月に数度、左目が酷く疼く夜がある。痛みとはまた違うこの感覚は一体何なのか、強いているなら左目がじりじりと柔らかな熱を灯しているような、その感覚の正体は俺にも分からない。
そしてそんな夜は決まって名前が傍に居ない時に訪れる。

「………、」

今宵も、それが起こった。

痛みではない、耐え切れぬほどのことではない。しかしそれを無視して眠りにつくことができるほど無頓着な性格でもないということも自負している。そしてこんな夜は大抵眠れぬまま朝を迎えることとなり、するとこの疼きも自然と止むのだ。

一晩中月を眺めて夜を明かすのも、存外苦ではなかった。

名前は今遠征任務に出ていて、戻ってくるのは早くとも明日の昼。

今宵もこの疼きと共に夜を過ごすこととなるのは必須だろう。
あまりにも何もないこの空間で暇を持て余した俺はいつものように煙管に手を伸ばした。


「………、」


吐き出した煙がたゆたう。
満月にそれが重なるのと同時に俺は何となしに右目を閉じてみた。
視界は真っ暗、辺りには何もみえない。…はずだった。
しかし現実はそれと異なり、右目を閉じたと同時に、もう機能していないはずの左目はある姿を映し出した。


「……名前、」


目を閉じた先で名前が泣いていた。きつく唇を結んで、目線をも動かさず、ただただじっと俺を見て泣いている。


「…なぜ、泣く」
「……」
「前からそうだ、俺はてめえのことがなんにも分からねえ」
「……」
「何を考えてるのか分からねえ」


幻覚との会話など、と。あまりにも不毛な会話に自重じみた笑みが口元に浮かんだのが自分でも分かる。目を開けば目の前のこいつはいとも簡単に消えてしまうのだろうに、しかしそれでも今はまだ、静かに涙を流す名前のそばに居たいと思っただなんて、嗚呼くだらない。


「……晋助?」


ふと、降りかかってきた声に瞼を上に上げた。それと同時に左目にあった名前の泣き顔は消え、その代わりに右目に映ったのは驚いたような名前の顔だった。


「何してるの?寝ないの?」
「…名前、」
「どうし…、きゃ!」


何かを考える前に体が動いた。
彼女の腕を引き、腕の中に収めると左目の疼きがいちだんと酷くなった。どくどくと逸る何とも言えないこのもどかしさに色々な感情が混ざり合って、何がなんだか分からなくなりそうだ。

目の前の名前を滅茶苦茶にしてやりたいと思う、その気持ちの名前がわからない。今日は分からないことが多い。ああそういえば、左目が疼く夜に名前がそばに居るなんて初めてだ、そんなことを思い出して少し冷静になれば、先ほどの高揚感が唐突に冷めていくのが分かる。


「……、っー…」
「…しんすけ…?」


密かに、偶然にも先ほど名前の顔を見なくて良かったと安堵した。
もし見てしまっていたら感情をどこかに置いてきたまま、欲望の赴くままに俺はきっとこいつを襲っていたに違いない。


「ど、どうしたの…」
「………」
「…なにかあった?」
「………いや、」
「そう…」


抱きしめあったまま暫く沈黙が続いた。次第に名前が背中を撫で始めて、俺は腕の力を少しだけ緩めた。


「晋助、辛いの?」
「………」
「泣いてるの?」
「………」
「…泣かないで、晋助。私ずっと晋助のそばに居るから。寂しい思いなんてさせない、から」


言わずもがな、俺の瞳は濡れてなどいない。それどころか泣いているのは目の前のこいつの方だ。表情は、見えないけれど。
そうでなければこの震える声の主は誰だというんだ。


「…馬鹿言え。泣いてんのはてめえだろ、名前。……泣くな」


泣かせているのはどこのどいつだ。たった一人、他は全部捨てても捨てきれなかった女一人さえ護りきれないこの俺だ。
陳腐な台詞はもう聞き飽きた。それを紡ぐ自分の唇にさえ嫌気がさす。


「ここにゃあ何も怖えもんなんてねえだろう。だから、泣くな」


戯れ言だと笑えばいい。けれどこれは嘘じゃない。近づいてくる終わりの気配に怯える必要なんてない、なぜならば俺たちこそが終焉そのものなのだから。
わりいな、もう俺にはお前を手離す強さすら残ってねえらしい。お前をも道連れに歩む道の果ては、ほらもうすぐそこにある。


そう遠くはない終焉へ

Thanks.麗さま


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