8.知らないお姉さんは、ありですか?


 祥子が閉じていた目を開くと、いつの間にか知らない街中に立っていた。

「またいつもの夢?」

 数回瞬きをしてから自分の身体を見下ろして、祥子は一人呟いた。今の格好は普段の通学スタイル。講義が終わったら遊びに行く予定だったから、少し気合が入っていた。
 視線を上げて見回してみたが、見覚えは無いものの今立っているこの街は先日の夢のように海外というわけではないらしい。なぜなら目の前に立っているバス停に書かれた文字は、祥子にもわかる日本語だったからだ。

「杜王町……? どこだろう」

 ただし、祥子の知らない町だということは確かだった。



「くっそ〜……。こいつぁ卑怯っスよ……」

 杜王町駅前の噴水そばにて、東方仗助は弱りきった悪態をついていた。彼の足元には円を描くように庭石のようなものが置かれている。十はあるだろうそれは、よく見るとゆっくりと動いていた。

「あいつらこれだけの亀をどっから持ってきやがったんだよ」

 そう、彼の足元でもぞもぞと動くそれは、石ではなく彼の大嫌いな亀だった。高校への入学早々、目をつけてきた先輩方に一発かましたのが悪かったらしい。しっかりと恨みを買い、その時に言ってしまった弱点を突かれたのだった。
 即ち亀。その亀で周りを囲むという、小学生並みの嫌がらせではあるが、今現在仗助に対して実に威力を発揮していた。連れて来られた亀は特に何をするわけでもないのだが。
 仗助もさすがに、亀を跨いだところで飛び掛ってくるわけがないとわかってはいる。しかし不思議なもので「怖い」と思っていると、亀のそばに足を持っていけば食いつかれるんじゃないかと思ってしまうのだ。
 それを馬鹿馬鹿しいと考える自分と、それでも足を踏み出せずに居る自分との間で、今彼ができるのは亀の胡乱な動きを見逃さないよう睨みつけることのみだった。

「あぁ〜、こんなときに康一とか承太郎さんとかが通りかかってくれればよぉ〜!」

 自慢のリーゼントが決まった頭を抱えたところで、残念ながら救いの手が伸ばされる事はない、はずだったのだが。

「君、大丈夫?」

 かけられた柔らかい声に、抱えていた頭が勢い良く上がった。そのあまりの勢いに、声の主がたじろいだのがわかり、仗助は「しまった」と思った。自分の風体があまりよろしくないという自覚がある。怖がらせて逃げられては折角の救いの手を逃すのは避けたかった。

「あのっ、なんもしないんで逃げないでくださいっス!」
「あ、うん。えっと、で、君は大丈夫? 頭、抱えてたけど」

 ひとまずその場に踏みとどまってくれた彼女に、仗助はほっと息をつく。そして若干引きつつも心配してくれる姿に、彼の中では勝手に高感度が上昇していた。それなりに可愛い若い女性に声をかけられて、嬉しくない男はそう居ないというわけだ。

「あの、病気とかじゃぁなくってですね。ちょっと困ってたっつーか……」
「じゃぁ、落し物? 一緒に探そうか?」
「いやっ、そーじゃなくって……」

 そこで仗助の目が泳ぎ、続く言葉を言いよどんだ。救いの手と飛びついたはいいものの、今の状況を説明することを躊躇した。何も見知らぬ相手を警戒してとか、スタンド使いを疑ってといった難しい話ではない。単純に仗助の中の男の矜持というやつだ。たかが亀ごときにビビって居ることを打ち明けるのは、中々に決意が必要だった。特に、彼のような男子高校生という時期には。
 しかし、背に腹は変えられないのも確かだった。

「これ、どかしてもらえないっスかね……」
「これって、亀?」

 目を丸くする彼女に、仗助は自慢のリーゼントを揺らしてこっくりと頷いた。


「そっかー、亀が苦手なのかー」
「いや、その……。どうも爬虫類ってやつが苦手で……」
「男子はそういうの好きだと思ってたけど、色々居るのね」
「そっスね」


 その日、杜王駅前の噴水に居候する亀が増えた。

「いや〜、助かったっス。祥子さんのほうこそ、女の人にしては亀に強いっすね〜」
「あはは、嫌いじゃないし、噛む亀じゃないから怖くないよ」

 仗助が恥を忍んで頼み込んで直ぐ、祥子は仗助の足元をうろついている亀をひょいひょいと持ち上げては噴水へと放し、片付けてしまった。その間、亀に触る事ができない仗助は実に手持ち無沙汰だったため、なんとなく会話をしていたのだ。その際、名乗りあい、亀の経緯なども話して笑いを誘ったりもした。

「この亀、どっから連れて来られたんだろうね。ここに入れちゃって良いのかな?」
「大丈夫じゃないっスかね? もともと一匹は住んでるんで」

 すっかり大家族になってしまい、いささか窮屈そうな亀を眺めて仗助は安堵の息を漏らす。隣で噴水を覗き込んでいた祥子は、顔を上げて伸びをすると仗助に向き直った。

「ねぇ、仗助くんはこのあと用事とかある?」
「用事っスか? 特に無ぇけど……」
「よし! アンラッキーデーな少年に、お姉さんが何か奢ってあげよう!」
「はぁ〜?! なんでそーなるんっスかぁ?」

 突然の祥子の申し出に、仗助が頓狂な声をあげる。

「まぁまぁ、良いじゃない。寂しいお姉さんとデートしてよ」
「デッ?! な、なに言ってんスかあんたはっ!」

 祥子は、今時「デート」の単語に過剰反応する仗助が面白かった。何しろ彼は、顔の造りが非常に良い。ハーフなんだろうか、濃い造りだが愛嬌ある垂れ目が優しそうだった。そのファッションこそ不良そのものとは言え、意外と身に着けている小物等が可愛いく、祥子の興味をそそる。そのうえ話してみれば、こちらに気も遣える中々に性格の良い子だ。
 相変わらずこのテの夢は良い出来だと笑いながら、祥子はなにやらゴニョゴニョ言っている彼の背中を押して歩き出す。

「ねぇ、この辺で適当なお店とかないの?」
「うっ、そ、そうっスねぇ〜……」

 祥子に促され、仗助は口篭る。彼の周りでは、どこか店をとなれば皆が「カフェ ドゥ・マゴ」と言うだろう。しかし、だからこそ、このままその馴染みの人気店へ行くのは憚られた。

(こんな状況を、誰かに見られでもしたら!)

 こんな状況とは異性と、それも年上の女性とカフェに二人きりになること。年頃の青少年としては色々と思うところはあるのだ。
 しかし頭を悩ませる仗助の視界に、救いとも言えるものが映りこむ。

「えーと、じゃぁ、おれ、アイス食いたいっス!」

 アレが良いと仗助が指差す先には、移動式アイス店。ドゥ・マゴへ一緒に入るのに祥子がどうと言うわけではないが、目立つ店に入るよりはよっぽど危機を回避していると思った。

「へぇ、仗助くん、アイス好きなんだ。結構可愛い好みだね」
「うぐ、そういう訳じゃ……」

 少々不本意な評価をいただいてしまったが、今更言い訳のしようがなく、仗助は大人しくアイスケースへと向き合うのだった。

「何にすっかなぁ」
「あ、ダブルとかでも良いよ」
「え、それは流石に……」

 見た目は不良そのものでも、根っこは母思いの仗助である。流石に遠慮を申し出るが、対する祥子は平気だと笑って肩を竦める。

「実は、銀行いったばっかで大きいのしかないんだよね。ちょうど崩したかったから。助けると思って、ね?」
「あぁ〜、じゃぁ、甘えるっス」

 両手を合わせてみせる祥子に、仗助もこれ以上遠慮するのも悪いなと、笑顔で待っている店員にフレーバーを二種類頼むのだった。

「じゃぁ、まとめてこれでお願いします。大きくてすみません」

 祥子はシングルとホットコーヒーを頼んで、諭吉を一人手放す。果たして夢の中で開いた財布の中は、確かに夢に落ちる前と寸分たがわない事が不思議だったが、不思議に思う以上に思考は及ばない。

「あれっ、なんか懐かしいかも……」
「うん? なんかあったっスか?」
「あ、ううん、なんでもない」
 
 差し出された釣銭に声を漏らした祥子に仗助が首を傾げて訊ねる。しかしたいした事じゃなかったため、祥子は笑って誤魔化した。

(新渡戸さんと夏目さんだ。まだ残ってたんだなぁ)

 財布の中へ紙幣を戻しながら、久しく見ていなかった顔に妙に感動していた。彼らがそれぞれ、樋口一葉と野口英世と交代してから随分たっていると思っていたのだが、残っているところには残っているものだと。

「おまたせしました。まずはダブルのお客様から」
「あ、はーい、ありがとうございます。仗助くん、受け取って〜」
「あざっす」

 結局、座るところが見つからず、亀の噴水へと戻る事になったことで、仗助は全く落ち着けなかったのは余談である。


 アイスを食べながら、祥子は仗助から彼や、この杜王町という町について話を聞いていた。M県S市のベッドタウンとして発展した町であること。彼は生まれてからずっと此処に住んでいて、この春から高校に入ったばかりだということ。町の特産品は牛タンの味噌漬けだとか。他愛もないけれど、祥子にとっては一応現状把握のために大事なことだ。
 先にアイスを食べ終わった祥子がコーヒーを啜りながら仗助の話に頷いていると、不意に仗助の向こう側から彼を呼ぶ声が聞こえた。声をかけたのは、仗助の年上の甥になる空条承太郎だ。

「おい、仗助。こんなところをうろついていて良いのか?」
「あ! 承太郎さん! いや、ちょっと色々あったんスよ」
「仗助くんの知り合い?」
「ん?」

 承太郎は此処でようやく、仗助の隣に人が座っている事に気が付いた。丁度、歩いてきた承太郎から見て仗助の向こう側になり、身体の大きな仗助の影に隠れていて気付かなかったのだ。それは仗助よりは年上の女性であり、どこか見覚えのある顔だった。
 同様に、祥子も聞いた覚えのある名前に、また見覚えのある気がするその端正な顔をじっと見つめていた。目深に被った帽子のつばから覗く鋭いエメラルド。ただどこか感じる違和感が、余計に記憶を刺激する。
 お互いにしばし記憶を探っていたが、ほぼ同時に目を丸くして声を上げた。取り残された仗助の肩が驚きで跳ねる。

「テメェは、ジャージ女!」
「あっ、エジプトの夢の!」

 お互いを認識した二人の声が重なった時だった。
 突然、あたりに引き攣れた笑い声が響き渡った。


to be continued≫≫≫


≪prevbacknext≫

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -