[3]代償 5


 立ち竦む二人の前で、羊頭のスタンドは承太郎の頭へと噛り付いた。

「承太郎さんっ!」
「てめええっ! なにしやがっ……あれ?」

 祥子が叫ぶように承太郎を呼ぶ中、もぐもぐと何かを咀嚼するスタンドへ向け、クレイジー・ダイヤモンドが拳を振りかぶったところで仗助が何かに気が付いた。

「承太郎さん、頭、有るっスね……」

 非常に間の抜けたセリフではあるが、確かに食べられたはずの承太郎の頭は、きちんとその逞しく広い肩の上に乗っかっていた。
 祥子も仗助も、顔を見合わせて目を瞬かせる。では、あのスタンドは一体何を咀嚼しているのか?

「ん……、なんだおまえら。どうした?」

 ようよう目を覚ましたらしい承太郎が、唖然とした二人に気が付き振り返って声をかけると、数度の瞬きの後、二人そろって祥子のスタンドを指さす。いつの間に出していたのかと、承太郎がすぐ傍に立つスタンドに眉をひそめた時だった。

『ヒッヒヒヒヒヒ』

 久しく聞いていなかった、しゃがれた笑い声が羊の口から漏れ出した。気が付けば咀嚼していたものは嚥下したのか、動いていた顎が止まっている。やがてその口を開開いて唱えた。

『夢ヲ現ニ、現ヲ夢ニ』

 その瞬間、スタンドの足元から勢いよく水が湧き出した。

「なっ、なにィーーーーっ?!」

 仗助の驚きの声も関係ないとばかり、水の勢いは衰えることなく溢れ出す。恐ろしいことに、この水は部屋の中に確実に溜まってきていた。あっという間に、その水は彼らの膝を洗うほどになっていた。

「うそうそうそっ?!もう膝まできてるっ」
「こいつはやべーっスよ! もう部屋中水浸しだ!」

 近くに立っていた二人は、焦りと混乱に思わず身を寄せ合い、互いにしがみついていた。
 一方、同じくあふれる水に身を浸しながら、承太郎はざぶざぶと水をかいて二人へと近づいていく。そう、すでに水は長身の承太郎の腰まで達している。いつの間に現れたのか、彼の周りには魚影が見えた。どうやら湧き出る水と共に出てきたらしい。

「落ち着け、二人とも……と言いたいところだが、こいつはまずいな。部屋はすでに水浸しだ。やれやれ、おれの資料もこれじゃあおじゃんだな」
「ンなこと言ってる場合じゃあねーでしょーがよおー! 承太郎さん、なんとかしてくださいっス!」
「うわあっ、もう無理無理溺れるっ! 私、海じゃ泳げないの! 足つかないの無理!」

 わずかな会話の間にも水は祥子の胸へと達し、逃げるように仗助の肩に飛びついていた。その足元には、見たこともないような色のヒトデが床に沈み、磯の匂いで咽そうになる。今更ながら、これは海水であるらしい。
 大騒ぎする二人に、もう一度おきまりの口癖をもらすと、承太郎はひたりと祥子を見据えた。

「こりゃあ、祥子くんのスタンドの仕業だ。と、いうことはだ。なんとかしろとなったら、少々乱暴になるぜ?」
「え?」

 二人がぽかんと承太郎を見上げると、その背後には最強のスタンド「スター・プラチナ」が堂々と浮かんでいた。
 スタンドの攻撃を止めるにはどうするか? もちろんスタンドのタイプにもよるが、基本的には本体を気絶させてしまえばいい。
 導き出される結論に、祥子はさっと顔を青くした。

「もっ、もしかして、オラオラですかあーーーーッ!?」
「YES! YES! YES!」

 どこか懐かしいやり取りをしながら、スタープラチナが腕を振りかぶる頃には、全員が立ち泳ぎ状態。溢れる水の流れでやや流されてすらいた。

「ちょっと承太郎さんッ! んな乱暴な……」
「てめえら、何騒いでんだッ!」

 祥子が思わず硬く目を閉じ、仗助が制止に入った直後、部屋の外から苛立つ声がかかった。現在、承太郎が身柄を預かっている形兆だった。ガチャガチャとドアノブを弄る音に、小さな海に漂いながら、全員が(承太郎はわかりにくいが)焦りの表情を浮かべた。この状態でドアを開けたらどうなってしまうか?

「おい! 聞いているのか?」
「あ! 今は待てって!」
「なんだと……!?」

 焦る仗助の声も届かず、ドアが開かれた瞬間、形兆は波に飲まれた。

「…………!!」

 突然できた流れに、三人もまた飲み込まれ、声を上げる間もなく流されていく。
 祥子は顔のすぐそばを極彩色のヒトデが流れていくのを、塩気が沁みる視界に移しながら、この状態に戦慄していた。
 ここは老舗ホテルの、かなり良い部屋だ。その部屋を水浸しにしてしまった事による損害、主に金銭的なものはどれほどになるだろう? さらに被害は廊下にまで広まってしまったのだ。とても祥子が責任をとれるようなレベルじゃあない。

(絶対無理! お願い誰かこれは夢だと言って! なかったことにしてえ〜〜っ!)

 この惨状の取り消しを、それは強く願った。

『夢ヲ現ニ、現ヲ夢ニ』

 水中にもかかわらず、常と変らないしわがれ声が聞こえたと思う間もなく、水が消えた。

「ぎゃん!」

 唐突に宙へ放り出され、床へと落ちた祥子の情けない声が上がる。辛うじて他三人は声こそあげなかったものの、取り戻した床の感覚にたたらを踏んだ。

「やれやれ、おさまったか。全部元通りたあ、ありがたいこった」
「き、消えた……あんだけ大量にあった水が、一瞬で消えた」
「くそッ! いったいなんなんだ? てめえら何してやがった」

 あたりを見回してみても、床も、壁も、備え付けられた備品等も、何事もなかったかのようにそのままだった。
 しかし、先ほどの大量の海水が嘘ではなかったと言うように、全員の服はびっしょりと濡れそぼり、足元の乾いたカーペットの上に染みを作っていた。先に部屋の様子を見に踵を返した承太郎の足跡が点々と続いている。
 すっかり崩れてしまったリーゼントから水を滴らせながら、仗助が尻餅をついている祥子の傍にしゃがみ込む。その顔が恨みがましいのは、セットに時間をかけた自慢のヘアスタイルを崩されてしまったからだろう。

「祥子さん、これ、アンタのスタンドの仕業っスよね? どーゆーことっスかぁ? おかげで、自慢のリーゼントがぐちゃぐちゃっスよおー」
「うう、ごめん……。でも、承太郎さん食べて、どうしてこうなったのか、私にもわからないよお」
「まー、そーでしょおね」

 祥子に悪気がないのも、彼女が一番戸惑っているだろうこともわからない仗助ではない。困り切ってしまった様子に、がっくりと項垂れると、立ち上がり、祥子へと手を差し出した。

「ほら、とりあえず立ってくださいっス。部屋戻ろうぜ」
「あ、ありがとう」

 差し出された手に照れくさくなりながらも、大人しく手を借りて抜けかけた腰を立たせた祥子も、やはりずぶ濡れだった。
 騒がしい部屋を除いたばかりに、完全なとばっちりで同じく濡鼠の形兆も、なにやらぶつくさと文句を言いながら仗助らと共に承太郎を追っていった。



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