06.1Q87


 今、ジョセフ・ジョースター率いる五人の男たちはエジプトへと足を踏み入れた。ただしその上陸は、船でも飛行機でもない。数々の敵からの妨害を乗り越え、自力で泳ぎ着いたところだった。

「流石に疲れたわい。今日はもう休もう」

 ジョセフの言葉に、異を唱えるものは居らず、こうして一行は、海岸沿いに立つホテルへの宿泊を決めた。


「それじゃぁ、わしはSPW財団へ連絡をしてくる。義手のこともあるからのう。何かあったら、わしはフロントじゃ」
「えぇ、わかりました。お気をつけて、ジョースターさん」
「フラフラどっか行くんじゃねぇぜ、じじい」
「ッカー! 承太郎め、可愛くない! 人を耄碌扱いするんじゃないわ!」
「まぁまぁ、とにかく、連絡をお願いします」

 プリプリと怒りながら部屋を出て行くジョセフに、見送ったアヴドゥルと花京院は苦笑で室内を振り返る。

「承太郎。心配なのはわかるけど、もう少し言葉を選ばないと」
「なんのことだか、わからねーな」

 苦笑のまま友人へアドバイスをしてみる花京院が腰を下ろしたのは、帽子のつばを下げる承太郎が寝転がるベッドの端。並んだもうひとつのベッドには、既にポルナレフが同じように寝転んでいた。

「流石に疲れたな〜。まさか、スキューバダイビングまですることになるとは思わなかったぜ」
「確かにな。しかし、疲れたのはわかるが、着いて早々ベッドでごろ寝とは、だらしないんじゃないか?」

 天井を仰ぎ、大きく溜息をつくポルナレフのベッドへ、アヴドゥルも小言を付け加えながら腰を落ち着けようとした。

「え?」
「なんだと?!」
「おい、どういうこった」
「どうやって此処に……!」
「オイオイ、どうした?」

 アヴドゥルがベッドに腰を下ろした瞬間だった。彼の膝の上に女が一人、椅子にでも座るように収まっていたのだ。アヴドゥルの背後に寝転がっていた所為で、彼の膝の上が見えなかったポルナレフを除いて全員が騒然となる。

「え?」
「え?」

 身構える四人以外の、現状が把握できない二人の疑問の声が重なった。


 祥子はアヴドゥルの膝に座ったまま動けずにいた。
 課題も終わり、ようやくゆっくり休めると、ベッドに潜り込んだまでは覚えている。だから現状もまた、最近特に頻繁に見るようになったリアルな夢の中なのだと、祥子は一人納得していた。
 しかし夢の世界の住人である目の前の四人と、祥子が乗っている男たちからすれば、祥子は突然現れたように見えるらしい。つまり、不審者だ。そして今、祥子は一人の男、モハメド・アヴドゥルの膝に座ったまま、彼の腕によって拘束されているのだった。

「あ、あの、すみません、何もしないので、放してくれませんか?」
「素性もわからない人間に言われて、そう簡単に放すと思うか?」
「そ、そうですけど……」

 彼らが命がけの旅をしている事を知らない祥子からすれば、変にピリピリしている彼らに気圧されて強く反抗もできない。かといって、剣呑な空気の割には、乱暴をされる訳でもなく、騒ぐに騒げない。
 変に冷静になってしまえば、今度は今の自分の状態が気になって仕方がなかった。

「なんか、ホントもう、何もしないんで。いっそ縄で縛ってくれても良いんで、放してください……!」

 祥子は、自分でもわかるほど顔が熱かった。今現在、お互いの心象その他は別にしても、祥子はアヴドゥルに抱きしめられているようなものなのだ。
 赤の他人の、それも男に、その腕に閉じ込められるようにされて平静で居られるほど、祥子は男慣れしたタイプではない。気持ちの上でも特別危機感を抱いているわけでも、緊急性を感じているわけでもなければ、余計に羞恥ばかりが際立っていた。
 その結果、何とか開放してもらおうと、真っ赤な顔のまま訴えるしかないのだった。
 そして、そんな祥子の胸の内を察してくれる男が一人居た。

「なぁ、そいつの言うとおり、縄でも巻いて一度放してやろうぜ。もう見てるこっちが可哀相なくらい真っ赤じゃねえか」

 そう言って、スタンドを消す事こそしなかったが、気の毒そうに祥子を見たのは、一時乗り遅れていたポルナレフだった。
 羞恥に顔を赤くした女の姿は、フランス生まれのフェミニストからすれば憐憫の情を誘うのに十分だった。さらに言えば、祥子の見た目も手伝って、彼は眉間にしわを寄せる。

「アヴドゥルの為にも言っとくけどよ、その体勢は不味いと思うぜ。イタイケな少女をさらう悪の魔神みたいになってるぞ」
「んなっ?! 馬鹿を言うな!」
「少女?!」

 フランス人のポルナレフからすれば、純日本人の祥子はとても幼く見えていた。さらに言えば、今はゆったりとしたパジャマ姿。余った袖が幼さを際立たせている。何しろ、彼の仲間の日本人二人ときたら祥子とは反対に特別大人びて見えるタイプだ。
 よってポルナレフは、祥子をだいぶ年下に見ていた。仲間の高校生たちよりも。それはまるで、今は亡き妹を重ねるように。そしてそんな少女を抱くアヴドゥルの姿に物申したのは、悪意あってではなく、あくまで彼の親切心からだ。
 もちろん、そんな評価を下されたアヴドゥルは不服を唱えたが、その少女発言に殊更驚いたのは祥子だ。彼女は既に成人している。また普段の生活で少女扱いなどされた事もない。あまりといえばあまりの状況に、アヴドゥルと共に言葉を失っていた。
 そんな二人の様子に、苦笑気味に助け舟を出したのはそれまで黙って様子を見ていた花京院だった。

「ポルナレフ、欧米人の君じゃぁ仕方が無いかもしれないけれど、おそらく彼女は「少女」と言われるのは心外に思う年齢だよ」
「嘘だろ花京院?!」

 本気で驚いているポルナレフに、花京院は肩を竦めて返す。

「そんな事で嘘をついてどうするんだ。承太郎、君はどう思う?」
「俺は花京院と同意見だ。俺より少し上くらいだろうぜ。ついでに言うなら、そいつは放しても大丈夫だろう。スタンドすら見えちゃいねぇらしい」
「本当か?」
「疑うなら、試してみりゃぁいい」

 花京院に話しを振られ、承太郎もスタープラチナを発現させたまま言う。旅の仲間では年少組でありながら、常に冷静であり、誰より言葉に説得力のある承太郎の意見に、アヴドゥル、ポルナレフ共に顔を見合わせて頷いた。彼の言うとおり、試してみようということだ。
 一方で、現状は改善されない上に、話しにもついていけない祥子は黙っているしかなかった。そこはかとなく以前も聞いたような単語が耳に入るも、それをわざわざ拾う程、興味があるでもなかった。
 今一番欲しいのは、この恥ずかしい拘束からの解放だ。しかし彼らは、そんな祥子の願いを叶えることなく、なにやら難しい顔をしているばかりだ。

「うーん、確かにチャリオッツも見えてないようだな」
「私のマジシャンズ レッドにも反応はなしか」

 祥子には見えていないのだが、今、彼女の周りには鳥の頭を持つアヴドゥルのスタンド――マジシャンズ レッド――と、全身が鎧で覆われたポルナレフのスタンド―シルバー チャリオッツ――が臨戦態勢で構えていた。
 その祥子の反応を観察する四人ではあったが、疑うということはきりがない。これを演技と判断するかを決めかねていた。

「わからねぇな。今は何だって怪しく見えちまう」

 ぼやきながら、ポルナレフは悪戯半分、チャリオッツのレイピアの鋭い先端を祥子の眼球すれすれまで近付けた。少しでも動けば傷ついてしまうだろうその距離。緊迫する彼らに対し、見えていない祥子は不思議そうに首を傾げてしまった。

「おわぁぁぁっ?! あっぶねぇぇぇぇ!!」
「え?!」

 祥子はただ首を傾げただけだった。にもかかわらず、目の前の銀髪を逆立てた男は大声をあげ、大げさに飛びのいていた。意味が解らずにぽかんとするばかりの祥子の頭上から、大きなため息が落ちる。

「君がスタンドを見ることもできない、無害な人間だということは良くわかった。すまなかったな」
「おっ前なぁ……! あ、いや見えてねぇのか……。それにしたって、畜生、肝が冷えたぜ」
「はぁ……、えと、すみません……?」

 ぽかんとする祥子を膝からベッドへとおろし、アヴドゥルは苦笑で彼女の頭をくしゃりと撫でた。それを見ながら、花京院は子ども扱いは変わっていないじゃないかと思ったとか。
 かくして、祥子の疑いはひとまず晴れた、という事になった。


「へぇ、エジプトへ……。というか、此処、エジプトなんですね」
「本当にわからないまま来てるんだね」
「そうなんですよ。私もびっくりしました」
「一番驚かされたのは、わたしだがな」
「いいじゃねぇか。役得だったろ?」

 ようやくアヴドゥルの膝から開放され、ベッドへと腰を落ち着けた祥子と、十字軍(ジョセフ除く)の面々は、お互いの情報交換、というよりも、なんて事のない雑談をしていた。先程までの張り詰めた空気は随分と緩み、笑いを交えて言葉を交わす。
 例えば、彼女はもう20になっているだとか、それに比べて承太郎は高校生に見えないだとか。最近日本では焼き芋味のチョコが発売されて意外と美味しかっただとか。男性に抱きしめられた(と言うと語弊があるが)のは久しぶりだったと言う話題には、特にポルナレフが食いついて二人でキャッキャと笑っていたし、アヴドゥルはわかりにくいが赤い顔を盛大にしかめていた。
 久しく味わっていなかった「日常」の話題に、男たちは少しだけ懐かしさと憩いを味わいながら。

「でも、大丈夫なの? 空条くんと、花京院くん、高校生なのに学校サボっちゃって」
「うーん、今までそこのところは考えた事なかった。改めて言われると、ちょっと怖いかもしれないね。ぼくは今まで優等生できてたのにな。生まれて初めての、補習漬けってやつになるのかな?」
「あはは、確かに花京院くんは真面目そうだもんねぇ。頑張りたまえよ、高校生くん」
「ひどいなぁ、祥子さんは。他人事だと思って。承太郎、きみだって関係ないぜって顔してるけど、ぼくと同じ運命をたどるんだからね」
「……やれやれだぜ。おれまでやかましいのに巻き込むんじゃねぇ」

 ごく真っ当な高校生扱いに、花京院も承太郎も表情は違えど、纏う空気は柔らかくなる。

「そういやぁよ。祥子はなんでパジャマなんだ?」
「う〜ん、寝入りばなだったからかなぁ?」

 やっとと言えばやっとなのだが、ポルナレフの疑問にようやく祥子の出現について、皆の意識がむく。
 とは言え、祥子本人にも良くわからない現象を聞かれたところで、答えられる情報は少なかった。

「新手のスタンドでしょうか」
「人を移動させる能力、ということか?」
「だからってよー。コイツを俺たちの所に飛ばして何だってんだよ?」
「ポルナレフの言うとおりだ。奴らの刺客を送り込むならまだしも、スタンドも使えない、ただの女に何をさせようってんだ」
「なんかもう、平凡ですみません」
「おわっ、別に悪いってんじゃねぇって!」
「ふっ……、あはは、すみません、祥子さん。むしろ普通の人でいてくれてありがとうございます」
「ぶっ、ははは! なんだそれ、花京院」

 彼らの言っている意味がほとんどわからないながら、状況の異常さに対する自身の普通さにいたたまれず、謝罪の言葉が祥子の口をついて出る。それに慌ててフォローを入れるポルナレフとの一連の流れに、笑いを漏らして花京院がさらにフォローを入れると、それにつられてポルナレフも笑う。そうして祥子も笑ってしまい、簡単に気持ちを浮上させてもらっていた。

「あはは、良いなぁ、こういうの。なんで此処に来たのか良くわからないけど、皆と会えてラッキーだったかも」

 暢気に笑っている祥子に、承太郎は柔らかくしていた表情を引き締めた。

「だが、帰れる保証はあるのか? アンタも、俺たちも、なんでこんな事になってるのかわからないんだぜ?」
「う〜ん、大丈夫だと思います」
「なに?」
「それは、何か当てがあるのか?」
「当てっていうか、そうですね……そんな気がするから?」
「頼りねーなぁ。本当に大丈夫か?」

 全くもって根拠のない祥子の自信に、男たちは顔を見合わせて肩を竦めるしかない。折角心配をしてみせた承太郎も、帽子のつばを下げて「やれやれだぜ」と零した。

「あ〜、ごめんね、なんて説明したら良いのか……。ん?」
「どうしました?」

 呆れる承太郎たちへの弁解の言葉が途切れた。そのまま、周りを見まわす祥子を不思議そうに花京院が呼ぶ。

「あれ? 皆には、ベルの音が聞こえない?」
「ベル?」

 目を瞬かせる祥子に、皆一様に首を横に振る。誰も、祥子以外に物音をとらえているものは居なかった。あの、スタープラチナを持つ承太郎でさえも。

「あ! 私、帰るかも……!」
「なんだって? 君の言う、音が関係しているのか?」
「うん、そう。コレ、目覚まし時計だわ!」
「「「「目覚まし時計?」」」」

 呆気にとられる男達をよそに、一人合点のいった祥子はおもむろに一人一人の手を取っていく。それは、長く大変な旅をしている彼らへ、擦り合う袖程度の縁でもその無事を祈るくらいは許されるだろうと思っての行動だった。

「アヴドゥルさん、年長者って大変ですけど、皆の事、頼みますね。アヴドゥルさんも、無理はしないでくださいね」
「あ、あぁ」
「空条くん、無茶しないようにね。喧嘩とかしないようにね」
「やれやれ、てめぇに心配されるようなヘマはしねぇぜ」
「ポルナレフ、気を付けてね? 優しいのは良いけど、女の子に騙されないようにね」
「なんで俺は呼捨てなんだよっ! しかも心配がそれかっ」
「あはは、だって年近そうなんだもん。花京院くん、補習頑張ってね! あと、怪我しないようにね。この面子じゃぁ、無茶しそうで巻き込まれそうだもん。気を付けてね」
「は、はい、ありがとうございます。……あっ?!」
「おっ、おい?! マジか?!」

 祥子が言い切ったとき、代わりに驚きの声が四人の口から上がる。

「祥子さん、透けて……」
「あっ、うん、大丈夫! それじゃぁ、さよなら。少しの間だけど、楽しかったよ」

 思わず伸ばした花京院の手は、空を掻く。にこりと笑った平穏は消えていた。

「本当に、帰ったのか……」
「そのようだね」
「なんじゃぁ? 皆して寝ぼけたような顔をして?」
「ジョースターさん!」

 呆けた空気が漂った部屋に、入ってきたのはジョセフだった。目を瞬かせる四人は顔を見合わせる。

「本当に、寝ぼけた気分だぜ……」
「そう言えば、彼女は目覚まし時計とか言っていたな」
「なんじゃなんじゃ! お前らしゃきっとせんか!」



「ふぁ〜……。やっぱ、夢かぁ」

 いつもの布団の上、目覚まし時計を止めながら伸びをする。

「大人数の夢だったなぁ……。面白かったかも」

 思い出し笑いをしながら、今日も祥子は平凡な日常への支度を始める。彼女にとって、やはり彼らは夢の住人なのだ。朝日が昇れば、目が覚めてしまえば、それでおしまい。




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