ただ何もかもが苦しく飛び出した、あの幼い日。
苦しみを、痛みを知った。後悔も間違いも数え切れないほどに繰り返した。
生を祈り、死を紡いだ私たち。
辛くないと言えば嘘になってしまうけれど、一度も逃げ出したいと思わなかったのは確かな事実。
それはそうした生き道しか知らなかったからというわけじゃあなくて、私自身がここに居たいと思ったから、だから私は今ここに居る。
辰馬や銀ちゃん達の傍に居たい。
それだけが私の存在理由。
「おまん、あしたからはもう戦には出らんでいいきに」
けれど現実は私の存在理由なんて、いとも簡単に打ち砕いた。
「……な、んで」
返ってくる返事はなく、先ほどから目を合わせようとしない辰馬と私の間に重い空気が蔓延る。
「わ、わたし何かした…?もし何かしたんなら次はもうそんな失敗しないよ…っ?
…頑張る。頑張るからっ、死ぬ気で頑張るから、だから…」
「わしはそういうこと言いゆうわけじゃないぜお」
「え、…」
「おまんは何もしちょらせんよ」
「じゃあどうして…?」
「…」
「私も一緒に戦いたい、辰馬たちの隣に居たい!だから、そんなこと言わないで、っ」
「それは無理じゃ」
「なんで?!わたし死ぬのなんか怖くな…」
刹那、どんと言う音とともに一瞬靡いた風。横に目線をやれば、そこには辰馬によってたたき込まれた拳が壁にへこみをつくっているのが見えた。
「…」
「死ぬことが、怖くない…?」
「…たつ、…」
「次に一度でもそがあなこと言うたら今度こそ許さんきに」
その瞬間、私の眼は壁から離された拳からぱらぱらと散る木片よりも先に、辰馬の眼によって捕らわれた。
いつも弧を描いて細められているはずのそれは、今はぎらぎらとした青色を灯している。
けれど不思議なことに、それに恐怖を感じることはなくて。
「……とにかく、おまんは明日から此処に待機じゃ」
「いや」
「……、伊織」
「絶対にいや」
だって、わたしよりずっと辛そうにしているのはあんたの方じゃない。なんたってそんな、そんな顔をわたしの見せるのよ。
「……確かに私がこの戦争に参加した理由はみんなと違って大層なもんじゃないよ。でも今は違う。わたしにも戦う理由がある」
「理由なんてあって無いようなもんじゃ。あっても、無くても…、結局やることは一緒ろ?」
ああ、まったく。ほんとうにこいつは痛いところをついてくる。普段なにも考えていないような顔をしているくせに。
「………なんであんたは、そこまで私を否定すんのよ」
「…」
「理由を教えてよ」
何を言われても私は自分の想いを貫き通すと決めていたし、邪魔だからとか弱いからだとか言われても、動じないと心に決めていた。
だけど辰馬が私を罵倒するでも蔑むでもなく、ぎうと強く抱きしめてきたから、私はとうとう何も言えなくなってしまった。
視界を防がれた私の耳に、辰馬の声が小さく小さく届く。
「…分かっちゅう、これはわしの勝手な想いじゃき。それでもわしはもうこれ以上、おんしが傷ついていくのを見たくない」
「…」
「もう誰が死ぬのも見たくない」
ただただ驚愕した。
あの辰馬が人前で泣くなんて信じられなかった。
だけど聞こえてくる僅かなすすり泣きは確かに彼のもので、私はますます訳が分からなくなる。
「わ、たし…いままで大きな怪我なんて負ったこと、ないよ?」
「…うん、」
「今日だって…刀が少し掠ったくらいの傷しか、ついてないのに」
「うん、おまんは強いき」
「………、だったら…」
「けんが身体が傷ついちょらんでもおまんの心はもう傷だらけじゃち、わしは知っちゅうよ」
「…え」
「毎晩聞こえゆう。隠しよるつもりじゃろうが、声を殺して、泣く、おんしの、コエが」
切れ切れに、ゆっくりと降ってくるその音は私の動悸を加速させてゆく。どくんどくん。命の音が強くなる。
「わしはおんしが泣くのを見るがはもう耐えきらんよ、」
泣いてなんかないよ、私なら大丈夫。だから心配しないで。そう言うはずだった私の喉は僅かにひくりと動いただけで、声を洩らすことはなかった。
その代わりとでも言うようにじわじわと熱が喉に集まってくるのを感じて、思わず私は眼を閉じた。
「……おまんはさっき死ぬことなんか怖くないちゆうた」
「…うん」
「それは死ぬ覚悟があるちゆうことじゃろう」
「…、うん」
「もうそんな覚悟、いらんき」
「……」
「なあ、伊織。死ぬ覚悟なんかいらん。生きる覚悟を持ってくれ。笑って…ただ普通に、生きる覚悟を、もってくれ」
懇願するように囁かれたその言葉は私の中に溶けてゆく。
だんだんと目頭が熱くなっているのはきっと私の気のせいなんかじゃないんだろう。
「…生きる覚悟、かあ…。この世界でそれほど辛くて苦しい覚悟はないよ」
「わかっちゅうよ」
「うん、たつま。ありがとう」
でもね、だからこそ私はこれからも戦場に立つよ。生きるために、みんなと一緒に笑うために、生きる覚悟を持って歩いてく。
辰馬の腕は大きくて、抱かれる私はちっぽけで、幼い自分に腹が立つ。だけどね、だけど。
僕なりに、それなりに
あなたのことが好きだっていう気持ちは世界で一番大きいよ。
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