名前はいつもより温かいベッドで目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む光に目を細め、いつも自分より先に起きているリゾットの胸に擦り寄る。
ー珍しい事もあるものだ。
起き抜けの働かない頭でそんな事を考え、リゾットを伺う。
規則正しい寝息を立てるリゾットの頬に、そっと指で触れた。
ピクッと反応はするものの、起きる様子はない。
長い睫毛とサラサラの髪を順になぞって、名前はそっとリゾットの唇に触れた。
(柔らかい…)
今起きられたら恥ずかしい。
そう思いながらも、名前はもぞもぞと体を動かしてそっとリゾットにキスをする。
昨日、リゾットが他の女にキスされるのを見て、生まれて初めて嫉妬に狂いそうになった。
リゾットは「オレは嫉妬深い」と宣言したが、嫉妬深いのはリゾットだけではない。
ゆっくりと重ねた唇を離して、名前はホゥと甘い息をついた。
(誰にも盗られたくない)
今なら、リゾットがキスマークをつける理由が分かる気がする。
独占したい。
自分の彼だと主張したい。
(多分、主張は恥ずかしくて出来ないけど)
「あまり朝から煽ってくれるな」
突然ガバッと抱き締められて、視界が反転した。
ベッドに押さえつけるようにリゾットの腕が名前を閉じ込め、チュッチュッとキスの雨が降る。
「起きてたの!?」
「ボンジョルノ、名前」
答えるつもりはないらしいが、よく考えればリゾットが顔に触れられても起きないなんてあり得ない。
「寝たふりなんてズルい」
「前に名前がテレビを見てうっとりしていたのを思い出したんだが…確かに良いものだな」
何が良いものなのか分からない。
それに、ここ数日テレビを見る余裕はなかったのに。
「テレビ?………どんな?」
「再現してやろうか?」
「…いい」
どうせ砂糖がけのハニートーストのように、バカみたいに甘ったるいシーンに決まってる。
自分が好んで見るドラマが、そんなラブシーンだと言うことも重々承知している。
頬を染めて目を反らす名前に、リゾットは笑ってキスをした。
「何か飲むか?」
「カプチーノが良い」
「……食べに出るか」
ベッドで過ごすのも良いと思ったんだが…とリゾットが呟き、名前は慌ててベッドを抜け出した。
それでなくとも、今日は身体がダルい。
昨夜の情事を思い出し、跳ねる心臓を隠すようにリゾットに背を向けた。
「名前、シャワー浴びるのか?」
浴室に向かう名前に、リゾットが声をかける。
手に持ったタオルや着替えを指差すリゾットに気づいた名前は、首を横に振った。
「違うよ、お湯で顔洗いたくて」
「そうか」
「シャワーなら一緒に浴びようかと思ったんだが」と言う声は聞こえないふりをした。
これから毎日シャワーの度に「一緒に」と言われるのかと思うと、なんだか恥ずかしくて気が重い。
名前はため息をついて温かいお湯で顔を洗い、ふかふかのタオルで顔を拭きながら鏡を覗き込んだ。
とても"気が重い"と思っているようには見えない幸せそうな自分に、思わず口元が緩む。
「お待たせ」
「行くか」
名前が身支度を整えてバスルームから出ると、既にリゾットは支度を終えていた。
リゾットに手を引かれて外に出ると、ヴェネチアの街はまだカーニバルの盛り上がりを見せ、観光客と仮装をした人々で溢れていた。
「バールで良いか?」
「うん」
どこもかしこも人で溢れかえり、物珍しさにキョロキョロする名前の肩をリゾットがしっかり抱いて歩く。
手近なバールの窓際を陣取って、オムレツを注文した名前はキラキラした目で道行く仮装した人々を見つめていた。
「リゾット、そう言えば昨日してた仮面どうしたの?」
「ん?…そう言えばどうしたかな」
目を輝かせる名前の質問に、リゾットは曖昧に答えた。
投げ捨てたとは言い辛い。
「とりあえず服を買いたい」
「あぁ、近くに良さそうな店があったような気がする。食い終わったら行ってみるか」
宿泊予定のなかった二人は着替えを持っていなかった。
さすがに「仕事」をした後の服でデートをする気にはなれない。
「で」
「で…?」
「仮装してみたい」
「そうくると思った」
ウフフと笑う名前に、リゾットは目を細めた。
名前は何にでも興味を持って、何でもやりたがる。好奇心旺盛で、新しい知識に貪欲だ。
元来のリゾットは積極的ではなかったが、名前に付き合って色々な事をした気がする。
「ご馳走様でした」
「ご馳走様」
両親がしていたと言う「日本の食後にする挨拶」とやらを、リゾットも真似てしてみる。
それを見た名前が嬉しそうに笑い、リゾットはこれからの新習慣にする事を決めた。
バールを出た二人は人混みに紛れながら新しい服に着替え、名前の要望通りカーニバルの衣装を見て回る。
「カッコいい」
「ほとんど誰だか分からないだろ」
その為の仮装なのだから、当然と言えば当然だ。
名前はそれでも「リゾットが一番カッコいい」と褒め称える。
他でもなく名前に褒められるのに、悪い気がするわけがない。
リゾットが気恥ずかしさで口をつぐむと、その様子を見ていた店員が「仲がとても良いんですね」と笑った。
「他にも見て回りたい。
ドルチェも食べたいし、お土産も買って帰りたい!!」
今度は名前が手を引き、二人はヴェネチアを歩き回った。
途中、昨日のゴンドリエーレを見つけて、改めて謝罪すると恰幅の良いその男は豪快に笑って手を振った。
「あんな熱烈なキスする兄ちゃんには見えなかったが、アンタなかなかやるじゃねぇか!
良いもん見せてもらったんだ、気にするな」
これには参った。
真っ赤になる名前の隣で、リゾットも返事に困って苦笑いを浮かべる。
それを見たゴンドリエーレがまた笑ったのは、語るに落ちる。
再び歩き出した二人は、ゴンドリエーレに教えて貰った店でジェラートを買って路地の階段に腰かけた。
「リゾット、それ美味しい?」
「食ってみるか?」
「いいの!?」と目を輝かす名前に、リゾットが笑ってスプーンに掬ったリモーネ(レモン)のジェラートを差し出す。
名前が「じゃあ交換ね」と差し出した、チョコラータのジェラートはとても甘い。
どこにでもある、普通のデートな雰囲気がくすぐったかった。
「名前、…自分には何か買ったのか?」
そろそろ帰ろうかと言う時になって、リゾットは抱えた荷物を受け取りながら名前が自分の物を買っていなかった事に気づいた。
「あ、忘れてた」
しかし、汽車は後少しで出発していまう。
もっと早く気づけば良かったと舌打ちするリゾットに、名前は笑って続ける。
「楽しかったし、別に自分のは良いよ」
名前はいつもそうやって自分を後回しにする癖がある。
リゾットは名前に座るように言って隣に荷物を置くと、「絶対に座って待ってろ」と言って列車を飛び降りた。
「え、リゾット!!」
「間に合うように戻る」
残された名前は二人分の切符を買って、言い付け通りに座り込んだ。
出発まで後二十分だった。
「お飲み物はいかがですか?」
「あ…いや、結構です」
不安になる名前は、駅の時計をじっと睨み付けていた。
分刻みで時計を見つめ、不安はどんどん募っていく
出発まで後五分。
「どこに行ったんだろ…」
「絶対に」とまで釘を刺された名前は、リゾットを見つけようと駅のホームを窓からジッと見つめていた。
ージリリリリリ…
列車の出発を告げるベルがけたたましく響き、慌てた名前は荷物を抱えて席から立ち上がった。
「どうしよう」
小さく揺れた車体は動きだし、今さら名前一人が騒いだところで降ろしてくれるはずもない。
こんなことなら、嘘でも「買った」と言えば良かった。
「なんだ、座ってろって言っただろ」
「リゾット!!」
「おっ…と」
荷物を座席に投げて飛びつく名前を受け止めたリゾットは、素早く座って名前を膝に抱いた。
名前の声に「何事か」と固まっていた車内の空気も、直ぐに元の賑やかしさを取り戻す。
「間に合わなかったかと思った」
「ギリギリだったけどな」
不安にさせてすまないと謝るリゾットに、名前は首を振って笑う。
「言いつけ守れなくてごめんなさい」
"言いつけ"なんてものは親が子どもにするもので、恋人にするようなものではない。
リゾットは目を細めて、改めて名前が育った複雑な環境を思い出していた。
他のメンバーが「女の買い物につきあうと、給料がいくらあっても足りない」と話しているのを何度も見たのに、名前と買い物をしてもリゾットの財布が痛む事はほとんどない。
バールやリストランテに立ち寄った時に払う程度だ。
それすらも、名前に押し切られて少し貰う事もある。
「お前はもう少し欲しがればいいんだ」
「ん?」
「何でもない」
こめかみにキスをされながら、落ち着きを取り戻した名前は荷物を避けてリゾットの隣に座り直した。
「名前」
「ほら」と差し出された小さな包みを受け取り、名前は目を丸くしてリゾットを伺う。
「オレにセンスを期待するなよ」
プレゼントを人に貰い馴れていない名前は、緊張の面持ちでそれを受け取った。
赤いリボンをほどいて、微かに震える手で包みを開く。
「わぁ…」
箱の中にはカーニバルの仮面をしたネコのストラップと、ガラス細工の飾りがついたブレスレットが行儀よく揃えて入れてある。
「可愛い!!」
「お前にやる」
「両方?」
「当たり前だろ」
クリッと丸い目で覗き込む名前は、頷くリゾットに頬を染めて口を引き結んだ。
しばらくジッと箱の中身を見つめて、ブレスレットを手にとる。
「……つけても良い?」
プレゼントしたのだから確認なんて要らないのに、名前は不安げにリゾットを伺う。
「あぁ、着けてやる」
名前の白い手首に、小さな飾りのついたブレスレット。
リゾットが金具を留めると、名前はブレスレットの着いた手とネコのストラップをギュッと抱き締めて笑った。
「グラッツェ」
そんなに喜んで貰えるとは思わなかった。
今にも嬉し泣きそうな名前の頬にキスをして、リゾットは降って湧いた今回の小旅行のチャンスをくれたジョルノに感謝した。