これは、名前とリゾットが暗殺チームのアジトを出るほんの少し前の話である。
リゾットにシチリアでプロポーズされた名前は、いつの間にか増えていた自分の荷物を箱につめながらため息をついた。
「あの……準備しにくいんだけど」
「当たり前だろ。妨害してるんだからよぉ」
名前を挟むようにしゃがみこんだソルベとジェラートが邪魔で、思うように作業が進まない。ソファーに座ったイルーゾォも、楽しくなさそうにふて腐れていてどうにも機嫌が悪い。
「まぁ絶対出て行くと思ったけどな」
ソルベだけは名前をからかっているような軽い調子で笑うが、ジェラートとイルーゾォはネチネチと「マジに行っちまうのかよ」としつこい。
リゾットが居れば三人を追い出してくれるのだが、今日はどうしても仕事が忙しいらしい。シチリアに行くためにもぎ取った休みの分、書類がたまっているとか言っていた。
「シチリアに行くって言うから、ぜってぇプロポーズすると思ったんだよ」
「あのヤローがそんな事思い付くような男か?どうせ誰かがアドバイスとかしたんじゃねーのか!?」
笑うソルベに対し、ふて腐れたジェラートのリゾットに対する評価は最低なようだ。
確かにリゾットが「シチリアに行く」と自発的に言い出すのは考えにくいが。
「おいおい、邪魔してんじゃねーよお前ら」
部屋の戸を振り返ると、ホルマジオが苦い笑みを浮かべていた。
救世主に見える。
「名前を手伝ってやってくれって、リゾットに頼まれてたんだよ」
「「お前も敵だっ!!」」
ホルマジオに首根っこを掴まれて名前から引き離されるジェラートと、ソファーでクッションを抱えたイルーゾォが声を揃える。
いつからそんなに仲良くなったんだか。
ソルベはそもそも楽しんでいただけな節があったので、ホルマジオに言われてすんなり場所を空け、名前の荷物を箱につめる十分なスペースがようやく確保出来た。
「しかし、お前が人妻かぁ」
しみじみ語るホルマジオの言葉に、名前の心臓が跳ねる。人妻なんて単語にされると、何だか生々しい。
「やめろよホルマジオ。何かリアル…」
「そーだよ!ひ…人妻なんて…」
顔をしかめるジェラートの隣で、イルーゾォは赤い顔で反論する。何故イルーゾォが照れる。
しかし…。
ホルマジオは緊張した面持ちの名前を見た。
リゾットが連れて来た時には子どものようだった名前も、たった数年で大人の女性らしい魅力を放つようになった。
落ち着いた大人の雰囲気と、時折垣間見える子どものような危なっかしさの絶妙なバランスは確かに異性を惹き付ける。
もちろん、一般論だが。
「他に荷物は?」
「こんなもんだよ。これ以上詰めると、引っ越すまで着る服がなくなっちゃう」
「相変わらず物少ねぇな」
女ってのは物を溜め込むもんだと思っていたが。
しかし、名前がここで暮らすようになるまでの経緯を考えればそんなものなのだろう。
身一つでここに来て、長い間名前の世界はこの建物だけだったのだから。
「これでも増えたよ」
名前は最後の箱を積み上げてポンポンと叩いた。
音の響きからして、軽い物が入っているらしい。
「しかし、リゾットの奴、何て言ったんだよ」
「何が?」
きょとんとした名前に、ホルマジオはニヤニヤと笑みを浮かべる。
興味なさげに名前の荷造りを見ていたイルーゾォ達も、ホルマジオの切り出した話題には興味を示して名前を見る。
「隠すなよ。プロポーズの話に決まってるだろ?」
「なっ…!!」
顔が火照って、赤くなったのが分かる。
冷やかすような四人の視線に、名前は口を引き結んだ。
「大した事言えなそうだから、演出だけはこだわれって説得するの大変だったんだぜ?」
「お前がアドバイスしたのか、ホルマジオ…」
じとっとした視線をジェラートとイルーゾォから向けられて、ホルマジオは慌てて笑って誤魔化す。
「プロシュートと二人でな…。」
ホルマジオは頬をかいて、リゾットが「名前と結婚する」と言い出した日の事を思い出した。
名前が熱を出して寝込んだ日の事だった。
『名前は?』
ホルマジオの言葉に、食事を終えて食器を持ってきたリゾットは首を振った。
元来白い肌が、いつもより一層白く見える。
『……オレが気づかなかったからだな』
ポツリと呟いたリゾットに、ホルマジオは眉を寄せた。
交わっていたと思っていた視線は瞬きと同時に逸らされ、赤い瞳は頼りなくゆらゆらと揺らめく。
『おい、あんま思い詰めるな』
『何かあったはずだろ…名前が苦しまなくて済む方法が…何か……』
ホルマジオの声など聞こえてないようすで、リゾットは宙を凝視して眉を寄せる。
『おい…』
ポンと肩を叩かれ、リゾットはホルマジオを振り返る。
『どうしてオレは何も出来ないんだ?』
ホルマジオはギョッと目を見張った。
リゾットは今にも泣き出しそうで、しかもその目の下には酷い隈が出来ている。
『リゾット、まさか寝てないのか!?』
ホルマジオの記憶では、リゾットは前日もほとんど寝ていない。遅くまで仕事をしていたはずだ。
まぁ、仕事が長引いた理由は名前とメローネの部屋に引き込もっていたせいだったが。
幸福だっただけに、今を受け入れ難いと言うことだろうか。
『オレが見ててやろうか?アンタちょっと寝ろよ』
『いい…せめて近くに居たい』
『アンタが本当に名前に惚れてるのは分かったから。いいからちょっと寝ろ』
皿を奪って近くのテーブルに置き、渋るリゾットの背を押して部屋に押し込んだ。
名前の体力が落ちてきたのか、昨日より部屋の外へ押し出すような圧力が弱い。
比較的すんなり部屋に入り、名前を寝かせたベッドの脇に立った。
『ほら、名前の隣で寝りゃ問題ねーだろ?』
全く。子どもの世話を焼いてる気分になってくる。
しばらく渋ったリゾットも、名前の隣でウトウト微睡み始める。
『ったく。お前らさっさと結婚すりゃいいんじゃねぇか?』
リゾットがずっと座っていたであろう、ベッド脇の椅子に腰かけたホルマジオは名前に寄り添うように横になったリゾットを見ながらため息をついてそう溢した。
何となくの思いつきを呟いたホルマジオを、リゾットは呆けた顔で見て上げる。
『何だよ…』
『いや…』
『まさかとは思うが、思いつきもしなかったとか?』
確かめるホルマジオに、リゾットはフイと顔を背けた。
(マジかよ…)
あれだけ名前にこだわって、メンバーの目を盗んで名前といちゃいちゃしておきながら、決定打になる選択肢をもっていないなんてどうかしている。
『じゃあ名前が目ぇ覚ましたら言ってみろよ。絶対喜ぶぜ?』
名前が赤い顔で喜ぶ様が目に浮かぶようだ。
熱で苦し気に顔を歪め、意識の戻らない名前の頬をつついた。
『起きりゃスゲー事になるぜ、名前』
『おい、勝手な事を言うな』
『じゃあ名前とは結婚しねぇのか?』
『それは…』
どうせすぐにプロポーズするのだ、この男は。
名前の手で感情を取り戻し、あっという間に彼女を生活の中心にしてしまった。
名前以外に見向きもせず、一挙一動一投足に翻弄され、動揺し、精神をすり減らす。
それでも幸福そうに微笑み、最も縁遠かった幸せの中に居るのだ。手放す必要も、意味もない。
『名前と結婚…』
確かめるように呟き、リゾットは眠る名前を見た。
どんな顔をするだろうか。考えるだけで少し楽しい。
『したい』
『分かった分かった。じゃあ早く寝ろよ。アンタのノロケ顔を見るためにここにいるわけじゃねーんだからな』
暗殺チームのリーダーのノロケ話なんて、出来るならご遠慮願いたいところだ。それでなくとも、こっ恥ずかしくなるほど名前にべったりなリゾットを視界に入れなくてはならないのに。
熱と悪夢にうなされる名前の隣で、リゾットはようやく少し眠った。
邪魔していたのがホルマジオ自身だった気もするが、そこはまぁ良いことにした。
「ホルマジオ?」
ジッと名前を見つめたまま思考に耽っていたホルマジオを、名前が不思議そうに覗き込む。
ハッと我にかえったホルマジオは、顔色もすっかり良くなった名前を見て胸を撫で下ろした。
「お前が目を覚ました後だがよぉ…」
ククッと笑うホルマジオを、名前達は期待を込めた眼差しで見る。
「リゾットが『結婚するにはどうすればいい?』とか言い出して大変だったんだぜ?ムードも何も考えてねーし」
「確かにそんな感じだな。アイツにそんな考えが浮かぶわけねーと思ったぜ」
爆笑するホルマジオに、ジェラートとソルベも同意して笑いだす。
「プロシュートと二人で、『ムードを考えろ』とか『言葉を選べ』だとか色々説得するのが大変でよぉ」
その時の事を思い出したのか、ホルマジオは一頻り笑ってため息をついた。
よほど大変だったらしい。
「おまけに言い出したら聞かない頑固者だろ?」
「悪かったな」
ホルマジオの背後から聞こえた一言に、一瞬にして部屋の空気が固まった。
ホルマジオは笑顔をひきつらせ、イルーゾォやソルベとジェラートも目を反らすので精一杯だ。
「リゾット!!」
パッと名前が駆け寄らなければ、部屋の空気はしばらく凍りついたままだったに違いない。
「もう終わったの?」
「あぁ、大方終わった。荷物は纏まったか?」
「うん、大体ね。ホルマジオが手伝ってくれたの」
「そうか、悪かったなホルマジオ。助かった」
渡りに船とは名前の事だ。
ホルマジオはホッと息をついてリゾットを振り返った。
「いや…オレこそ悪かった」
「さほど気にしてないさ」
さほどと言うことは、少しは気にしているのだろう。口調は柔らかいが、向けられた視線は冷ややかだ。
「じゃ、頼まれた事も終わったし…飯まで自分の部屋でも片付けるかなー」
嘘だ。
部屋を片付けるつもりなんかこれっぽっちもないが、今はこの居心地の悪い空間を抜け出すのが最優先だ。
そそくさと部屋を出るホルマジオに、イルーゾォ達も続く。
「ホルマジオ、ありがとうね」
名前に見送られて部屋を出た四人は、リゾットに聞こえないよう小さな声で「やれやれ」と呟いた。