【1】夢と現 3


 カーテンを引いているため薄暗い寝室で、ベッドに寝転がりながら祥子は目を閉じたり開いたりを繰り返していた。

「全然、駄目だぁ」

 何十回と瞼の開閉を繰り返し、それでも訪れない睡魔に、薄れない意識に、深い溜息を吐く。夢からの覚醒の気配は一向になかった。

「夢のはずなのにな……。ちょっとリアルな、いつもの夢……」

 自分に言い聞かせるように呟きながら、ホテルのベッド備え付けの掛け布団を皺だらけにしながら抱きしめる。
 そうは言いながらも、どこかで祥子は諦め混じりに理解しはじめてはいた。彼女が居る場所は、もはや彼女が操作できる夢ではないことを。つまりは、現実であるのだと。

「これから、どうしようかな……」

 一瞬、途方に暮れかけたものの、諦めることはないと頭を振る。休んでいるうちに混乱の波は引き、落ち着いて考える事ができるようになっていた。
 確かに祥子には此処がどこかいまいち把握できてはいなかった。しかし少なからず日本ではある。夢が現実になってしまったというのなら、あくまで現実的に、祥子は家へ帰ればいいのだ。唐突に知らない場所に来てしまったことや、気味の悪い羊頭の謎は残るが、ここが日本なら何かしらの交通手段でもって帰る事ができるだろう。最初こそ混乱から帰れないと思ってしまったが、何も魔法の世界に来たわけじゃないのだから。家に帰って落ち着いてから、あらためて迷惑をかけてしまった彼ら――仗助や承太郎――に挨拶をすれば良い。
 とにかく帰ろう。
 今後の方針さえ決まれば、いっそう落ち着きが戻ってくる。眠る事を諦めた体を起こし、ベッドを降りる。もう一度、彼らと話しをしようと思ったのだ。眠たくはないくせに、横になっていたせいだろうか、ふわりと欠伸が漏れた。
 服や髪を整えてから寝室を出て、リビングを覗くと二人は難しい顔をして話しをしていた。祥子は少し躊躇したものの、気配に気が付いたらしくこちらへ顔を向けるのに合わせて頭を下げる。

「あの、すみませんでした。ベッド、ありがとうございます」
「あぁ、落ち着いたようだな」
「はい、おかげさまで……」
「よかったっス。もう真っ青でぶっ倒れそうだったんスから〜」
「うん、心配してくれてありがとう」

 改めて礼を言い、促されるままもう一度ソファへと腰をおろす。向き合った祥子の顔が、やや晴れていることに気が付き、承太郎は口を開いた。

「さっきと比べて随分すっきりした顔をしているが、何かわかったのか?」
「あ、はい。わかったっていうか、考えたんですけど。とりあえず、家に帰ろうかなって」
「帰るって……」

 笑顔を見せる祥子に、仗助はなんとも言えない顔になる。祥子は気付いていないが、既に承太郎たちは祥子が帰れない事がわかっていた。だからこそ、彼女のその発言に顔を見合わせるしかない。その晴れやかな顔を見てしまうと、率直に「帰れないだろう」などと言うのは憚られたのだ。

「あてはあるのか?」
「あ、できれば駅まで送ってもらえると助かります。駅まで行ければ、窓口で家の最寄り駅まで切符買っちゃえばなんとかなるかなって。お金は、カードとかありますし」
「そうか……」

 承太郎の確認にもよどみなく答えが返ってくる。
 ごく普通に考えれば、確かにそれでなんとかなるだろう。多少、予定外の出費が財布を軽くするくらいだろう。普通ならば。

「ところで、妙な事を聞くようだが、今年は何年だ?」
「え?」

 不意をつく承太郎の問いに、祥子は目を瞬かせる。しかし、口を挟む事もできない仗助が心配そうに見つめる前で、祥子は少し可笑しそうに笑って答えた。

「やだなぁ、空条さん。今年は平成24年、2012年じゃないですか。ロンドンオリンピックだって観たでしょ?」

 最悪の回答を。

「そうか……」

 承太郎にも、仗助にも、ロンドンでのオリンピック開催の記憶はない。来年になるオリンピックの開催地は、確かシドニーだったろうか。
 今から十年は先の年を答え、聞いたこともないオリンピックの話題を出して。そんなくだらない嘘をついて何になる?
 苦々しい表情で、承太郎は祥子を見据えた。

「あんたには悪いが、おそらく希望どおりには帰れないだろう」
「は……?」

 その言葉に、祥子の笑顔が凍りつく。すっかり戻っていた顔色が、また青褪めていく様に、承太郎も口を閉ざしそうになるがそれでは話しが進まないのだ。

「なにを……。だって、ここ、日本ですもん。私、家から駅近いし……。お金なら、なんとかなりますって……」
「今年は1999年、平成11年だ。あんたが2012年を生きていたというなら、どういうことかわかるだろう」
「……」

 うろたえる祥子の声を遮るように、しかし淡々と告げる承太郎の言葉に、祥子はついに絶句した。
 彼女自身、違和感を感じていなかったとは言えなかった。しかし、それは日本とはいえ知らない土地だからだろうと、無理やり納得していたのだ。
 口を引き結ぶ祥子の前に、新聞が一部、放られる。それを見るのが怖かった。しかし、確認したくて仕方がなかった。

「平成、11年……」

 右上に印刷された日付を読み上げた声は震えていた。
 嘘だと叫びたかった。馬鹿にするなと、騙して何がしたいんだと怒りたかった。しかし、すぐさまそれができるほど、祥子は短気ではなかったし、そういった度胸は持ち合わせていなかった。だから、なんとか認めたくない事実を否定しようとする。
 テーブルに広げられた祥子の荷物から、スマートフォンを手に取りタッチする。

「嘘……っ!」

 表示されるのは、通信不能のマーク。電話をかけようにも、繋がりはしなかった。

「電話っ……、電話貸してください!」
「あぁ、好きにするといい。外にかけるなら、外線を押して市外局番からだ」
「承太郎さん……!」
「いいから、気が済むようにさせてやれ、仗助。てめぇだって何ができるとも思ってないだろうが」
「そうっスけど……!」

 祥子の向かいに座ったまま微動だにしない承太郎は、真っ青な顔で動き回る彼女を止めることはない。悲壮にすら見える彼女を心配する仗助も、何ができるわけでもなく見守るしかなかった。
 二人が見つめる先、必死に電話をかけていた祥子の手から、縋りつくように持っていた受話器が滑り落ちる。

「なんで、なんでっ……?!」

 崩れるように膝をつく祥子の耳元に垂れ下がった受話器からは、電話番号が存在しないアナウンスが機械的に流れていた。
 不意に、項垂れている祥子の伏せた視界に大きな足が入り込み、彼女はつられるように緩慢に顔を上げた。傍に立った承太郎が揺れる受話器を掬い上げて戻す。

「そういうことだ」

 ただ一言落とされた言葉に、祥子は声を上げて泣き崩れた。



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