[3]代償 1


 深夜の杜王グランドホテルの一室に、女の悲鳴が響く。しかし、観光シーズンからはずれたこの時期、悲鳴に目覚める客はいなかった。ただ、悲鳴が上がるのはこれが初めてではない事が、一部の従業員の噂にのぼってはいた。

「祥子くん! しっかりしろ!」

 隣に並んだベッドへ寝ていた承太郎はその悲鳴に目を覚まし、いまだベッドの上で悲鳴を上げている祥子の肩を強く揺さぶって起こす。そう、祥子は寝ていたのだ。そうして、夢を見る。辺りには、何かが焦げる不快な臭いが僅かに漂っていた。

「あっ……」
「……起きたな。大丈夫か?」
「じょう、承太郎さん……」

 しばらく呆然としていた祥子の焦点が、承太郎へと合わさる。途端に、祥子の表情は安堵と、それを生んだ悪夢の名残に歪んで涙が溢れた。

「じょっ、承太郎さんっ……、怖かった……っ! 怖いよっ……! 死んじゃうよお!」
「……大丈夫だ。君は、生きている。全て夢だ」

 子供のように泣きじゃくる祥子の頭を撫でながら、承太郎は慰め、宥める言葉を与え続ける。ここ数日続いているこの症状のために、承太郎は祥子と寝室を共にしていたのだ。
 衰弱が見えるその腕に、頬に、出来たばかりの火傷のような痕が走っている。これらは悲鳴を上げて飛び起きるたびに新しく出来ていた。いくら仗助のクレイジー・ダイヤモンドで治療したとしても。
 そう、祥子は繰り返し同じ夢を見続けているのだ。

「電気が、痛くて、怖くてっ……!」

 虹村形兆が死ぬまでを、己の経験として。



 祥子が仗助と共に、虹村兄弟と対峙したあの日。兄の形兆が、正体不明のスタンド使いによって殺された。確かに彼は、謎のスタンドにより腹に穴を開けられ、コンセントプラグへと吸い込まれ、最期は電線の上で感電して死んでいた。そしてその壮絶な死に様を見てしまった高校生たちは絶句し、弟の億泰は涙を流した。
 しかし、それを目撃したのは彼らだけではなかった。祥子もまた、電線に乗せられた「安らかでない死に方をした人間」を見てしまったのだ。至極平穏に生きてきた彼女にとって、それはあまりに刺激が強すぎた。そして、その衝撃を切欠にスタンド能力が発現したのだ。
 始まりは、祥子が悲鳴を上げた事からだった。
 その悲鳴に同調するように、羊の鳴き声が当たりに響き渡る。そして、祥子の身体からは、ずるりとあの羊頭のスタンドが姿を現した。

「祥子さん! 落ち着けって!」

 未だその能力がわからない祥子のスタンドが、本体が混乱した状態で姿を現したことに、仗助は言い知れぬ不安に祥子を宥めようと声をかける。しかし悲鳴こそおさまったものの、祥子の視線は電線に張り付いたまま動かない。

「これが、祥子さんの「スタンド」?!」

 康一の驚きの声にも、仗助は返事をする余裕は無く、祥子のスタンドの動向を注視していた。

『夢ヲ現ニ、現ヲ夢ニ』
「祥子さん?!」

 不意に羊の鳴き声がふつりと途切れ、引き攣れたあの声が落とされた。その途端、ぷつりと糸が切れたように祥子が意識を飛ばし、仗助が支える間もなくその場に崩れ落ちる。本体の意識がなくなったために、羊頭のスタンドの姿もまた煙のように掻き消えた。
 何が起こったのかわからず、祥子を助け起こしながらも戸惑う仗助へ、答えを示したのは億泰の戸惑いを含んだ大声だった。

「ああっ! 兄貴がっ……消えた!!」
「何っ?!」

 祥子を抱き起こしながら顔を上げた仗助の視線の先。電線に乗せられ、煙を漂わせていた形兆の遺体が確かに消えていた。

「何故消えたっ? さっきの電気のスタンドの仕業じゃあねえっ……! お前ら、何か見なかったのか?!」

 仗助の問いに答えを返せる者は居ない。康一は戸惑いに、億泰はやりきれない憤りに顔をしかめるばかりだった。嫌な沈黙が屋上に広がる。
 その時、階下がにわかに騒がしくなる。兄弟の父親が何か訴えているようだった。

「親父! うるせーぞっ! 今、それどころじゃあ……」

 仗助が屋上へ出る為に壊した天窓から階下を覗き込んだ億泰の怒鳴り声がふつりと途切れた。目も口も、ぽかんと大きく開けたまま固まってしまう。その様子に、いよいよ痺れを切らした仗助が一緒に覗き込もうとした時だった。ありえない声が聞こえ、康一共々その場に凍りつく。

「親父も居やがる。億泰、てめえ、生きてるな? どういうことだ、おれは死んだはずじゃあないのかっ?!」

 響いた怒声は、しかし狼狽を隠せず浮ついていた。声の主は億泰の兄、死んでいたはずの虹村形兆のものだった。

『夢ヲ現ニ、現ヲ夢ニ』

 仗助の頭に、祥子のスタンドの言葉が浮かぶ。死者を蘇らせたこの現象は、あのスタンドの仕業としか思えなかった。しかし、たかが人間の能力であるスタンドに、そんな神にも迫るような能力があるものなのか。果たしてそんな事が許されるのか。
 胸に燻るものを振り払うように自慢のヘアスタイルの頭を振り、仗助は祥子を抱き上げ、一度室内へと戻ったのだった。


 室内へ戻った仗助は、康一が最初に首を挟まれた門扉まで出てくると、その康一に祥子を任せ、一先ず直ぐ側の自宅へと戻り承太郎へと連絡を入れた。
 同じ部屋ではないとは言え虹村兄弟に不安は残るものの、流石にこれ以上何か仕掛けてくることも無いだろうとの思いもあったが、何より彼らの頭脳であろう虹村形兆の混乱が酷く、何かを出来るとは考えられなかったのだ。

「おれは、死んだはずだ……」

 承太郎が到着し、初めて対峙した時、そう呟くように言った形兆の声は酷く憔悴していた。事情を理解していない承太郎に説明を求める顰め面を向けられ、仗助は首を横に振るしかなかった。




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