【1】夢と現 4


「落ち着いたか?」
「はい……」

 帰れないという事実は、一時希望をもっていただけに祥子が受けたショックはことのほか大きかった。彼女自身、これだけ泣いたのは何時振りだろうと思うほど、声を上げ、涙を流した。いつの間にか差し出されていたお気に入りのタオルハンカチ(鞄の中に入れていたものだ)は溢れ出たものでぐっしょりと濡れていた。
 承太郎の問いかけに返す声も、掠れてひどくぼんやりとしている。泣きすぎて頭に霞がかかったようになっているのだ。泣き疲れたのか、小さく欠伸すら漏らしていた。
 引き攣る喉も落ち着き、ぼんやりとタオルに顔を埋めたまま蹲っている祥子の肩に温かい手が置かれる。それに促されるようにゆるゆると顔を上げると、困ったような、照れたような、折角の綺麗な顔を妙な表情で台無しにした仗助が居た。

「あのよぉ〜、落ち込むのはわかるっスけど、落ち着いたらあっち行こうぜ? ここ、土足だしよぉ〜」

 地べたに座り込んでしまった祥子を気遣ってだろう。ただ、上手い言い方を思いつかなかったのだろう。その少し気まずそうに尖った唇に小さく口角が上がってしまった。

「ありがとう……。ごめんね、取り乱して。空条さんも、すみません」
「いやっ! おれは全然っ! ねっ、承太郎さん?」
「あぁ。あんた……、きみの不安はもっともだからな」

 ほんの僅かでも笑う気力を見せた祥子に安心したのか、仗助も笑顔を見せる。

「顔だけ、洗ってきても良いですか? なんかもう、メイクもドロドロだし……」
「あぁ、さっぱりしてくるといい。落ち着いて、もう一度どうするかを話そう」
「はい、ありがとうございます」

 バスルームへ向かう背中を見送り、承太郎は先程戻した受話器を手に取り再度ルームサービスを頼む。一つだけ甘いココアを頼んだのは、呼び方を変えたことと同様、彼女を敵という認識から除外したことの表れだった。


 これで三度目になるが、三人向き合ってソファへと腰を落ち着けて飲み物を口にする。先程までと違うのは、漂っていた緊張感が抜けていること。一番緊張していた祥子が、先程までの感情の爆発によりすっかり弛緩しているからだった。
 祥子自身、すっかり落ち着いてしまった今に驚いてもいた。泣くという行為がもたらす効果は絶大で、感情を吐き出すだけ吐き出したお陰か、あれだけ混乱して荒れていた内面が落ち着いていた。
 不安が無くなったわけではない。それでも、今すぐ命の危険があるわけではない。一緒に居る人たちはこんなわけのわからない存在を放り出すことなく、心配すらしてくれている。自分は随分と運が良いのだ。
 そう思うことが出来る程度に、祥子は気持ちを持ち直していた。そして、温かく甘いココアが泣きつかれた頭に考える気力を与えてくれた。

「そろそろ、大丈夫か?」
「はい、ありがとうございます」

 気だるい空気の中、様子を伺っていた承太郎も、祥子が持ち直したところでようやく口を開いた。

「此処が、時間だけで言えばきみにとっての過去になるとわかってもらえたと思う」
「はい……。多分、単純に過去ですらないかもしれません」
「何故そう思う?」
「電話、繋がらなかったですから」

 1999年、祥子が居た2012年から13年前。祥子がきちんと生まれていれば小学生になっているだろう。その頃から実家の電話番号が変わっていないはずだった。つまり、先程の電話で繋がらなかったことを考えれば、そもそも家が存在していないのだろう。
 その推論を告げれば、承太郎の顔が僅かに曇った。

「そうか……。そうでない可能性がないとは言い切れない。こちらでも調べてみよう。そうだな、免許証を借りても? もちろん、悪用はしないと約束しよう」
「はい、むしろ私のほうこそすみません。よろしくおねがいします」

 返してもらった所持品の中から、免許証を取り出して渡す。写真写りが非常に気になり、今そんなことを言っている場合ではないと思いながらも、なんとなく写真面を下にして渡す。その行動の意図を察した承太郎は、思わず小さく笑みを漏らす。

「まったく、女ってやつはくだらねぇことをよく気にするもんだな」
「女にとっては重要なんです。好きで悪人面に写ってるんじゃないんですからね!」
「そんな気にするほどじゃないと思うっスけどね〜」
「あぁぁぁ、覗き込まないで仗助くんっ!」

 呆れる承太郎に、おどけてみせる仗助に、つられて祥子の口からも小さな笑いが漏れ出した。笑えるなら大丈夫だと、祥子自身、そして関わりを持った二人も小さく安堵する。

「さて、きみの今後についてだが」

 笑いを収め、承太郎が切り出し、祥子も仗助も口を閉じて待つ。

「ひとまず、きみのことはこちらで保護させてもらう。しばらくは、おれと同じこのホテルを生活の拠点にして、今後のことは追々、だな。」
「良いんですか?」

 結論から述べる承太郎に、それがありがたい判断だとしても飛びつく前に遠慮が出てしまう。いかにも日本人的な祥子の戸惑いに、承太郎は目を細めた。

「もちろん、ただの親切じゃぁない。きみは、スピードワゴン財団というのを知っているか?」
「スピードワゴン……?」

 祥子の頭に浮かぶのは某お笑い芸人のみ。財団については知らず、首を横に振る。それも予想していたのだろう、承太郎は一つ頷くだけだった。

「アメリカに本部がある財団で、医療等各分野での研究を支援しているところだ。そこにちょいと特殊な分野があってな。おれもそこに所属している。その研究対象になってもらおうっていうわけだ」
「特殊な……。それって?」
「コレっスよ」
「あっ!」

 いまいち飲み込めていなかった祥子に声をかけた仗助。その背後の人影に、祥子は小さく声をあげた。

「それ、おばけ……?」
「まぁ、その反応は妥当だが、違う。こいつはおばけなんて不確かなもんじゃない」

 知らなければそんなものだろう。承太郎自身、自分のスタンドを悪霊と思っていたこともあり、祥子の言う事も何となくわかる。しかしそうでないことを理解し、しっかりとコントロールしてもらわなければならない。「スタンド」とは、自分自身なのだから。

「これは「幽波紋(スタンド)」という。Stand by me(傍に立つもの)からとったらしい」
「スタンド……。それで、なんなんですか? 仗助くんにも、空条さんにも憑いてて……」

 承太郎の背後にも現れた、仗助のものとは違う姿へ向けていた視線を承太郎へと戻して問う。

「スタンドとは精神力が具現化し、姿(ビジョン)を得たものだ。つまり、このスター・プラチナはおれ自身でもある」
「自分自身……。名前もあるんですね」
「そうっス。おれのはクレイジー・ダイヤモンド。承太郎さんがつけてくれたんスけどね」

 そう言われてみれば、なんとなくそれぞれの人影は、その主に似ているような気がしないでもなかった。しかし、そうなるとあまり嬉しくない予想が祥子の頭に浮かぶ。

「あの〜……、このおばけみたいなのが、おばけじゃなくてスタンドってものだとして……。もしかして、あの羊っぽいアレって……」
「きみのスタンド、だろうな」
「うわぁ……」

 ズバッと言い切る承太郎に、祥子は思わず頭を抱えてしまった。



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