05.シェイク・ハンド・シェイク


 なんて酷い悪夢だろうと、祥子は目の前の光景に眩暈を起こしそうだった。夢の中だと言うのに。
 悪夢の元凶というべきか、悪夢そのものというべきか。薄暗がりの中に立つ男がゆっくりと振り向いた。
 その顔は紳士然としていて、華やかさこそ無いが、思いのほか整っている。身に着けているものもまた、派手ではないが質は良く、品があった。そしてその綺麗に磨かれた革靴の先に、見てはいけないものがあった。見たくもないものがあった。

「ふぅ、厄介な事になった」

 男が初めて口を開く。神経質そうなその声に、祥子の肩がギクリと跳ねた。その声の調子は、まるで仕事のミスを見つけたとでも言うような、ごく日常的なものだった。その分、彼の足元に転がる「モノ」の異常が際立っている。

「あ、あ……」

 対する祥子は、口元を両手で押さえ、なんとか叫び声を上げるのを防いでいた。逃げ出したいのに、足が地面に打ち付けられたかのように動けない。目の前の光景に、視線を引き剥がす事もできなかった。

「あまり、見ないでくれないか? まぁ、今更、目を逸らしたところで、見逃してあげる事はできないけれどね」

 やんわりと、子供をたしなめる様に言う男に、いよいよ嫌な汗が祥子の身体から噴出した。このまま固まっていれば、彼の足元にあるモノとそっくり同じ道を辿るのだろう。彼の足元に倒れこんだ彼女は、部品がてんでばらばらに散らかっていた。

「ひっ」
「おっと、騒ぐんじゃあない」

 一歩、男が足を踏み出した事で、祥子の口からはまた小さな悲鳴が漏れる。それを落ち着かせるように手のひらを見せ、宥める男の声は静かで、その表情はいたって柔和だ。それは男――杜王町に潜む連続殺人鬼、吉良吉影――が絶対的優位に立っているからこその落ち着きだった。

「いや、驚かせて悪かったね。丁度、わたしと彼女がお付き合いを決めたところだったんだ。現場を見られてしまったのは照れくさいが、君を驚かせてしまった事とだし、これで相子かな? ふふ、彼女、綺麗だろう? すこし散らかっているが、それを片付けてしまえばもっとスマートになる。それに、彼女は磨けば光るタイプらしくてね。今からどう変身してくれるのか、楽しみなんだ。おっと、惚気てしまったな。ふふ、わたしも浮かれていてね」

 吉良は祥子へと歩み寄りながら、嬉しそうに言葉を紡ぐ。新しくできた恋人を自慢する、甘ったるく幸せそうな様子に、祥子はいよいよ吐き気をもよおしてくる。
 吉良が愛しそうに熱い視線を送るのは「手」だった。美しい女の「手」をうっとりと見つめる吉良に、祥子は震える足であとずさる。
 祥子から見れば、彼の言う「彼女」とは即ち「死体」だった。否、死体の中でも特別「手」だけに向けて吉良は甘く囁くのだが、そんな事はどうでも良い。どちらにせよ、祥子からすればその異常性は変わらないのだ。
 青褪めるばかりの祥子を、それは愉快そうに眺めながら、吉良はおもむろに彼女の手を取った。

「やっ……! 離して!」
「ふん、五月蝿いな。これだから、頭のついた女は嫌なんだ」

 吉良はそのひやりとした手で、祥子の手首を捕まえると、品定めをするかのように眺め回す。いや、確かに彼は品定めをしていた。そして、実に勝手な評価を下す。

「ふむ、悪くは無い。悪くは無いが、しかしやはりわたしの彼女の方がずっと美しい」

 まるで浮気を疑う恋人のご機嫌をとる様に、祥子をとぼす事で、べったりと甘く「彼女」を褒める。しかし、祥子にはその扱いを憤る余裕などはなく、逃げ出そうと吉良につかまれた手を必死で引いた。

「っ?!」

 思い切り手を引くと、祥子の手はあっけなく吉良から開放された。思わずたたらを踏むも、身を翻し、脱兎の如く駆け出す。一刻も早くこの場から逃げたかった祥子は、自分が「殺人の犯行現場を目撃した」ということすら理解できていなかった。ましてや、犯行現場を目撃された犯人が「どうするか」と言う事に考えが及ぶわけも無い。

「逃げられては、困るな。私はただ静かに過ごしたいだけなんだ」

 別段焦った風でもなく、吉良は笑みすら浮かべて祥子の背中を見つめる。
必死に走る祥子の足は、しかし彼女の思い虚しく、震え、もつれて決して早くは無かった。

「キラー・クイーン」

 吉良が彼の無慈悲なる女王を呼べば、その背後に大柄な人影が浮かぶ。ついと彼自身の綺麗な指で祥子を示し、吉良は終わりを唱えた。

「第一の爆弾!」

 強烈な爆発音。その音の暴力が消えたとき、吉良が予想していたよりもずっと綺麗に、祥子の身体は無くなっていた。常ならば立ち上る煙すらも無く。

「珍しいな。随分と、やりすぎてしまったようだ」

 たいして気にした風も無く呟くと、吉良は「彼女」の余計な「荷物」を同様に消し去り、上機嫌に家へと帰っていった。もうそこには、薄暗い悪夢は居ない。既にこの街、杜王町はいつもの平穏な顔に戻っていた。


 ガタンと身体を揺らし、祥子は飛び起きた。

「あっ……!……あ?」

 見開いた目に映るのは、窓から差し込む夕日に赤く染まった電車内。祥子が座っているのは、いつもの人も疎らな電車の椅子。

「ゆ、夢……?」

 まだ痛いほど脈打つ胸を押さえ、深く安堵の息を吐き出した。また祥子にとってはいつもの、妙にリアルな夢だったのだ。

「怖っ……」

 今回の夢は事さら恐ろしかったと、夢の内容を思い出し、祥子は身体を震わせる。
 殺人鬼が居た。死体があった。そして祥子には良くわからなかったが、身体が爆ぜて死んだと思った。

「夢で、良かった……」

 きっと疲れていたのだと自分に言い聞かせ、最寄り駅が近いアナウンスに、祥子は椅子から立ち上がる。

(今日はしっかり休もう)

 頭をひとつ振り、夢の残りを車内へ置いていくつもりで足を踏み出し、電車を降りて行った。



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