座敷クロリデとすっぴん道化たち
2011/06/03 22:10
がさがさと何か物音がする。隣や外からではなく、この室内からだ。
しかし、この場には自分ひとりしかいないはずだ。
一体誰がいるというのだろう、見に行けば黄緑色をした男がごろりと転がっていた。
「起き上がれないよう起こしてええ」
拘束具に身を包み、ばたばたと身をよじる男。
肩からぐいと持ち上げ、立たせてやるが早いか、マホガニーは疑問を口にした。
「誰ですアナタ」
訊ねる声音は低く、普段の陽気さは、既に不可思議な存在への疑問と不安と僅かな恐れがかき消していた。こんな事は初めてだった。
努めて平静を保ち、緑色の男に疑念の眼差しを向ける。視線には、温度がなかった。
「僕はクロリデだよう」
クロリデ、と名乗った男は、怯むことなくへらへらと、白目のない大きな瞳で見つめ返す。
幼い喋り口に、殊更怖気がする。
マホガニーは深呼吸をした。落ち着かなくては、とにかく事情を聞かなくては、と考えた。
「そのクロリデさんがなーんでアッシの家に?」
いつも通りのおどけた調子で、できるだけ優しく訊ねた。するとクロリデはぽかんとして、「なーんでーだろー」と、一言だけ口にした。
と、背後から戸の開く音がした。そこからクロリデは侵入したのだろうか、と呑気に考えて、数秒遅れの戦慄が走った。
心拍数が上がる。こんな場面を誰かに見られでもしたら、間違いなく自分の短い人生はこれまでとなってしまう。それだけは避けたかった。しかし無情にも、来客の足は止まらない。
いよいよ客がやってきた。帽子を片手に、見覚えのある長髪の男が顔を覗かせた。隣に住んでいるコウロゼンだった。
「マホガニー、こないだ帽子落としてま…」
ぼたり、届けに来た筈の帽子を落としてしまう。
言いかけた台詞を、結ぶ直前で失ってしまう。
「…」
「…」
突き刺さる眼差しに、盛大な誤解があることはすぐにわかった。
誤解への大きな不安、しかしマホガニーはどこか小さな安堵を覚えた。
一人きりで、クロリデの相手をするのはごめんだと思ったのだ。だから、コウロゼンを巻き込んでやるつもりでいた。
「咎めるつもりはありませんけどね、あなたの趣味に関しては…」
漸く口を開いたコウロゼン、案の定、予想していた通りの解釈をしているようだった。
「一旦話を聞くべきだとは考えないので?」
弁解する隙を作らなくてはいけない。否定をするために、マホガニーが聞き返す。クロリデはそれを見ている。
「ふうむ、見たままではないですかね」
視線を合わさないように合わさないようにとするコウロゼン、それは“危ない人”に接するような態度だった。違う、違う。断じて違うのだ。言い得ぬもどかしさを感じながら、マホガニーは声を絞り出した。
すっかり唇がかわいていることに気づいた。
「アナタの目にゃ間違った情報が映っている。アタクシはそう思ってますぜ」
その言葉にコウロゼンは、ほう、と興味を持ったように静かな返答をする。
「なら正しい情報とやらを教えていただきましょう」
その台詞を待っていた、とばかりにマホガニーは説明する。
「物音がするんで気になってみてみたら彼がスッ転がってたんですよ」
「ふむ」
半信半疑で相槌をうつコウロゼン。しかし、冗談にしてはあまりにキレがない気がする。
「どっから忍び込んだか知れないが…角といい肌といいこいつはまさしくポケモンだ」
自分をおいて話を進める二人に、ついにクロリデが声を上げる。
「えええ知らなかったの僕ポケモンだようキャタピーだよう」
「で、キャタピーが何でこんなぐるぐるに縛られてあなたのうちにいたんです?そういうアソビをしてたんじゃあないですか?」
相も変わらず疑い続けのコウロゼンに、マホガニーはため息をつく。
「アッシが見たときにゃ既にこの状態でしてね」
それから、困り果てたような表情をして再び口を開く。
「名前がついてる所から察するに、“おや”となるトレーナーがいるはずなんですがねえ」
「僕迷子じゃないもーん」
ぐりんぐりんと目玉を動かすクロリデ。大きな黄色と黒があちらこちらと運動している。
彼が突然そんなことをするものだから、マホガニーとコウロゼンは揃ってぎょっとした。
「うわっ何事ですか」
「こっちが聞きたいぐらいです」
口々に驚く二人に、クロリデは「すごいでしょーう」と笑みを見せた。
「…知り合いのポケモンに彼に関して心当たりを聞いてきます」
帽子も確かに届けましたからね、と、玄関へ向かおうとするコウロゼン。
マホガニーはそんな彼の右手首を掴んでひきとめた。
「…おっと。逃がしやしませんぜ、アナタにも耐えてもらいましょうか」
今、コウロゼンに帰られては、自分にとっていつ発芽するかもわからぬ不安の種しか残らない。そんな執念にも似た強い思いだった。
「や、やだなあ私が逃げるですって?」
作り笑いがひきつっている。普段のコウロゼンならもっと上手く笑うはずだった。
「仮に逃げないとしても、外に出た途端変な噂を流しかねませんからね」
「言いませんよ、今すべて理解できました!この子ならいつの間に忍び込んでいてもおかしくない!」
二人とも必死だった。一刻も早く、この見たこともないキャタピーから逃げたいと考えていた。今までの冗長とした付き合いのなかで、ここまでぴたりと意見があったのは初めてだった。
「分かれば良いんですよ、さあ早く座った座った」
ぐいと腕を引くが、コウロゼンもまた抵抗をする。
「あなたがわかってないです、大人しく帰してください」
「いーや帰しませんぜ」
こうなれば道連れだと、そういう気持ちを崩さずに、すがるような思いで引き寄せようとする。
一方のコウロゼンも、振り払うことに一生懸命になっていた。
「くっ、男色趣味もいい加減にしてください!」
「おあいにく様だ、アタクシは女にしか興味ありませんぜ」
一歩も譲らない。どんどん力がこもっていく。
腕をひっぱりあうその姿は皮肉にも、普段よりずっと滑稽だった。
「ふぎぎぎ…じゃあっ、なんで妹さん呼ばないんです、か」
「うぐぐぐ…セッ、セピアに見せられる訳が、ない、でしょうがっ」
そこで、疲れたのだろうか。同時に手を離した。思い切りしりもちをつく。
「こんの兄バカ!まあその心意気は拍手ものですけどね、大体イッシュにキャタピーが現れること自体…」
威勢よく話し出したコウロゼンだったが言いかけてまた、止まる。
「何ですいきなり黙って」
「い、いないんです」
指差す先、クロリデがいたはずの場所にはいつの間にか影すら残っていなかった。
「…良かった」
ふ、と脱力してしまうマホガニー。緊張の糸がようやくゆるんだのだ。安穏が帰ってきたと、そう感じた。
「今日のことは我々の心のなかだけに止めておきましょう」
コウロゼンが立ち上がりながら提案した。マホガニーもそれに賛成だった。
それから、大した会話も交わさずに、玄関まで来ていた。
「それじゃ、またそのうち来ますよ。お邪魔さま」
「ええ」
ぱたりとドアを閉める。
なんだかどっと疲れてしまったので、マホガニーは少し眠ろうと思った。
コウロゼンの部屋の方から叫び声が聞こえたのは、三十秒程後のことだった。
さよなら平穏
(ちょっと!助けてください!キャタピーが!キャタピーがあああああ!!)
*
座敷クロリデの恐怖。座敷わらしなら幸運の象徴だし来てほしいですが座敷クロリデは困りますね。
茶色クラウン二人して、大困惑の大混乱。
いいオトナが全力でカオスを生みます。
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