「おとうさん!おかあさん!」



暗闇に消えたふたつの背中を私はきっと生涯忘れることができないだろう。

愛してると囁く母は泣きながら私の頬を撫でた。
どうか生き延びてくれと言った父は私を抱きしめ、そして外を指差した。

あちらに走れと、その指先が言った。

あのころの私は訳も分からず、父が指差す先にあった闇にただただ恐怖心だけを抱いて首を横に振り続けていたのを覚えている。

けれどその時に見てしまった母の目がふいに私の背中を押した。懇願と恐怖と悲しみを湛えていたその目がここに居てはいけないと叫んでいた。

そして私は走った。泣きながら、ただただ走った。真っ暗な夜の道をひたすらまっすぐ。最後に振り返って見えたのは住み慣れた家が闇に紛れてゆく光景。

その後、どこまで走ったのかは覚えていない。
いつの間にか疲れ果て、倒れていた私を見つけてくれた少年と生涯の恩師となる人物と共に、これからを生きてゆくことになるなど私はまだ知らなかった。


「………せんせえ、…」
「おや、どうかしましたか?」
「……」
「…怖い夢でも見ましたか?」
「………あのね、」


ほとんど毎夜のことだったと思う。先生に拾われる前、親を亡くしたその瞬間から夜を走り続けていたせいか、私は極端に夜中独りでいることに脅えていた。
そんな私を嫌な顔ひとつせず、迎え入れてくれる先生は私にとっての光だった。
暗い夜の海を照らす、光。


「夜がね、こっちにくるの。おいでって手招きして…」
「それは…怖かったでしょう」
「………」
「さあ、一緒に寝ましょうか」


部屋の奥にはすでに布団が敷かれてあった。もしかして私が来るまで待っていてくれたのかな、なんて。そんなことを思っていたその時だ。


「……せんせー、」
「!」
「おやおや、銀時も眠れないのですか」
「銀時…」
「…お前もいんのかよ」
「……私の方が先に来たんだもん」


銀時を見返して、なんとなく先生の服の裾を掴んだ。じとりとにらみ合う私たちを見て何を思ったのか、とたんに先生はくすりと笑った。


「今夜は三人で寝ましょうか」


先生がそう言うならと頷いた私と銀時は重なった言葉にまたにらみ合い、ぷいとそっぽを向いた。
それを見てまた微笑む先生。

たった一組しかない布団にぎゅうぎゅうにつめて横になれば、子供二人と大人一人と言えどもやっぱり狭くて、銀時がぐちぐちと文句を言う。
そんな彼の頭に煩いと一発頭突きをすると、今度は足を軽く蹴られた。
やり返そうとした拍子にいつもよりワントーン低い声で静かにしましょうねと先生が囁くものだから、当然黙り込み、身動きもできなくなる私たち。

狭くて、隣りの男の子は煩くて、寝苦しいはずなのに何故だろう。
温かくて、とても安心する。

私はほんの少しずつだけど、確かにこの夜を好きになりはじめていた。

そんな矢先のことだった。


「…?」


ある日の夜、いつものように先生の部屋に行くもそこに先生の姿はなかった。

布団も敷かれてなければ灯りもない。
薄暗いその部屋は妙に気味が悪くて、夜の間私にとって唯一の安らぎの場所だったはずのそこには恐怖心しか湧かなかった。

その恐怖心を払いのけるように駆け出した私が向かった先は──…


「ぎ、ぎんとき…っ」
「あー…?んだよこんな夜中に…」
「先生が!いないの!」
「…いない?」


すでに寝ていたらしい銀時を揺すり起こし先生が居ないことを伝えると、眠たそうに目をこすっていた銀時の意識は一瞬で覚醒したらしい。
慌てたようにすっくと立ち上がり私の方を向いた。


「いないって…いつから…」
「わか、分かんないっ、今先生の部屋に行ったら居なくてっ、まっくらで、こ、こわくて…私…っ」
「っ、落ち着け!とにかく先生の部屋行くぞ!…歩けるよな?」


そう言って強く私の手を握った銀時の手は小さく震えていた。
…否、もしかしたら震えていたのは私の方だったのかもしれない。

二人で手を繋いで夜の廊下を走る。普段は喧嘩ばかりの私たちがこんな風に手を繋いでいるなんて、小太郎たちが知ったらきっと驚く。
だけど今はそんなことを言っている場合じゃあ無かった。

不安で、怖くて、今にも溢れ出してしまいそうな涙を堪えるので精一杯だった。

そうしてたどり着いた部屋は私がついさっき訪れた時と何も変わらない、部屋主を失って静まり返ったままだった。
隣に居る銀時も目を大きく見開いて驚いている。

けれど、それを見た私が我慢できなくなって泣き声を上げてしまいそうになったその時だ。
ふいに銀時が大きな声を出した。


「先生は今出かけてるだけだ!」
「っひ、っく…お、でかけ…?」
「そうだ!だから泣くなっ」


それから銀時は私を連れて、同じ布団に潜ってずっと手をつないでいてくれた。

本当は今にも飛び出したかったはずなのに。私が夜に脅えていたことなんて知らなかったはずなのに。
私を決して一人にしなかった銀時。


「……朝になったら先生は帰ってくる。それに先生が帰ってくるまで俺はぜってえこの手、離さねえから。…だから心配すんな」


嗚呼そうか。銀時は優しいんだ。
本当はすごく優しいやつなんだ、って。
私はこの時初めて気づいた。

そして私はこの時のことを生涯後悔し続けることとなる。

何故ならば朝になっても、また一つ夜を越えても、先生が帰ってくることはなかったからだ。


閉ざされた光。


暗闇の中で眠るのは、死とどこか似ているような気がする。
何も見えない、聞こえない。

私は怖いのだ。何もかもを隠してしまう黒が。ゆるりゆるりとどこからともなく近づき、襲いかかってくる闇が。今も、昔も。

思い出す闇はいつだって同じ。
優しい色を一瞬垣間見せては大切なものを簡単に奪い去ってゆく。

明けない夜などないと人は言うけれど。
ならばどうして私の心はいまだ闇の中、星もない真っ暗な夜の海をさ迷うの。


「あの人を返して」


暗闇が恐怖を呼び込むのではない、私にとってはきっとそう。
この夜こそが恐怖そのものだった。


夜が舌なめずり

企画サイトぼくのアルビノ様に提出


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