不良と図書委員長
世界には2種類の人間がいる。
そんな事を言い出したのは何処のどいつだか知らないが、今のおれにとってその後に続くのは「持つ者と、持たざる者」になる。何を持つのか。それは今も、おれの背後の宙に立つ青い影。「スタンド」だ。そして、それを背負うおれは「持つ者」。今おれの目の前に居るコイツ、同級生の図書委員は「持たざる者」。
「えぇと、空条くん。本の返却? 貸し出し?」
図書室のカウンターに座ったまま、おどおどと此方を伺ってくる姿に、何となく「帰ってきたんだな」と妙な実感していた。不良にビビる優等生の図。なんていう日常だ。そんな事を考えている自分に小さく溜息を吐く。
「やれやれだぜ」
溜息と合わせて出た口癖に、目の前の小さな身体が少し震えた。自分の図体とナリはよくわかっているので、平素ならそんな反応は気にしやしなかった。
しかし、50日間の長いようで短いような、あの旅から日常へと戻りかけている今は、柄にも無くおセンチな気分だったのだ。そんな言い訳を自分にしている自分に苦い笑いが浮かぶ。
「てめぇは同級生相手に、なんつー態度とってんだよ。そんなにおれが怖ぇか?」
「えっ?」
そりゃ、怖いだろう。わかってて言う。これは完全なるイチャモン、ってやつだ。
こんな風に因縁をつけられる事も、それどころか不良自体にも慣れていないんだろう。本気で困ったようにおろおろと視線を彷徨わせる様が哀れだ。その原因であるおれが言うのもおかしいが。
なんでもない、大人しいだけの同級生を、それも女子をいじめるおれは、ものすごくダセェ。あまりにダサくて、小さい姿に、とてつもなく安堵する。そこにはエジプトを目指し、命がけで戦い、友を失いながらも世界を救ったヒーローなんてものは居なかった。
居るのはただ、背負いきれない虚無感と、どうしようもない苛立ちを、か弱い女子に八つ当る矮小な不良だけだ。
「なんか言え」
「ひっ」
上履きのつま先でカウンターを小突くと、ガツンと思いのほか大きな音がした。力の加減ってやつが、どうにも苦手だ。
カウンターが揺れるのに合わせて、小さな悲鳴が聞こえた。笑ってしまうほど引き攣った声。
コイツはこういう時の対応なんざ、知らないんだろうな。おめでたい奴だ。
自分勝手を自覚した上での勝手な嘲笑に、あの日からの苛立ちが一時的に覆い隠される。吹けば飛ぶような、安っぽい安堵感に帽子の下で顔が歪む。
「あのっ」
ほんの僅か、意識が沈んでいたらしい。緊張にか、恐怖にか、上ずった声に下がっていた視線を上げた。
「へっ、返却でも、貸出でも、カード、ください」
はくはくと、空気を多く吐き出しながら、コイツはカウンターの横を指差して言う。震える指の先には、全校生徒分の貸出カードがクラス毎に整然と並べられていた。
そうだ、カウンターに並ぶ前に、まずは自分のカードを持ってくるんだったな。
言われて思い出した、図書室の利用方法を頭の中で反芻する。
示された通り、カウンターから離れ、自分の貸出カードを探す。2年の、青いカードの列の中、目に留まった一枚に書かれていた名前は「花京院典明」。
なんてこった。チクショウめ。
しばらく黙ってそれを睨みつけ、クラスの束の中から抜き取り、学ランの胸へとしまいこむ。
「あ」
横から聞こえた声に、ちらとも顔を上げはしない。自分のカードも見つけ出し、脇に挟んでいた本に重ねた。
旅に出る前に借りた本は、貸出期間の2週間をゆうに超えて50日間、おれの部屋に居座っていた。結局中身はあまり読んでいない。まぁ、読み物ではないのだが。
「おら、返却だ」
「あっ、はい」
カウンターから動かないコイツの目の前に、カードを重ねた本を突き出して言えば、慌てて受け取る。
おれの手から離れた本は、背表紙を開かれ、貼り付けられた袋から控えのカードを取り出される。其処には、おれの字で書かれた「空条承太郎」の名前と貸出日付。その横に、味も素っ気も無い「○返」の判子が押され、袋に戻されてお仕舞い。カウンター脇の返却棚にポツンと置かれた。
おれの青いカードの方にもハンコを押し、おずおずと差し出されたカードを受け取る。
「……何も、言わないのか?」
「え?」
何を言われたのかわからないと言うコイツに、視線を手の中のカードから貸出カードが並ぶ机へと移して示す。
ようやくおれの意図を察したのか、小さく「あぁ」という声が聞こえた。
「……花京院くんの、カード、ですよね?」
「なんでわかった」
そこまで言い当てられるとは思わず、驚きに目が開く。そんなおれを見て笑う女は、目を伏せて手元のカード、名前も何も書かれていない新しいカードを手に取って言う。
「花京院くんのカード、私が作ったんです。図書委員長だから」
「そういやぁ、そうだったか」
確かに、誰もなりたがらない地味な委員会を押し付けられていたと思っていたが、まさかさらに面倒な「委員長」まで押し付けられていたとは思わなかった。いや、そもそもコイツにそんな気を回した記憶もない。
明らかに忘れていたおれに、もう一度小さく笑う。
「うん、そうだったんだ。それでね、花京院くん、本は読むからお世話になるよって言ってくれてて……」
「……残念だったな」
「うん……」
転校してすぐエジプトに立つことになった花京院の死は、それでも生徒だったというだけで全校生徒に知らされた。だからと言って悲しむ奴なんざいやしねぇ。そりゃそうだ、あいつ等にしたら花京院はろくに言葉も交わしてねえ他人なんだからな。
だからこそ、驚いた。良く知りもしない男を悼んで目を伏せる奴が居たのだから。何も知らない、スタンドも持たない、家族ですらない、ただの学生としての、男子生徒としての花京院の死を悼むただの女子生徒。
その事実に、ほんの僅か救われた気がした。
不意に響いた予鈴に、はっとして時計を見れば昼休みが終わる時間だった。
「あ、もう戻らなきゃ。鍵閉めて行かないとだから、出て貰えますか?」
カウンターから立ち上がるコイツに、黙って踵を返す。ドアまで来たところで思い直し、足を止めて振り返った。
「おいテメェ……飯野、だったか」
「え、あぁ、うん」
「……墓参り、アイツの」
名前を確認するだけで良かったのに、おれは何を言ってんだ。
しかし、帽子のツバを下げる前に見えたツラに今更前言は撤回できそうになかった。
「ありがとう。連れてって欲しいです」
泣きそうなツラしてんじゃねぇ。
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