[3]代償 4
「うっし、もう大丈夫っスよ」
「ありがとう、仗助くん」
クレイジー・ダイヤモンドを収め、仗助が告げて漸く、祥子はほっと息をついた。
虹村兄弟との衝突、「矢」の消失、そして祥子のスタンドが暴走してから日もたち、皆は落ち着きを取り戻していた。
件の虹村一家はあの家に落ち着き、ぶどうヶ丘高校への編入を済ませたらしい。近所になった仗助は口でこそ悪態をついているようだったが、その実なかなかに仲良くやっているようだった。昨日などは二人連れだってホテルに顔をだしてもいた。
そして、未だ「暴走の副作用」に苦しむ祥子の傷を、学校帰りの仗助が治療するのが日常になっていた。
「いつになったら、治まるんスかねえ」
「本当にね……。ごめんね、面倒かけちゃって」
「あっ、イヤ、そーゆー意味じゃあねーんスけど」
慌てて言いつくろう仗助に、祥子はわかってると頷いて笑う。
祥子も仗助の言葉に他意が無い事はわかっている。しかし、先日までは毎日のように、今も数日おきにはあの悪夢に飛び起き、呼び出すのが続いていた。
高校生の仗助にとって放課後は貴重な時間だろう。そう思えば申し訳なさが先にたつのはどうしようもなかった。それは同様に、現在、祥子の保護者になる承太郎に対しても同じだった。
「承太郎さんにも申し訳ないなあ。夢の事だから、夜中に叩き起しちゃうこともあるし。どうしても起き抜けは錯乱しちゃってるし……。仕事もあるのに、寝不足にさせてるんだもの……」
「そういやあ、今……」
「うん、寝てる時、見張っててくれてる」
話題が自分から年上の甥へと移ってしまったのが、理由はどうあれ仗助としては面白くなかった。知ってはいたが、今も祥子と承太郎は部屋だけとはいえ共に夜を越しているのだ。意地悪な気持ちが湧いてしまうのは、彼がまだまだ青い高校生だからだろうか。
「へえー、祥子さんと承太郎さん、まだ夜一緒に寝てるんスか? 寝付くまでとか、何話したりしてんです? 仗助くん的にはけっこう興味あるっつーか。大人の男と女が夜を一緒にって、ちこっとヤラシイっスよねえ」
そんな仗助の心情を知ってか知らずか、からかう言葉を向けられた祥子は丸くした目を瞬かせる。しかし、その丸い目はすぐに弧を描いて細まった。
「なあに、それ。仗助くんのエッチ〜」
くすくすと笑う祥子は、本当にやましい考えはなかったらしい。逆にからかわれて、仗助の頬が赤くなる。しかし、その赤くなった顔も、次の祥子の言葉に色が引いた。
「そんなこと、考える余裕なかったな」
言った本人は何気なく口にしただけだろう。しかし、まだ片付けていない、体液の染みたぐしゃぐしゃの包帯と相まって仗助の胸を締め付ける。
よくよく見れば、当然だが寝不足の目元には消えきらない隈ができていた。随分数が減ったと言っていたが、まだ数日に一回は悪夢を見ている。その度に傷の治療に呼ばれるのだから、仗助には否が応でも変化は知れてしまう。
「……早く止まると良いっスね」
スタンドに関して、殴ってどうにかなる話しでなければ、あるいは直す必要がなければ、仗助には何かしようもない。陳腐なセリフで慰めるのが精一杯だ。それでもそれが祥子には安心を、そして浮かべる笑みが仗助を折り返し慰めた。
「ありがとう、仗助くん。おかげさまで傷跡は残らなくてすむし、何より傷自体も浅くなって減ってきたから。きっともうすぐ忘れちゃうね」
何の確証もないが、この件に関して今はお互いそう言って笑うしかない。それでもできることもあると、散らばった包帯をひとまとめにすると、祥子は仗助を見上げた。
「もう迷惑かけないように、早くスタンドの扱いに慣れなきゃ」
その姿に重なるように影が揺れ、羊頭のスタンドが二人が掛けるソファの向こうへと現れた。
「出すのは自然にできるようになったっスね。前はすげー気合入れてたのに」
「そうだねえ、あれは恥ずかしかったし、一歩前進かな」
カタカタと時折体を震わせ、歯車が回るような音を立てるスタンドはそれでも大人しく立っている。そのすぐ傍に仗助のクレイジー・ダイヤモンドが並び立つ。一回りも二回りも大きく、均整のとれた逞しい姿に、羊頭のスタンドの貧弱さがひどく際立って見えた。
「……やっぱり私、クレイジー・ダイヤモンドが良いなあ。ほらぁ、治療とか、やっぱ女子の役目でしょ?」
「ワガママ言わんでくださいよー。スタンドは取り替えらんねえって言ってんでしょーが。だいたい、クレイジー・ダイヤモンドは腕っぷしだってスタープラチナに負けないんスよ!」
相変わらず己のスタンドに不平を垂れる祥子に苦笑して、仗助はおもむろに席を立つ。そのまま羊頭のスタンドへと歩み寄ると、ぐるりとその周りを見て回った。
「うーん、相変わらずわかんねえっスねえ。何ができるんだか……」
「そうだねえ…。わかったことと言えば、暴走した能力以外は、私が近づくとくっついてくるってことくらいかなあ」
仗助を追って立ち上がった祥子と羊頭のスタンドとの距離が縮まると、不意にだらりと垂れさがった夜色の腕が伸ばされ、彼女を抱き込もうとする。この動きはスタンドを出すたびに繰り返され、最初の頃こそ気味悪がっていた祥子だったが、最近はすっかりなれてしまい好きにさせていた。
「傍に立つ者」を示してスタンドと言われる彼らが、本体の近くに在ることは何らおかしくはない。仗助のクレイジー・ダイヤモンドも、仗助にその身を寄せることはある。しかし、祥子の羊頭のスタンドはそれとも違い、まるで親に甘えるかのように、子を守るかのように、その細った腕で彼女を囲い込むのだ。
「ホント、コイツ祥子さんのこと好きっスねー」
「スタンドって私自身なんでしょ? 好きとかってあるの?」
「さあ、どーっスかね?」
顔を見合わせる仗助とクレイジー・ダイヤモンドはそろって首をかしげた。息の合った自然な動作は、まるで兄弟のようでほほえましく、祥子も小さく笑いが漏れた。
改めて自分のスタンドと向き合うと、やはりその見た目は不気味ではあるものの、懐いていると思えば可愛く思えないこともなかった。
その毛むくじゃらの鼻面を撫でながら、祥子が問いかける。
「ねえ、アンタはなにができるの?」
何度も繰り返してきた問いかけは、一度も反応が返ってきた例がなかった。もう半ば挨拶代わりと言うように口にしたのだ。しかし、今日はどうやら違うようだった。
「あ、あれ?」
おもむろに祥子を抱きしめていた腕を解くと、羊頭のスタンドはゆらゆらと何処かへ歩き始めた。正確には地に足がついていないので、空中を滑っていくのが。
「どこ行くの?」
「そっちは何もねえ……」
仗助の言葉が途中で止まる。
羊頭のスタンドの向かう先には、彼らに背を向けて机に座る承太郎が居た。祥子の治療が終わるのを待つ間にも、何やら書類を片付けていたはずだ。しかし、仗助らの声が聞こえているだろうが、振り向きもしない。
「……うっわ、レアじゃねーの。承太郎さん、ありゃあ居眠りしてねえっスか?」
「そうかも……あっ」
ゆっくりと上下する白い背中に、確かに承太郎は夢を見ているようだった。それを珍しそうに、面白そうに眺めていた二人は、その白い背中のすぐ後ろに立った夜の塊に目を見開いた。いつの間にか、羊頭のスタンドは承太郎の肩を両手で捕えている。そのまま意外と大きな口をぱかりと開ける様子に、祥子が嫌な予感を覚えて声を上げる。
「ちょっと、待っ……」
制止の声は間に合わず、一瞬後には羊頭のスタンドがばくりと承太郎の帽子を被った頭へと齧り付いていた。
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