれには、いつもの余裕なんてどこにもなかった。
このひとはちゃんと晋助だよね?

くちびるが離れて、ようやく酸素が肺にまわった。すこしくらくらする。やっと晋助の顔が見れると思ったのにそれは叶わなかった。くすぐったい、彼のさらさらした髪が首にあたる。首もとにくちづけ、柔らかい舌にすこしだけ肩がはねた。


「…、しんすけ」
「……なんだ」
「くすぐったいよ」
「…すこし黙っとけ」
「あーあーあー」
「…………」
「あーあーあーあーあーあー」
「…………てめえ」


はぐらかしたわたしを許してね。いきなりだったからびっくりしたってだけじゃないんだ。
興醒めしたのか動きを止めてまた隣に座りなおした晋助はさっきより些か不機嫌な様子で、ほら、ぜったいへん。
やっぱりどこか余裕がないみたい。
わたしはちゃんとなんでもないような素振り、できてるかな。


「今日、なんかあった?」
「…べつに」
「晋助らしくないねえ」
「るっせ、」
「たまにはこんな日があってもわたしはいいと思うけど」
「………」
「さみしいならおいでー」


ふざけんな、って言われるだろうなとは思いながらもそう言ってみた。するとしばらく黙ってから、わたしの肩にころんと頭をのっけてきた晋助。

まさか本当に身を預けてくるなんて思ってもみなかったから、とうとうこれはおかしいと動揺するわたしはさておき、晋助はおもむろにまたさっきの歌を口ずさむ。

あたたかくて、せつないメロディーが今度はすぐそばで聞こえた。

歌っている本人も朧気に覚えているのか、たどたどしく紡がれるその歌はところどころ歌詞が抜け落ちている。

あ、そっか。わたしが懐かしいと思ったのはこの歌のことじゃなかったのかもしれない。
晋助がこんなにやさしい声で、こんなに穏やかにうたうから。懐かしいなんて思っちゃったのかなあ。

でもそれってなんだかとても切ないよ。
ねえ、しんすけ。


「さみしいならおいで」


ふいにさっき晋助に言った言葉を思い出した。ちがう、これはわたしが言われた言葉だ。あのひとがわたしを救った一言だ。

さみしいなら。


じゃあ晋助はいまさみしいのか。
そうか。
だからいつもの余裕もないのか。
なるほど。

ああでも、それは晋助だけじゃないんだよ。きっと。
こうして晋助のとなりにいて、ほっとしているわたしもそのひとりだから。


晋助が紡ぐその歌は、悲しいだけの歌じゃないし、優しいだけの歌でもなかった。
果てしない願いを綴って、祈るように奏でられるその歌詞が。くるしくて。少しだけ涙がこぼれたのはひみつ。

それにしてもなんてきれいな空だろう。星が歌に応えるみたいにきらきら、きらきら、ほら瞬いてる。
ねえ、お星様。もし私たちの姿が見えたなら、この声が聞こえたなら。どうか晋助がいまあのひとに捧げているであろうこの歌を、せめてあのひとに届けてほしいな。

肩に寄りかかる彼が愛おしくて、なんでかなあ。わたしの方が晋助よりずっと弱っちいのに、たまらなく晋助のことを護りたいって思ったの。


夜のチュード


想いよ、届け
逢えない人まで
「叶う事は無い」と、
塞いだんだろう?
閉じた瞼さえ
透かし、照らす光

この夜が朝に繋がるとき。

想いを、唄え
逢えない人まで
明日が来る夜を
迎えたんだろう?
指折り数えて
その日を待っている

伸ばしたこの手に触れる時を

song by.古川本舗
「スーパー・ノヴァ」



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