【1】夢と現 1


 祥子は目の前で湯気を漂わせるコーヒーを、ソファに座って呆けたように見つめていた。いや、実際に呆けていた。急展開すぎる現状についていけず、頭が動いていなかったのだ。ついでに、何故かわからないが取調べを受ける犯人のような心持ちでこの場に連れて来られたものの、ルームサービスのコーヒーでもてなされている今の状況も、彼女には訳がわからなかった。

「まずは、あんたのことを聞かせてもらおうか」

 混乱の極みでコーヒーに手をつけることもできない祥子を置いて、彼女の向かいに座った承太郎が口火を切った。一緒についてきた仗助も、大人しく祥子の隣のソファに座ってコーヒーを啜っている。
 承太郎としては、決して真っ向から敵と疑いをかけているわけではないので、コーヒーを出す事になんら疑問は抱いてはいない。しかし、その行動が祥子混乱を深めている事には全く気付いていなかった。

「おれは、確かに一度、エジプトであんたに会った覚えがあるんだがな。ありゃ、十年も前の事だ。それにしちゃ、あんたは何にも変わっちゃいねぇ。そのあたりも聞かせてもらうぜ」

 承太郎は帽子の下から鋭く祥子を見据える。
 彼の人生を大きく変えたあの旅の最中に出会った彼女について、名前などは忘れてしまっていても、少しも悪の気配を感じさせなかった事だけは覚えていた。しかし、スタンド使いでなかったはずの彼女が、十年の歳月を越えて姿はそのままに、スタンド能力を持って再び現れた。その事実はあまりにも大きかった。
 あわせて先日からのスタンド使いが関わる事件だ。どうしても、口調は問い詰めるように強くなってしまう。ただし、承太郎の雰囲気は、元より気さくとは言いがたいものがあるので、慣れていないものからすれば特に変わりはなくみえるのだが。

「まぁまぁ、承太郎さん。この状態じゃ、どうせ逃げられないんス。そうせっついちゃ、話すもんも話せないっスよ。祥子さんも、コーヒー飲んで落ち着いてくださいっス」

 あまりに緊張した空気を見かねてだろう。祥子の横で大人しくしていた仗助が、軽い調子で承太郎を、祥子をそれぞれ宥めるように声をかける。
 家庭環境のせいか、仗助は人の機微にそれとなく敏い。それは承太郎にはない、場を取り持つ能力だった。年下の叔父のその才能に助けられる形になった承太郎は、ひっそりと仗助を連れてきて良かったと息を漏らした。

「仗助……。そうだな、何もあんたを責めてるわけじゃねぇ。話しを聞きたいだけだ。とりあえず、考えがまとまってからでいい」
「あ、はい……」
「ほら、大丈夫っスよ。承太郎さんはすげぇ頼りになる人っスから。悪いようにはしませんって」
「うん、ありがとう、仗助くん」

 完全に固まっていた祥子も、仗助に促されるままコーヒーを口にしてようやく人心地ついたようだった。改めてソファに座りなおし、承太郎へと向き直る。

「えぇと、それじゃぁ、改めて自己紹介させてもらいます。鐘田祥子、二十歳です。職業は大学生をやってます。空条、さんには会った事ありますけど、でも会ったっていうか、私的にはあれは夢だったんですけど……」
「夢ぇ?」
「仗助。いいから、続けてくれ」

 祥子自身も自分で何を言っているんだろうと思う内容に、思わずと言ったように仗助が声をあげる。しかし承太郎はそれを制し、判断はひとまず話しを全て聞いてからと決めたのだろう、祥子へ先を促した。
 仗助の声に、思わず首を竦めていた祥子だったが、承太郎に促され、もう一度口を開く。

「えっと、どう説明したら良いのかわからないんですけど。私、昔からすごくリアルな夢を良く見てて、ホントにリアルなんですよ。味とか、痛いとか結構わかるっていうか。だから、そのリアルな夢で、空条さんの事を見たっていうか会ったっていうか……」
「あんたにとって、おれたちに会った夢ってのはいつぐらいだ? おれからしたら、あれは十年は前のことだ」
「さっきも、そう言ってましたよね……。私が空条さんの夢を見たのは、多分、えぇと、先週くらいかなぁ。そっか、十年もたってるから、空条さん変わって当然ですよね。最初、わからなかったです」
「まぁな。あの時は高校生だ。変わりもするってもんだ」

 祥子も話していくうちに緊張がほぐれたのだろう。軽い言葉も零れはじめ、承太郎もそれをすくい上げて話しを引き出していく。

「それで、今日は大学に来ていたはずなんです。確か、講義を受けていたから……。居眠りでもしちゃって、またリアルな夢を見てるのかなって思って。気が付いたらバス停の前に居て。でも、日本だし大丈夫かなって歩いてみたんです。駅前だから、あたりをぐるっと回って戻ってきて。それで……」
「おれに声をかけてくれたんスね?」
「うん。なんか、困ってたみたいだったから」
「いや〜、マジで困ってたんで、助かったっス」
「仗助、何かあったのか?」
「いやっ! 気にしねぇでくださいっス!」

 へらりと話しに乗ってきた仗助だったが、承太郎に困り事の内容を訊ねられて慌てて誤魔化し口を閉じる。仗助曰く、「グレートに格好良い甥っ子」に知られるには、亀に囲まれていたという内容は格好悪すぎた。

「まぁ、いい。つまり、あんたにとって全ては夢だったと、そういうわけか?」
「はい。だから、いつも目が覚めると戻ってるん、です……」

 説明を終えた祥子の言葉は、最後が尻つぼみになってしまった。そして、承太郎が見つめる前で、みるみる顔が青くなっていく。

「気が付いたか? 確か、あの時は小一時間程度だったか。どういったわけか、あんたは消えたと覚えている」
「は、はい……。あの時、話しの途中で、目覚まし時計の音が聞こえて……。あぁ、私、起きるんだって……」

 いいながら、祥子は色を失う顔を隠すように手で覆う。かすかに震えてさえいる様子に、仗助は気遣わしげに見るが口は開かない。
 それを見ながらも、承太郎は淡々と確認するように言葉を重ねていく。

「それで、今はどうだ? おれと会ってからは既に一時間近く。仗助と会ってからを入れたら、二時間は越えるだろう。しかも、それまでにも行動は起こしていたらしいな。随分と、長く「夢の中」とやらに居るんじゃないか?」

 両手で覆った顔を伏せたまま、祥子は辛うじて頷く。その肯定は、彼女にとって最悪の状況を示していた。

「目を覚ます兆候は、何かあるか?」

 容赦なく承太郎は問いを重ねる。
 しばしの沈黙の後、祥子はゆっくりと首を、今度は横へと振る。

「私……」

 再びの沈黙の後、ようやく吐き出した声はか細く掠れていた。
 眠気が襲うこともない。強く目を瞑り、開いてみても目の前の景色が変わることはない。何かに引かれるような感覚もない。目覚ましの音が頭に響くこともない。

「……私、帰れない……」

 ぽつりと落ちた声は、あまりにも頼りなかった。






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