02.紳士は黒髪もお好き?


 その日、ジョナサン・ジョースターはベッドサイドの明かりを灯し、就寝前の読書に夢中になっていた。
 ふと気付けば、部屋の時計が指す時刻は普段よりずっと遅く、流石に寝ようと本を閉じた時だった。彼の背後、とはいえ狭いベッドの上のこと、本当にすぐ背中でベッドが軋んだ。確かな人の存在を示すように沈んだマットレスに、慌てて後ろを振り返って驚いた。

「君は、誰だい?」

 訊ねたジョナサンに対して、突然現れた少女もまた、ジョナサン以上に驚いた顔をしていた。


 祥子は、今日も何時もどおり眠りについた。先日見た、恐ろしくも妖艶な夢を思い出しつつも、彼女は何も変わらない生活を送っていた。たかが夢なのだから。
 そして今もまた、ずいぶんとリアルな夢だなと驚きつつも、あくまでのんびりと構えていた。

『君は、誰だい?』

 祥子と同じように驚いた顔は、先日の男とはまた違った美形だ。共通しているところは、祥子にとっては外国人だということと、体格が驚くほど良いこと。しかも困ったことに、今度の夢はさらにリアルを追求したらしい。彼の言葉も外国語だった。

「あ〜、え〜……す、すみません……」

 大半の日本人がそうであるように、祥子もまた語学が大変に苦手だった。目の前の彼、ジョナサンの流暢な英語が聞き取れず、曖昧な笑みを浮かべて、とりあえず謝るしかできない。これぞジャパニーズ・スマイル、と冗談を言う勇気は彼女には無い。
 対するジョナサンにしても、突然現れた少女が何やら小さく呟いた言葉に、やはり彼女が彼にとって外国人である事を確信していた。しかも、英語が通じないらしい。

『困ったな……。英語は駄目かい? じゃぁ、ドイツ語は? あぁ、フランス語はどうだろう? それともイタリア語? ぼくもあまり得意じゃないんだけれど……。中国語は全く駄目だしなぁ』

 それでも紳士たるもの、幼く見えようともレディを不安にさせてはならないと、ジョナサンは優しく、なるべくゆっくりと言語を変えて問いかけてみる。紳士であろうと努める彼にとっては、例え得体の知れない相手でもレディはレディなのだ。

「あ、あの、英語、えっと、イングリッシュ、で、スロー、プリーズ」
『英語だね! 通じる言葉があって良かった』

 そんなジョナサンの厚意あってか、必死に彼の言葉を聴いていた祥子も、何とかそれが英語であると気付くことができた。たどたどしいを通り越した、それでも祥子の精一杯の日本語英語でもって英語を希望する。
 一生懸命さが伝わる祥子の様子に、ジョナサンは嬉しそうに、そして小さな子供を相手にするように笑顔を浮かべて見せた。下手くそな、簡単な単語を連ねるだけの会話は、日本人特有の童顔とあいまって、ジョナサンの祥子への印象をさらに幼いものにしていたのだ。

『そうだな……。まずは、君の名前を教えてくれるかい? きみの、なまえ。わかる?』
「えぇと、ネィム、ネーム、名前?えっと、マイネィムイズ ショウコ」
『ショウコ? きみは、ショウコって言うんだね。ぼくは、ジョナサン。ジョナサン・ジョースターだよ』
「ジョナサン?」
『そう!』

 二人の会話は、まるきり大人が小さい子供を相手しているような会話だった。しかし、あまり幼い子供と接する機会のないジョナサンにとって、それはくすぐったいような楽しさがあった。

(妹が居たら、こんな感じかな?)

 家族と言えば、彼と似たような体格の良い男ばかりの環境が、ついそんな事を思わせる。しかし、目の前の少女が実は彼より年上であると彼が知る事は終ぞなかった。

『君は、どこからきたの?』
「えぇと……ウェアー、うぇあー……、どこ、かな? えっと、ジャパン。アイ ケィム フロム、ジャパン」 
『ジャパン? もしかして、あの極東の? そんなところからどうやって……』
「えぇと……?」
『あぁ、ごめんね。どうやって、きたの?』
「ハウ、はう……どうやってかな?うーん……夢?ドリーム?」
『夢?』
「イエス!」

 ここにきて初めての祥子の自信ありげな返事に、今度はジョナサンが戸惑ってしまう。

(夢だって? 彼女は頭がどうかしてしまったんだろうか。でも、確かに彼女、ショウコはぼくのベッドの上に突然現れた)

 黙り込んでしまったジョナサンに、夢とはいえ流石に正直に言い過ぎたかと
祥子も不安になってくる。

「ジョナサン?」
『あ、あぁ、ごめんね。ちょっと、びっくりしちゃって』
「ううん、私が変な事言ったから。アィム ソーリー」

 幼げな顔に不安そうに見つめられ、ジョナサンははっとして笑顔を戻す。軽く謝れば、相手もまた素直に謝罪を口にするので、ジョナサンは思わずその小さな頭を彼の大きな手で撫でていた。
 急に撫でられて驚いたのか、彼女のまるで平穏を固めたような焦げ茶の目が丸くなる。しかし直ぐに、はにかんだ笑みに細まり、ジョナサンはくすぐったくも嬉しいような、照れくさいような気になった。
 言葉が少ない分、伝わりにくい分、お互いに触れ合いで気持ちを伝える事に抵抗が薄くなっているのかもしれない。
 言葉は違えど、祥子も、ジョナサンもそんな事を考えて、もう少しだけ二人の距離が縮まっていった。

『眠たい?』
「うーん……、少し……。えぇと、ア リトル?」

 のんびりと、ゆっくりと、言葉を交わしていくうちに、二人の空気は柔らかく馴染んでいった。その中で、祥子がふわりと至極のんびりとした欠伸を漏らしたことで、ジョナサンの口が一度閉じられる。
 やんわりと訊ねればふわりと欠伸交じりの返事が返ってくる。
 ジョナサンが時計を見れば、時刻はあれからさらに深夜を回っていて、これは幼げな彼女には眠たかろうと、おしゃべりに夢中になっていた自分に苦笑を漏らした。
 しかし今にも眠りに落ちそうな彼女には申し訳ないが、このままというわけにはいかないだろう。

『もうこんな時間だし、事情は明日にでも説明するから、今夜は客室で眠ると良いよ。さぁ、もう少しだけ我慢してくれるかい?』

 ジョナサンがゆっくりと言い含めるように言うも、もう半分ほど眠りに落ちている祥子には届いているのか、いないのか。柔らかな枕に顔を埋め、だだを捏ねるようにいやいやをする。その仕草はとびきり幼く見えて、ジョナサンは苦笑とともに、祥子の頭をゆっくりと撫でる。眠らないでとの思いを込めての接触は、しかし、彼の暖かい体温を祥子に伝え、その優しい心地よさになおいっそう眠りの波が彼女を掬っていた。
 
『そういうわけにはいかないよ。君は女の子なんだから』
「ん〜……、大丈夫、ノープロブレムよ……」
『大丈夫って……』
「だって、これは、夢だもの……ドリーム……」
『夢?何を言って……あっ!』

 もはや言葉もおぼつかない祥子に困ったように声をかけていたジョナサンは驚きに息を呑んだ。


「消えた……」

 ジョナサンの手の下に確かにあった髪の感触が消え、支えの無くなった手はシーツへと落ちる。目の前で起きた現象にしばし言葉を無くしていたが、小さく息を吐き出すように笑いだす。

「ふふ、幽霊にしてはのんびりしているし、コレは夜更かしするぼくを眠らせようとする夢の妖精でも出たかな?」

 自分で言っていても馬鹿馬鹿しいと思いながら、ジョナサンは今の穏やかな時間に悪い気はしていなかった。
 ふいにジョナサンのドアをノックする音に、今度はぎょっとしてベッドを出る。慌てて開いたドアの向こうの人物の眉間には皺が寄っていて、釣り上がった彼の眉と対象に、ジョナサンの眉は情けなく垂れるのだった。

「ジョナサン、君は今何時だと思っているんだい? ぶつぶつと随分大きな独り言が聞こえているんだが」
「あぁ、ごめんよディオ。ちょっと寝ぼけてたみたいだ」
「ふん、しっかりしろよジョジョ」
「あぁ、おやすみ」

 ふんと鼻を鳴らして部屋に戻っていくディオを見送り、ジョナサンは今度こそサイドテーブルの照明を消し、ベッドに潜り込んだ。

「夢の妖精は、無事に帰れたのかな」

 今度はぼくが追いかけようと、くすくすと漏れる笑いは、やがて寝息へと変わっていた。



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