07.ファイティング・ガール
徐倫は一人の独房の中で溜息をつく。今彼女は騒ぎを起こした罰として、一人、懲罰房へと入れられていた。
「父さん……」
徐倫の人生は今、酷くめまぐるしく動いていた。全てから嫌われ、攻撃されているようなこの時期がいつまで続くのかもわからない。
そして今日、徐倫が居るこの刑務所に隠された、おぞましい何かの片鱗を見た。それと同時に、彼女の父である空条承太郎の魂と最強のスタンドが盗まれるのを目の前で見た。実際に彼女が見たのは、父の頭部から引き出されるディスク状の何かだったが、それを失い、彼女の父は意識を失い、その身体は生きる事を停止したのだから、やはりあれは魂のようなものなのだろうと考えていた。
二人の間にずっと横たわっていた溝を埋める足がかりを得たと思った矢先の消失だった。胸を裂くようなやりきれなさに、徐倫は抱えた膝を強く抱きしめた。
「くそったれ……!」
泣きたいような、意地でも泣きたくないような。決意とは別に片付けられない感情が、徐倫の口から呻き声となって漏れ出す。今は、この一人きりの独房がありがたかった。気持ちが弱っている所を、あの同室のグェスに見られるなど真っ平ごめんだった。
しかし一人がありがたい反面、此処は「懲罰」の名を冠するだけあって、普通の独房より環境が悪いのだろう。他に人影もないこの空間で、薄ら寒い空気が徐倫の肌を撫でていた。
「冷えるわね……。でも、頭を冷やすには丁度良いかな……」
徐倫は膝に押し付けていた顔を上げ、明かり取りの窓から星空を見上げた。静けさが余計に寒さを強調する気がして、とりとめもない独り言を呟く。
「はっくしょん」
「ちょっと、気をつけなよ――……」
不意に徐倫の隣から聞こえたくしゃみに、窓から視線を戻しながら気遣う言葉を言いかけて止まる。
今、徐倫が居るのは懲罰房のはずだった。日中に入ってから今まで、誰も此処には来ていない。最初に一人きりであることは確認してあった。ならば、今くしゃみをしたのは誰なのか。
「だっ、誰だアンタっ!」
いつの間にか徐倫の隣に蹲っていた人影から、彼女は飛びのくように距離をとる。さほど広くはない独房では直ぐに背中が壁に付いてしまい、忌々しげな舌打ちを響かせた。
「えっ? だ、誰? あれっ?! 何処ここ?!」
しかし、そんな徐倫の声に対する答えはなく、返ってきたのは徐倫同様に戸惑った声だった。
とてもこの場、刑務所に不似合いなその声に、しかし彼女自身以外の全てが疑わしく、敵意があるものにしか思えない徐倫の声は鋭く、厳しくなる。無意識に、ストーン・フリーを構えていた。
「訊いてるのはこっちよ! アンタ何者? どっから入ったって訊いてるのよ!」
「ごっ、ごめんなさいっ! 鐘田祥子です! どっから入ったかはわかりませんっ!」
「はぁぁ?」
あっさりと名乗った相手に、警戒したハリネズミのように身を硬くしていた徐倫から気の抜ける声が漏れた。
しかもその不審者は、警戒する徐倫を随分と怖がっているらしい。飛びのいた徐倫と反対側の壁へ同じように背をつけ、距離をとって震えていた。
他者が自分以上に取り乱すのを見ると、不思議と気持ちが落ち着くものだ。徐倫もまた落ち着きを取り戻し、狭い独房の中で精一杯距離をとった相手を見据えて口を開く。
「オーケイ、わかった。まずはあたしたち、お互いを知りましょう」
両手を肩まであげて手は出さないと示しながら、徐倫が提案する。それにこくりと頷くのを確認して、お互いつめていた息を大きく吐き出した。
「ふぅん、あなた、日系人だとは思ってたけど、正真正銘日本人なんだ」
「うん。徐倫はハーフ? スタイルも良いし、格好良いよね」
「ありがと。人種に関しては、ちょっと複雑だけど、まぁ日系人ってとこね」
お互いに名乗りあい、現状を把握する為に言葉を交わすうちに、二人の距離は格段に縮まっていた。というよりも、低い気温も手伝いその距離はゼロ。体温を分け合うように身を寄せ合っていた。
「信じられないわ。ベッドで眠っていたはずが、起きたら此処に居たなんて」
「私だってそうだよ。此処が刑務所だなんて信じられない。人生初刑務所だよ」
「あたしだって初めてよ。自分が刑務所にぶち込まれたなんて、今だって信じられないわ。あたしはハメられたの。冤罪よ。」
年の近い娘二人、互いに敵意があるわけでもないのだから、この二人きりの異常な環境で、奇妙な友情が生まれるのに時間はかからなかった。
始めこそ警戒していた徐倫も、今日までに経験したこの刑務所の不可思議さに、急に人が現れるのもあるんじゃないかと思い始めていた。この刑務所にずっと隠れ住んでいる少年もいるのだから、出たり消えたりと幽霊みたいな女も居るんじゃないだろうかと。
そして二人は、お互いの体温でお互いを温めながら、ぽつりぽつりと言葉を重ねる。
「うん、徐倫が冤罪だっていうの、私は信じるな。会ったばっかだけど、なんかいい人そうだし」
「なにそれ。あんたって変な奴。でも、ま、信じてくれるのは嬉しいわ」
「どういたしまして。きっと徐倫ならすぐ出られるよ。助けてくれる人が絶対居る。なんか、そういう特別な感じがするもの」
くすくすと響く小さな笑い声を咎める看守すら居ない、静かな空間。徐倫はまた星を見上げていた視線を祥子へと落とす。
「本当はね、助けに来てくれた人が居たのよ。……あたしの父がね。そのせいで今、父さんが危険なの。そのまま逃げてしまう事だってできた。でも、あたしは父さんを助けたい。だから此処に残ってるの」
強い意志のこもった徐倫の声に、祥子は息を飲む。その力強さの中に、若さという危うさをはらんで、彼女を酷く魅力的に見せていたからだ。そうしてそれは、なんの力もない事を自覚している祥子にすら、彼女を助けたいと、何かをしたいと思わせる力があった。
「すごい、徐倫。徐倫なら、絶対できるって思えるわ」
「絶対、やってみせるもの」
興奮したように言う祥子に、徐倫もまた不敵に笑ってみせる。そんな徐倫を、祥子は思わずというように抱きしめていた。
「ちょっと、どうしたのよ?」
「ううん、なんか、すごいなって。そんな徐倫に、こう、私の元気を移せたらなって思ったの」
「……祥子って、けっこう子供っぽいわよね」
「えぇ、そうかなぁ?」
「でも、そんなところ、嫌いじゃないわ」
「徐倫……ありがとう」
徐倫は飛びつくように抱きついてきた祥子に腕を回し、胸に燻る不安を押しつぶすように、お互い抱きしめあった。
その温かさと、背に回る腕の柔らかい拘束に、徐倫は胸を締め付けられるような郷愁を抱いていた。母と二人きりのあの家から引き離されてどれくらいだろう。優しいあの人は今どうしているだろう。家族を恋しく思う当たり前の気持ちが解されて溢れてきた。しかしそれは、弱音としてではない。
「絶対に、あたしは家へ帰るわ。馬鹿な父さんの首根っこ掴んで、ママに謝らせてやるの。その為に、あたしは勝たなきゃいけない。今も隠れてる、あの化け物に」
愛する家族を想う心で、強い決意を鋭く磨き上げる。徐倫は気付いては居ないが、それは彼女が背負う星の痣に相応しい意志だった。
その徐倫の姿に、祥子は大きく頷いた。
「そうだね。大事な人、助けなきゃね。徐倫なら絶対大丈夫! 本当に、徐倫は格好良いなぁ。惚れちゃいそうだよ」
「ばーか、なに言ってんのよ」
それは楽しそうに笑う祥子に、徐倫は肩の力を抜いて笑い返した。祥子の気の抜けた顔を優しく小突けば、本気で言っていない笑い混じりの「痛い」の声に、二人で軽やかな笑いをこぼす。
「あんたは、あたしに「頑張れ」って言わないのね」
「言って欲しい?」
「ん〜、あんまり」
「でしょ? 徐倫はもう頑張ってるから、私が言うまでもないかなって」
「そういうもの? 普通は言ってくるもんだと思ってた」
不思議そうに首を傾げる徐倫に、祥子はほんの少し悪戯な笑みを浮かべてみせる。そして、秘密を告白するように徐倫の耳元へと唇を寄せた。
「頑張れは言わないの。代わりに「徐倫なら絶対できる」って言うの。徐倫に魔法をかけるのよ」
あまりに子供じみた言葉に、徐倫は目を瞬かせた。
「祥子、あんた、頭大丈夫?」
「失礼な!」
徐倫のその気持ちがそのまま言葉になって飛び出てしまい、祥子の唇が尖る。それに徐倫が軽く謝るも、笑い混じりになってしまい祥子の顔がますます渋くなってしまった。
「そりゃ、言い方がちょっとアレだったけど……。でも、日本では言葉に力があるって言うんだからね。それに、気の持ちようって言うでしょう? 何度も言われたら、自信がつくじゃない」
「ふぅん、なるほどね。気に入ったわ」
とんでもなく前向きなその考え方は、今の徐倫にとってしっくりくるように思えた。頭で難しく考えるのも必要だが、勢いだって大事なのだ。
祥子には徐倫のように強い意志も、力もない。本人もわかっているし、徐倫にもわかる。それがどうしてか、彼女が緩い雰囲気で口にする言葉は徐倫を暖めた。
ふわふわとした夢物語のように確かなことなどない祥子の言葉は、しかし嘘のえぐみは含まれていない。それが周りに傷つけられるばかりの徐倫には心地よかった。
「あたしは、大丈夫。そうよね?」
「うん! 徐倫は大丈夫」
確認するように、問いかけ、頷いてみせて。もう一度小さく笑いをこぼすと、互いの温度を逃がさないように身を寄せ合う。しばらくは言葉を交わしていたが、やがて二人は眠りにおちていた。
「FE40536! 起床時間だ!」
「はっ!」
昨晩の穏やかな時間とは正反対の荒い看守の怒声に、まどろみに浸っていた徐倫は飛び起きた。
昨晩できたばかりの友人は、この大声に涙目にすらなっているんじゃないかと辺りを見回したところで、徐倫はようやくその姿がないことに気が付く。確かに昨晩どおり寝ていれば、看守が気付かないはずがない。大騒ぎになっていた事だろう。
「ねぇ、ここはあたしだけよね?」
「何をバカなことを言っている。当たり前だろう。良いからさっさと起きろ!」
念のためと確認した所で、看守の機嫌を損ねるだけだった。それでも徐倫は満足気に笑みを浮かべる。祥子が見つかっていないのならそれで良かった。
あれを夢で済ませることもできただろう。いや、普通ならば夢だと考え忘れるものだ。朝、目が覚めたら居ない人間など、行きずりに夜を共にしたなどという覚えがある男女でもない限りは。
「でも、あのこは夢じゃないわ。あたしが此処に居るのと同じで、現実なのよ」
しかし、徐倫は夢だとは思わなかった。確かにその温かさに慰められたし、馬鹿みたいに前向きな言葉に励まされたと感じていた。
「今何処に居るのか、もう一度会えるかもわからない。でも、次に会うとしたらその時にはあたしは自由になってるわ」
徐倫は顔をあげ、狭い窓から高い空を見上げた。その表情には気持ちの良い風が吹いていた。
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