嗚呼なんて、なんてくだらない世界。

冷たい路地裏、狭い空を見上げる私は今にも事切れそうな意識の中でふとそんなことを思った。
否、それは今この時だけでなく常日頃から思っていることだが。

吸い込む空気は凍っているのに、やたらと地面だけが暖かいのは私の体からとめどなく溢れる血液のせいだ。
はあはあと必死に呼吸を続けようと喘ぐ声を他人ごとのように聞き流しながら私は目を閉じた。

真っ暗になった視界とまぶたの裏に浮かぶみっつの影。
思わず顔をしかめてしまったのはまた酷く隊服を汚してしまったから土方さんに怒られてしまうんだろうなとか、このままボロボロの姿で帰ったら沖田隊長にからかわれるなとか、近藤さんに心配かけちゃうんだろうなとか、そんな幸せな情景を思い浮かべてしまったからだ。

そんな時、遠くからこちらに向かって駆けてくる足音が耳に届いた。
うっすらと重い瞼を持ち上げれば誰かの足が路地の前で止まるのが見える。

少し離れた路地の奥には幾人かの亡骸が地面に伏している。彼らは皆私が命を刈り取った攘夷浪士たちだ。
もしも立ち止まった足が彼らの仲間のものだったら、…考えるまでもなく私の残り少ない命の灯は消し飛ばされるだろう。
不思議と後悔や恐怖という感情はなかった。それどころか私はこれから訪れるだろう命の終わりを何の迷いもなく受け入れていた。

しかし予想とは裏腹に、私の耳に届いた声は馴染みのある人物のものだった。


「お前…真撰組の、」
「………旦那?」


止まった足の持ち主とは万事屋の旦那だった。
おおかた近くを歩いていた時にでも僅かな血の匂いを嗅ぎ取って駆けつけたのだろう。いつも飄々としている彼の姿しか知らない私はその真剣な眼にしばし驚いていた。


「こんなとこで何やってんだ」
「見たら分かるでしょ旦那、仕事です」


私がそう言ったら旦那は路地の奥を睨むように見て、またすぐに私の方に視線を戻した。そろそろ目を開けているのも億劫になってきたころ、旦那は何の前触れもなく私の体をおぶって立ち上がる。


「…旦那、」
「るっせ、黙って寝てろ」
「旦那、いいです。置いてって下さい」
「わりぃがてめえの言うこと聞く義理なんざねえからな。勝手させてもらうぜ」


嗚呼このひとは優しい人だ。あの沖田隊長が慕うのも分かる気がする。とても優しくて、だから、


「旦那、私はあんたに助けてもらっていいような人間じゃないです」
「何言ってんだ?」
「わたしは汚いから」


彼の足は止まらない。けれど一瞬だけ、ぴくりと肩が揺れるのを感じた。


「汚いです、わたし。…人を斬って斬ってたくさん汚れた」
「………」
「わかってる、仕事だって、…それでもわたしがしてることは」
「おい」
「私は…」
「それ以上言うな」
「……」
「…気づかねえのか」
「何、を」
「おまえが自分のことを卑下するたび、おまえはあいつらのことも同じように言ってるようなもんなんだぞ」


じわじわと、声を発したばかりの喉が熱くなっていくのを感じる。叱るような旦那の声が私の心に波紋を広げた。

旦那は、こんな私なんかを怒ってくれる。助けてくれようとしている。
ならば尚更、私は最低だ。


「それだけ、じゃない、私…さっき」
「?」
「心の、どこかで、ほっとしてたの」
「……、…」
「最低だ…わたし」


私は真撰組のみんなが大好きだ。何をしたって彼らを護りたい、彼らと共にありたいと、心からそう想っていたのに。
終わりのない戦いに、向けられる殺気に、他人の命を奪う自分の刀に、いつの間にか私の心は疲れ果てていた。


「別にいいじゃねえか」
「え…」
「人を斬ることに馴れちまったらそれこそお終いだろーが」


思いもかけないその言葉に、私は返す言葉もなかった。閉じていた目を思わず開けると、目の前の銀色がきらきらと美しく揺れる。
みるみるうちにそれがぼやけて、ただの光の塊のように見え始めた頃、旦那の肩口は私の涙でびっしょりと濡れていた。


「……わたし、いいのかな」
「なにが?」
「みんなのそばに居て、いいのかな」
「んなこたァ知らねーよ」
「……」
「…でもま、それ聞いたあいつらが何て言うかくらい考えなくても分かるわな」


ただの思い違いかもしれない。だけどこのとき私は旦那に、このままの私でいいと、声もなくそう言われたように感じて、…本当に、心から安堵したのだ。
このひとの強さ、優しさを垣間見たような、そんな瞬間だった。

きっとまた私は何度でも己の剣に怯え、問いただし、涙を流すのだろう。
そしてそのたびに彼の言葉を思い出し、救われるのだろう。

彼らと生きる。ただそれだけのために。


夜の群雲、星の声


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