「リゾット、隣に座っても良い?」

「あぁ」


名前が隣に立ち、リゾットはソファーを半分譲る為に端に寄る。
思えば最近、そんなことが増えた。
妙に近くに居たがるような。


(勘違いだろう)

浮き立つ気持ちを押さえて、雑誌を握る指に力がこもる。
ジェラートとソルベが殺されたばかりだと言うのに、名前が近くにくれば自然と浮き足立つような気持ちになってしまう。

リゾットの、ある日の苦悩。
そんな話。






「何読んでるの?」

「今はゴシップ誌だな」

「リゾットって色々読むよね」

「情報は持っておいて損はない」


もちろん、仕事柄だ。
闇稼業において、しかも暗殺者として、情報は命だ。
どんな情報も目を通し、記憶する。
正確な情報を見抜く事が、文字通り自身の命につながるのだ。


「楽しい?」

「楽しいかどうかじゃなくて…おい、お前何飲んでるんだ?」


リゾットは名前を振り返り、そこで初めて彼女の手にあるグラスを見た。
名前が好んで使う、透明なグラス。
いつもミネラルウォーターを飲むのに使うそのグラスに、今は深紅の液体が入っている。
どこからどう見ても赤ワインだ。



「水よ、水」

「嘘をつくな。どっからそんなもん…っ」


記事に目を通す事に夢中になり、気づくのが遅くなったのが悪かった。
夕食の時に少し飲んでいたせいで、アルコールの匂いにも気づかなかったのだ。

名前のグラスはほとんど空で、彼女の白い肌はうっすらと朱に染まっている。彼女が酒に弱い事を差し引いても、一杯目ではないのは明らかだ。


「リゾット」

トロンとした目は僅かに潤み、柔らかそうな唇はワインで濡れて妖しく光っていた。


「リゾット、ねぇリゾットぉ」

「うっ…、離れろ」


リゾットの抵抗虚しく、名前はその体をにじり寄らせてリゾットに乗りかかる。


「おぃ、酔っ払うと面倒な奴だなっ…」

「面倒?嫌い?」


嫌い?
そんな事は言ってない。
むしろ、全てを捨てたくなるくらいには夢中になってる。
そんな言葉を飲み込んで、リゾットは名前の体を押し返した。


「そんな話はしてないだろう」

「だって」


何が「だって」なのか教えて欲しい。
ため息をつきかけてそれも飲み込んだリゾットは、そっと名前の背をソファーに預けさせた。

「みんな何か隠してるでしょ?」


うつ向いて唇を尖らせる名前の言葉に、リゾットは目を見開いた。
いつもそんな素振りも見せない名前は、今にも泣き出しそうなほど頼りなく視線をさ迷わせる。


「ソルベもジェラートも……リゾットもどこかに行ってしまいそう」

「……」


隠せるはずなどないのだ。
それは分かっていた。
分かっていたのに、口に出さない名前の優しさに甘えていたことは今まで気づけずにいた。


「みんなを失わない方法を考えてるの」

「…名前」
「でもね、良い案は浮かばないの。どうすれば良い?」

微かに震える手がリゾットの手を掴み、名前の目に涙が浮かぶ。
胸を強く殴られたような気分だった。
息が詰まって、上手く呼吸が出来ない。
リゾットの中には、既に最悪のプランが用意してあった。
恐らく名前も……チームのメンバーも全員今までと同じではいられないプラン。
その全てが、名前の一言でグラグラ揺るがされるようだった。

「リゾット…」


何も言い返さないリゾットの背に名前の細い腕が回される。
ギクリと体を強ばらせている少し温度の低いリゾットの肌に、名前の火照った頬が触れた。


「…名前」

抱き締めて、もう気持ちを吐き出してしまおうか。
伝わる体温につられるように上昇する熱が、リゾットの頭の芯をグラグラと沸騰させる。


「名前…」

「………」










「名前?」

「………」







(寝たな)


リゾットに乗り掛かるようにしがみつき、名前は小さく寝息を立てていた。
がっくり項垂れ、それでも安心している自分も居た。
サラサラと名前の髪を撫で、リゾットは今度こそため息をついた。
そもそも、名前は以前酒を飲んだ時もそうだったのだ。
名前が初めてワインを飲んだ夜。
酔いが回って吐いた名前は、部屋に運んだリゾットにべったりとくっついて離れなかった。


『リゾット、冷たくて気持ち良い』

どうでも良いが、その時ばかりは自分の露出度について少し考えた。


「酔うと甘えたくなるのか?」

寝息を立てる名前の髪を撫で、少し体をずらしてそっと頬に触れてみる。
酒がまわっているのか、いつもより温かい。
柔らかな感触を楽しむようにつつき、肩をすくめる名前を抱き締めた。


「名前…」

寝入っている名前が返事をするはずもない。
分かっていて名前の名を呼ぶ。
聞いているはずもないと思っているから、そうして呼べる。


「オレも考えている」

お前と一緒に居る手段を。
仲間を失わず、ボスの脅威から逃れる手段を。


「好きだ、名前…」


口にして伝えることの出来ない想いは、名前が寝ているからこそ言葉に出来る。
喉を突き上げるような感情を吐き出して名前を抱き上げ、ほんのりワインの香りをまとう名前を彼女のベッドに降ろした。
そっと寝かせれば、名前の体温が消えて寒く感じる。

好きなのに。
愛しいのに。
切ないのに。
大切なのに。

想いを告げる事もできず。
真実を打ち明ける事もできず。
自由を与えず、小鳥を捕らえるように抱え込み。
決して離さないまま危険に晒そうとしている。

(最低だな。名前にそんなことを告げる資格なんかない)

もう何度も考えたその思考を頭を振って振り払って、リゾットは規則的な寝息を立てる名前の頭を精一杯優しく撫でた。


(終わりにしなければ…)







「名前……さよなら」


我ながら情けない。
何度も告げようとしていながら、一度も言葉に出来ていない別れの言葉を、胸の奥にしまいこんだ名前への気持ちと同じく彼女が眠っている時にしか言葉に出来ない。

「愛してる」も「さようなら」すらも伝えられずに、リゾットは名前の髪を撫でる手を止めて部屋を出た。


いつか、



いつか名前に気持ちを伝える事が出来たら。


そう願いながら、眠りについた。
願いが叶う日がくる事も知らずに、それでも口に出せない夢を見ていた。
胸の奥で描く夢は、暗殺者らしからぬ幸福な日々。
幸せそうに笑う名前を抱き締め、優しくキスをして、頬をうっすらと染める名前をまた抱き締める。



どうか、名前が幸せで居られますように。



祈るように心で小さく呟いて、眠りについた。


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