「ん…」
目を開けると真っ赤な椿が目に入った。赤くて、小さな椿。触れたら花がぽとりと落ちた
「ふ、ふふふ…陳腐な花」
ぐしゃりと花を掴んで握れば花弁がぱらぱらと落ちていく。匂いを嗅いでも香りがない。香ることが出来ないなんて健気な花とも言うけれど、自己主張のない花とも言えるな
「失礼します」
襖が開く音がして、そちらを向けば、銀髪の青年が花を持って入ってくる。確かうちの遊郭御用達の花屋の息子だったか
「休憩中だったのだがな」
「そ、それは失礼しました」
「…まぁいいけど」
また視線を潰れた椿に戻せば青年は俯きながら“始めさせて頂きます”と仕事に取り掛かった。掌には椿の花粉が付いている。その花粉を拭おうとした時青年がこっちを向いた
「あの…」
視線を青年に移してまじまじと上から下まで見てやった。顔立ちの整った、なんとも控え目な青年、椿みたいだ
「なんですか」
「そちらの椿、換えても良いかな?」
「あぁ、これか」
「花が落ちてるのがたくさんあるし、枯れてるのもあるから」
そう言って俺の側にやって来た青年、たくさんの花の香りがした。椿を取り換える青年は花に“綺麗に咲けよ”と話しかけながら生けていた。さながら我が子を旅に出す親みたいだ。その姿が可笑しくて笑ってしまった
「花に話しかけるなんて流石花屋だな」
「俺にはこれくらいしか出来ませんから…」
「健気だな、椿のようだ」
「椿、健気で美しい花ですね。あなたみたいだ」
しゃらん、と簪が揺れる。なんて陳腐な言葉なんだ。今時そんな返し客でも言わない。それでいて何故か気持ちに反応した。この青年が裏表無さそうに見えたからだろうか…
「椿…慎み深く、素晴らしい魅力って意味らしいな。俺には勿体無い」
「白椿は申し訳ない魅力、赤椿は気取らない優美さ。どちらも花魁に相応しいかと…」
「俺は花魁じゃねーよ。女郎だ。まだまだだ」
「そ、そうですか…」
「それに、椿には罪深い女って意味があるらしいな。俺は女じゃねーけど」
「それだけ魅力的な花なんですね。椿って…」
そう言って俺に笑いかける青年、その笑顔に誘われるように俺は彼の頬に触れた。暖かい熱が伝わる。交わる視線、そのままいつも通り繋がると思いきや、青年は目を反らした
「…やめてください。俺は客じゃありません」
「おや、つれねーな…」
「俺は花屋ですから」
「そうだったな」
手を離せば、椿の花粉が頬についていた。黄色い花粉、その花粉を拭う青年。花粉が伸びた
「花粉がついてしまったな。それが俺の痕」
「あと…破廉恥っすねー」
「職業病かなー?」
そう言って髪を撫でればますます顔を真っ赤にした…だからそれが楽しくてクスクス笑っていれば“笑わないでください”とむくれてますます可笑しかった
「青年、名前は?」
「え、あ…名前?」
「そう、名前」
「竹谷、竹谷八左ヱ門です」
「俺は裕」
“よろしくな”
そう言うのも自分から名前を名乗るのも初めてだった。いつもは呼ばれる椿姫の名前を脱ぎ捨てて1人の人間として向き合ってみたかったんだ。なぜか、な
「じゃあ、また花が枯れたときに来ますね」
「ああ」
部屋を出る八左ヱ門。その姿になんだか寂しさを感じるのは何故だろうか
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