名前はまだ明るい街の影を縫うように歩いていた。
人目を盗みながら自分よりずっと大きな身体の人間を運ぶのは、名前には骨が折れた。


「もう良いだろ!頼むからもう止めろ…」

「嫌」


何度この会話をしただろう。
何度も血に染まってうっすら黄みがかったスカートから伸びる脚は、疲労で震えていた。



ホルマジオとイルーゾォの遺体を回収した後くらいから、名前は眠れなくなった。
何度もウトウトと微睡んでは、飛び起きてメンバーをスタンドで探り安否を確かめる。
あまりにも痛々しいその光景に、魂のみの存在となったメンバーは眉を寄せて目を固く閉じた。
乞うように「もう止めろ」と言っても頑なに拒む名前を、ただ見ている事しか出来ないのだ。


「行かなきゃ…」

誰かに動きがあればふらふらと立ち上がり、名前はバックを持って廃屋を後にする。
誰かに見つかってしまわぬように窓を塞ぎ、出入口になりそうな箇所全てをリレガーレで塞いだ。

車を盗む事もあった。


「オレ達にそんな価値はない」

プロシュートがそう言い切った時だって、名前の表情は何も変わらなかった。
いつも朗らかに笑う名前は見る影もなく弱り、双眸に深い闇と絶望を湛えてプロシュートを振り返る。

「いいの。関係ないし……私が一緒に居たいだけだから」

一緒に居たところで、自分たちはもう死んだのだ。
苦しみ、傷つく名前に何も出来ず、流れる涙も拭えない。
痩せていく名前が倒れやしないか心配しても、その想いを届ける事も出来ない。

だからこそ、メローネが生き延びる事が出来た時の彼らの喜びは並々ならぬものでもあった。



「歌を唄ってやろうか?」

ろくに眠る事も出来ずにぼんやりと横になる名前にジェラートが提案すると、弱々しい視線が向けた名前は渇いた唇に薄い笑みを浮かべる。

「ベネ」

…と、名前はその会話を以前にも誰かとした気がして目を瞬かせた。
そう言えばホルマジオがナランチャにやられる前にも、同じように自分の記憶に違和感を感じた…。

重い身体をゆっくり起こし、メローネを寝かせたソファーに背中を預けた名前は不安に駆られて無意識に手首を抱き締める。

「名前、手が痛ぇのか?」

ペッシに心配そうに覗き込まれ、名前は自分の無意識の行動に首を傾げた。


「何してるんだろ…」

手首が痛いわけではない。
それなのに自分は何もついていない腕を抱き締めた。



ーおかしい。

一度そう思うと、なにもかもに違和感を感じる。
本当は手首に大切な物を着けていた気がする。
バックにだって、何か着けていたような…。


「名前?」

「ねぇ、私何かおかしくない?」

名前は覗き込むホルマジオを見上げて訪ね、おもむろにバックの中身を引っ掻き回す。

何か…何か忘れてる。
命よりも大切だとさえ言える何かが、すっぽり抜け落ちているような空虚感。


「リゾット…」

逢いたい。
抱き締めて欲しい。
今すぐ触れて、キスをしたい。
ぼろぼろと堰を切ったように溢れる涙が視界を滲ませる。


「名前」

「!!!!」

不意に聞こえた声に立ち上がり、名前は勢い良く廃屋を飛び出した。
熱にうなされるメローネが慌てて呼び止める声にも振り向かず、名前は一心不乱に路地を走った。
身体は衰弱し、心もボロボロだったはずなのに、ただ一声かけられただけでもうそれ以外考えられなかった。

「リゾットが呼んでる」

リレガーレされたソルベ達は、ひた走る名前の発言に顔をしかめた。

「何だって?」

「声が聞こえたの!!」

そんなはずはない。
しかし、名前の奇行も不思議ではない。
連日連夜スタンドを使い、仲間の死を確認し続けているのだ。
とうとうおかしくなった。
誰もがそう思った。


「助けたの。ジョルノに力を借りて…皆を助けたんだよ!!帰らないと…
みんなの所に……リゾットの所に帰りたい!!」




















名前が寝込んで、丸二日が経過しようとしていた。
相変わらずの高熱が続き、医者にかかっても大した変化はない。


「眠り姫はまだ目を覚まさないのか?」

プロシュートの茶化すような発言にも、彼なりの気づかいが含まれている事をリゾットは知っている。

「ずいぶん落ち着いたんだが…」

近づく事が楽に出来るくらいには落ち着いた。
だがそれが、落ち着いたのか弱っているのかは分からない。
額に乗せたタオルを氷水で冷やし、再び名前の額に乗せる。
もう手馴れたものだった。

「さっきイルーゾォも見に来てたんだ…」

「そうか…ま、家臣は姫の様子が心配でしょうがねーんだよ」

「なんだそれ」

フンと笑うプロシュートに笑って応えると、「ようやく笑ったか」とため息をつかれた。

「姫が目覚めた時にあんまり情けない面してたらカッコ悪りぃぞ」

「…そうだな」

「……飯はどうする?ホルマジオに、出来たから呼んでこいって言われて来たんだが」

「…ここで食べる」

「じゃあ取ってくる」

踵を返して出て行ったプロシュートは、直ぐに夕食を持って戻ってきた。

「オレもここで食う事にした」
「皆で食べようぜー」

ただし、全員を引き連れて。


「しょうがねーなぁ。メローネ、騒ぐなよ」

「オレだけかよ」

ガタガタとテーブルやソファーを動かすメンバーに、ホルマジオは肩を竦めた。止める気があったのかどうかは分からない。


「賑やかにしてりゃ、目も覚めるだろ」

まるで天岩戸の話と同じ発想だ。
得意気に笑うイルーゾォを押し退けて、メローネが名前を覗き込む。

「寝顔もベリッシモ可愛いけど、ノーリアクションってつまんねー」

「お前が近寄ったら悪い菌が付きそうだ。離れろメローネ!!」

メローネを引き離したギアッチョは、いつものようには怒鳴らずにドカッと椅子に腰かけた。
彼もそれなりに気を使って居るらしい。


「腹減らねーのかな…」

しょんぼり肩を落とすペッシは「起きたら食べれるように」とドルチェを買い込んでいたし、ソルベとジェラートに至っては食事以外の時間をずっとリゾットのソファーを占領して過ごしていた。

「お前は人気者だな」


汗の滲んだ熱っぽい頬を、リゾットは指でくすぐった。

「早く起きろ…」


話したい事が山ほどある。

名前が寝込んだのを知って、ブチャラティチームも落ち着きがないらしい。
ナランチャは「名前は?」と数時間毎に聞いてくるし、フーゴとアバッキオはそれに答えるブチャラティの言葉に耳を澄ませていて、「まだだ」と答えると、三人が肩を落とすんだとブチャラティが苦笑いしていた。
そんなブチャラティ自身も、二日間で十回も電話してきた。
ジョルノだって、忙しい身にも関わらずわざわざ訪ねてきた。


「皆、お前が起きるのを待ってるんだ。名前」


フニフニと頬をくすぐり、プロシュートに呼ばれて立ち上がろうとした瞬間…。

「……泣いてるのか?」

今まで何の反応も見せなかった名前が、ポタリと涙を溢していた。

「名前?」

固まったリゾットに、他のメンバーもただ事ではないとベッドを囲む。


「名前、起きろ!!」

「お、おい!落ち着けジェラート」

「いや、呼んだら起きるんじゃねーか?
なぁ、名前。お前は強い女だしな」

ジェラートをたしなめようとしていたソルベも、プロシュートの言葉に「それなら」と名前を呼ぶ。
まるで悪夢にうなされるように涙を流す名前に、メンバーが代わる代わる呼び掛けた。

「名前、起きてくれよぉ」

「チョコラータのジェラート、買いに行くんだろぉ?なぁ名前」

「オレをお兄ちゃんって呼んでもいいぜ、名前」

「イルーゾォ、願望言えって言ったんじゃねーぞ」


笑いの起きる中、ドアがノックされた。
騒いでいてチャイムが聞こえなかったらしい。
ブチャラティが顔を出し、ナランチャとフーゴとアバッキオが入って来た。

「どうしても気になったから、見舞いに来たんだが」

「グラッツェ」

見舞いの品だと差し出されたのは、名前お気に入りのジェラートだった。
実は既に冷凍庫いっぱいに入っていたが、ありがたく受け取らせて貰った。

「皆で何やってんの?」

ナランチャが不思議そうに首を傾げるのも無理はない。
何せ、大の男九人がベッドを囲んで立っているのだから。


「呼んでんだよ。目ぇ覚ますかと思ってよぉ」

笑うホルマジオに、アバッキオとフーゴは眉を寄せた。

「あぁ?呼んだら起きるかもって…それくれぇで起きるなら、二日間も寝込まねぇだろ」

「アバッキオそう言うな、試してみるのもありだろ。なぁ、名前」

ブチャラティはそっと名前の名を口にする。
ナランチャは喜んでそれに続き、フーゴも少し戸惑いつつも名前を呼ぶ。


「チッ…。早く起きろ、名前」
「なんだよぉ、オレらの姫を嫌々呼ぶなよな。名前も嫌だよなー!」

「メローネ、名前に乗るな!!テメェ自分の体格知ってんのか!?」

「セクシー?」

「それは体格じゃねーっ!!」


ワイワイといつもの喧騒に、リゾットは薄く笑みを浮かべた。
敵だった奴らと、まさかこんな風に過ごす日がくるとは思わなかった。
それもこれも、全て名前が作り上げた穏やかな日常。
苦しい日々もあった。
悲しい事もたくさんあった。
だが、後悔はない。
ただ光に満ちたこの日常に、お前と居れれば良い。
闇に生きる人間の、闇なりの光の中でお前と。


「名前」

リゾットがポツリと呟いたその時だった。
自分達がリレガーレされた時と同じように、何かに吸い寄せられるような感覚に襲われた。
ポゥと小さく光る名前に、魂だけ引き寄せられるような感覚。
クッと苦し気に顔を歪めるメンバーに、メローネとフーゴはどうした事かと狼狽えた。


「っ…名前」

リゾットは名前の手を握った。
何故かは分からないが、名前が目覚めるなら今しかないと感じた。

「名前」


名前の閉じられた瞼がピクリと痙攣する。

「名前、起きろ!!」

「名前!」




「……ぅ…」

丸二日間だ。
丸二日間、その瞳がリゾットを映すことはなかった。
その瞳に、ようやくリゾットが写し出された。

よく眠った朝のように名前はゆっくり目を開けて、パチパチと瞬いた後に自分を覗き込む男達を順に映した。


「………みんな…何してるの?」
「名前!!」

みんなで集まって、楽しそうに見えた。
それをズルいと言う間もなく、名前はリゾットの腕の中に閉じ込められていた。

(良かった…リゾット生きてる)

夢と現がごちゃ混ぜになっていても、今温かく感じられる体温は何物にも代えがたい真実だ。


「リゾット…苦しい」

力加減なく抱き締められ、上向き加減な首が疲れてきた。
それでもリゾットは名前を解放するどころか、ますます抱き締める腕に力を込めた。


「もう目覚めないかと思ったぞ…」

ポツリと呟かれた掠れた声に、名前はドキッと身体を強張らせた。
力の込められた腕が、微かに震えていた。

「お前を失うかと…」

「リゾット…」


泣いてる。
気づいた時にはポタリと滴が肩を濡らした。

「心配かけてごめんなさい…」

「……全くだ。毎回毎回…反省してくれ」


ようやく解放された名前に、涙を湛えたリゾットがフッと笑う。

(あぁ、帰って来たんだ…)

最も大切な場所へ戻って来れた。


「名前」

呼ばれた方へ視線を向けると、ホルマジオが笑っていた。

「おかえり、名前」

「おかえりなさい」

「よく戻ったな!!」


それはまるで長い旅から帰って来たように…過酷な環境から生還したように、とても温かい歓迎の言葉だった。
胸を満たす温かい感情に、名前の目にも涙が溢れて頬を濡らした。


「ただいま!!」


見失いかけた現実に、名前はようやく帰って来た。
その日の騒ぎは、空が白むまで続いた。


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