【2】虹村兄弟 1


 ぽかぽか陽気の杜王町を、一台の自転車がのんびりと走る。

「買い忘れ、無かったかな……」

 祥子は欠伸混じりに独り言を呟き、自転車を停めることなく頭の中でおつかいの内容を頭に浮かべていた。


 住み慣れた町から杜王町へ、世界すら越えて飛ばされてから数日。祥子は承太郎の保護の下、杜王グランドホテルに滞在していた。SPW財団の研究の協力を条件に、衣食住の保証をしてもらっているが、現状はタダ飯食らいの居候だ。気楽な大学生だった祥子にも、流石にこの状況はいただけなかった。
 そこで、この数日の間に「ニートは嫌だ」と主張し、承太郎の「助手見習い」という仕事を貰ったのだった。
 この「助手見習い」という仕事、承太郎からしても、はっきり言ってしまえば要らない役職である。しかし彼も、祥子が暇を持て余していること、その空虚な時間が良い影響を与えはしないことをわかっていた。偶然が重なったとはいえ、彼女をこの世界に閉じ込める原因となってしまった負い目もある。だからこそ、こうして彼女の意向を汲むことにしたしたのだ。
 祥子もまた、この与えられた仕事の意味がわからないほど子供でも、初心でもなかった。承太郎の気遣いも、彼の感じている負い目もわかってはいたが、今は触れずにそれを甘んじて受ける事にした。正直にありがたかったし、言い方は悪いが、彼が負い目に感じているというのならそれを利用させてもらうことでトントンにしようと思ったのだ。あくまで祥子の中での話しであり、承太郎に言うことはなかったのだけれど。
 そんなそれぞれの微妙な思惑をよそに、杜王町は長閑だった。



「うん、大丈夫だよね。おつかい終わったら、散歩してくると良いって言われたけど、どうしようかなぁ」

 ついでに必要な物を買い足すようにとある程度の資金は受け取っている。併せて、祥子が持っていた「向こうの」紙幣や硬貨は全て、此方のものに両替してもらっていた。承太郎は「調査資料として買い取る」と言っていたが、これもまた彼なりの気遣いなのだろう。

(頭が上がらないなぁ。大人の男だよね。格好良いなぁ……)

 最初こそ怖いと思っていたが、優しくしてもらった今はもう怖くない。ホテルのレンタル自転車を漕ぎながら、あの端正な顔を思い出して一人にやけていた。

「おーい、祥子さーんっ!」
「わっ?!」

 ニヤニヤとしていたところに不意に名前を呼ばれ、自転車の上で驚きの声を上げてしまった。慌てて自転車から降り、声の主へと自転車を押して歩み寄る。

「じょっ、仗助くん! ……と、友だち? こんにちは〜」
「こんちわーっス。そうっス。康一って言うんスけど、学校一緒の。康一、こちら祥子さん。承太郎さん関係の人だ」
「こんにちは、広瀬康一です。よろしくお願いします」
「あ、ご丁寧にどうも。鐘田祥子です。よろしくお願いします」

 道端でぺこりぺこりと頭を下げあう二人に、仗助は可笑しそうに喉を鳴らした。

「一緒に帰ってるとこだったんスけど、祥子さん見かけたんで」
「そっか、じゃぁ途中まで一緒してもいい?」
「ぼくらは構わないですけど、祥子さんは用事は大丈夫なんですか?」
「うん。ちょっとおつかい頼まれたんだけど、買い物が終わったら散歩でもどうぞって言われてるんで」

 話しながらも、足は既に歩き出しており、誰も止めることなく流れるように同行は決まっていた。

「よっ! アンジェロ」

 他愛もない事を話しながら歩いていると、公園の飾り石に仗助が声を掛ける。思わず祥子と康一は顔を見合わせるも、なんとなく真似をしてしまった。

「よっ! アンジェロ」
「よっ! アンジェロ」

 よくわからないけどと呟く康一に、祥子も同意を返して笑いあう。
 笑いの余韻を引いたまま、ところでと康一が仗助へと切り出したのは、承太郎の事だった。

「あの承太郎さんはどーしたの? 」
「ああ、あの人はまだ……「杜王グランドホテル」に泊まってるぜ。……なんでも、まだこの町について調べることがあるそーだぜ。おれはよく知らねーんだけどよ」
「ふ〜ん」
「調べものかぁ」
「それに、ほら、祥子さんのこともあるし。アレ関係とか」
「あぁ……」

 承太郎には他にも要件があるのだと小さく納得するも、自分のことに関しては申し訳なかった。アレと言った仗助がちらりと視線を向けたのは、彼のクレイジー・ダイヤモンド。スタンドに関して、祥子もあれから出し入れの練習はしていたが、相変わらず能力の詳細はわからずじまいだった。ただし拳での勝負には全く役に立たないことは、スター・プラチナ相手の練習で実証済みである。主に痛い目を見たという方向で。

「仗助くん、アレってなんだい?」

 当然と言えば当然だが、話しの見えない康一が仗助を見上げて首を傾げる。祥子よりもさらに小さい彼のその仕草は、幼さの際立つ顔と相まってとても可愛らしい。

「あ〜、気にすんなって。たいした事じゃね〜よぉ〜」
「なんだい、二人だけで。ずるいじゃあないか」
「あはは、康一くん、可愛いなぁ」
「祥子さ〜ん、ぼくは男ですよ?」
「いいじゃねぇか康一〜。年上の女からの好評価だぜ〜?」
「もう、仗助くんまでヒトゴトだと思って!」

 可愛いと言ったのは祥子の本心だったが、そのままスタンドへの言及は誤魔化された。仗助も一緒になって笑いに紛れさせてしまう。祥子自身もそうだが、仗助もまた、知らない人間へ「スタンド」と言うものを説明するのは難しいと思っていたからだ。
 そのとき、不意に康一の歩みが止まる。

「仗助くん……。たしかこの家2・3年ズウーッと空家だよね……?」

 康一の指差す先は、仗助の後ろにたつ一軒の空家だった。

「あぁ……、こう荒れてちゃあ、売れるわけねーぜ。ブッこわして建てなおさなきゃあな」
「うわ、ボロ……」

 整備すればお洒落だろう半開きの門やレンガ風の外壁には、立入禁止の文字と不動産会社の名前が書かれた看板が掛けられている。
 素直な感想を漏らす二人に、しかし康一の視線は空家から外れない。

「いや……。誰か住んでるよ。引っ越して来たんじゃない? 今、窓のところにろーそく持った人がいたんだよ……」
「…………?」

 そう主張する康一に対し、仗助はいまいちピンと来ていない様子で首を傾げていた。一方、祥子の方は、既にそのシチュエーションにやや顔を青くしている。

「そんなはずはないなぁ…。おれんちあそこだろ? 引っ越したっていうならすぐわかるゼ。それに浮浪者対策で不動産屋がしょっ中見回ってんのよ」

 そうして黙り込んでしまった祥子の様子に気付くことなく、仗助は直ぐ先の自宅を指差し、首を傾げるばかり。流石に近所で引越しの話題があれば、彼の母親等から何か言われていたはずだった。

「いわれてみれば南京錠がおりている。おかしいなあ。ひょっとして幽霊でもみたのかなあ……ぼく……」

 康一がはっきりと口にした「幽霊」の単語に、流石に仗助の顔も嫌そうに崩れる。祥子はといえば、既に冷や汗をかいていた。その顔を二人で見合わせ、門の内側に興味深々の康一の背中に声を投げる。

「お……おい、変なこというなよ……。幽霊はこわいぜ! おれんちの前だしよぉ」
「そうだよ〜っ! やめてよ〜、昼間っから幽霊屋敷なんてぇ……」
「ちょっとだけ、ちょっとだけだよ」

 仗助はもう行こうと背を向けてみせる。しかし引き気味の二人を他所に、康一の興味は空き家から外れなかった。いよいよ小さな身体を門の内側に滑り込ませてしまう。

「こ、康一くん、やめようよぉ。怒られちゃうよ?」
「おいおい、康一〜。やめとけって〜」

 中をきょろきょろと見回す康一に、祥子は心配そうに、仗助は呆れ半分に、しかし手を出すでもなく声をかけるだけだった。

「もう帰ろうよ〜」
「ほら、オトナの祥子さんも幽霊にビビってっしよぉ〜」
「び、ビビってる訳じゃないってば!」

 からかい混じりの仗助に、祥子がつっかかった時だった。

「ぐぇっ! うげーッ!」
「!!」
「康一くんっっ?!」

 突然、重たいだろう扉が勢いよく閉じ、康一の首を挟んだのだ。響いた音と康一の呻き声に、祥子の口からは悲鳴交じりの声が上がる。
 それを無視するように、第三者の声が門の内側から響いた。

「ひとの家をのぞいてんじゃねーぜ、ガキャア!」




≪prevbacknext≫

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -