「た……ただいま」

ソルベとジェラートに半ば引きずられるように帰ってきた名前は、リゾットを見つけて気まずそうに目を反らす。

「あぁ、おかえり」

リゾットの素っ気ない様子に、誰より居づらさを感じたのはソルベとジェラートだ。
リゾットが部屋に入ったのを見届けてこっそりと「何かあったのか?」と聞こうにも、名前はリゾットの反応に今にも泣き出しそうになっていて聞けない。

その後も、初めてリゾットと名前が食卓を離れて囲んで、メンバー全員が息の詰まるような空気の中で食事をするはめになった。



「名前」

下げた食器を洗っていた名前は、メローネに呼ばれて顔を上げた。

「メローネ」

「まーた泣きそうな顔しやがって。ボスからOK貰ったんだろ?」

「…でも、リゾットが……」


込み上げるおうえつに喉を詰まらせる名前の背中を、メローネが諭すように撫でる。

「絶対大丈夫。大丈夫だよ名前」


グイっと涙を拭った名前は、口を引き結んで頷いた。

「いい子だ」

「ベイビーフェイスに言うみたいに言わないでよ」

「似たようなもんだろ」


失礼極まりない。
それでも、少しは元気も出た。
食器を片付け、名前は初めて一人分のカプチーノを淹れて飲んだ。
いつも少なくとも二人分淹れる癖で水の分量を間違え、薄いカプチーノになってしまった。


部屋に戻っても気まずい雰囲気は尾を引いて、二人は殆ど口を開かない。


「名前、先にシャワー使え」とリゾットに言われた名前が、「分かった」と答えたきりだ。
挨拶をすれば返してくれるし、話しかければ答えも返ってくる。
それでも、たったそれだけ。


(やっぱり仕事の打ち合わせ覗いたと思われてるよね。リゾット、怒ってるんだ…)

何を言っても言い訳にしかならず、あの部屋を覗いた事実が消えるわけではない。
名前はササッとシャワーを済ませて、リゾットに声をかけた。


「出たよ」

「あぁ」

パラパラと本を捲る手を止めて、入れ代わりでシャワーを浴びる為に立ち上がったリゾットは、そのまま立ち尽くす名前に首を傾げた。


「……どうした?」

うつ向いたまま答えない名前に、リゾットの手が遠慮がちに触れる。


「一緒に寝るか?」

弾かれたようにパッと顔を上げた名前は、けれど直ぐに再びうつ向いて首を振った。
遠慮がちに、腫れ物に触れるようなリゾットが辛かった。


「……そうか。ヴォナノッテ(おやすみ)」

「ヴォナノッテ…」


そっと触れていた手が離れ、リゾットの微かな体温が消える。

「リゾット」

「………どうかしたか?」


冷たい視線に怖じ気づきそうになる。

「今日…覗いたりして、ごめんなさい」

「あぁ、気にするな。もう打ち合わせは済んだ後だったしな」


「じゃあ何をしてたの?」そんな言葉を言っても良いのだろうか。
名前は飛び出しかけた言葉を飲み込んで、もう一度「おやすみ」と告げた。

一人で眠るのは、こんなに不安だっただろうか。
セミダブルの狭いベッドが、今日は異常に広く感じられる。

(寒い…)


隣に無い体温を探しながら、不安になる心に「大丈夫」と何度も繰り返し言い聞かせた。
何度も目を覚ましながらようやくついた眠りの淵で見た夢の中のリゾットは、いつものように優しく名前を呼んで髪を撫でる。

「リゾット……?」


いつも名前が目を覚ますと、必ずリゾットはそこに居るのに部屋の中はがらんとしていた。

ソファー脇のローテーブルには今日付けの新聞紙が置いてあり、リゾットが今日もあの店に新聞を買いに行った事が分かる。

一緒に行く約束は果たせなかった。


ソファーに座ってぼんやりとしていた名前の目に、ふと白い紙切れが止まる。
何の気なしに手にとって裏返すと、リゾットの文字が並んでいた。



ー名前へ。
仕事に行ってくる。


リゾットが書いた、名前宛の初めての手紙。
手紙と呼ぶには余りにも短く、余りにも飾り気がない。
それでも、名前にはこれ以上嬉しいものはなかった。
何度も読んで不器用な固い文字にキスをして、大切にポケットにしまい込んだ。


「ボンジョルノ、リゾットは?」

「もう行ったよ」


何度説明したかも分からない言葉を最後に起きてきたイルーゾォにも告げて、名前は朝食をのせた皿を手渡した。

「今日は私も早いから、もう行くね」

「そうなのか?一人?」


「いや、今日は…「名前、ボスが迎えに来たぜ」


説明するより早くジョルノの到着が告げられ、名前は慌てて上着を羽織る。
「いってらっしゃい」と笑うイルーゾォにハグをして、名前はジョルノの所へ急いだ。


「ボンジョルノ」

「ボンジョルノ、名前」

いつ見ても優雅さと美しさを兼ね備えた風貌のジョルノは、今日も名前にやんわり微笑む。
ボスの座に着いて貫禄も加わり、ますます高貴な雰囲気になった気がする。


「ボンジョルノ、ブチャラティ」

「あぁ、ボンジョルノ」


運転するブチャラティにも挨拶をした名前は、ジョルノの隣に腰かけた。

「リゾットはもう行きましたか?」

「あ、うん」


ポケットに入れた手紙にそっと触れて、名前は頷く。

「あの、無理言ってごめんなさい」

「いいですよ。ボクも、貴女の能力を見込んで頼みたい事がありました」


能力とは、スワローの事だろうか。
意図が読めずに首を傾げた名前に、ジョルノは意味深な笑みを返した。


「昨日はあまり眠れなかったんですか?」

「え?」

「クマになってます」


ジョルノの指がスッと目の下をなぞる。

(リゾットの手と似てる…)

少し温度が低い指はポンポンと頭を撫で、ジョルノは「寝てて良いですよ」と笑った。
心地よい車の揺れに、名前はゆっくりと目を閉じた。









「着きましたよ」

名前が目を覚ますと、そこには別世界のような景色が広がっていた。
楽しげに話をする人達は皆テレビで見たお姫様や王子様のように着飾り、きらびやかで眩しい。

「あんまり気持ち良さそうに寝てたので、運んで貰いましたよ」

状況を理解出来ずに固まった名前に、ジョルノはクスクスと笑って一枚の紙を差し出した。

「仕事です」

その言葉に、名前は身の引き締まる思いで頷いた。

「先ずは着替えて下さい。部屋はあちらです」

「へ?」

「手伝って貰えますから、問題はありません」


頼むから、説明するなら分かるようにお願いしたい。
困惑する名前をよそにジョルノはブチャラティと難しい顔をして話を始めてしまい、名前は仕方なく指示された部屋にノックして入る。



同じ頃、リゾットはヴェネチアのカーニバルに来ていた。
人々に紛れるように仮装し、ジョルノに指示された通りにターゲットを始末する為に。

(暗殺は久しぶりだ…)


こんな仕事すら久しぶりだ。
リゾットのチームは、ジョルノのゴールドエクスペリエンスのお陰で生きている人間ばかりだ。
その事は、ジョルノがリゾットチームを信用する何よりの理由になった。
そのお陰で、組織の底辺からいきなり組織のトップへ引き上げられた。

しかし、裏組織にとって暗殺は欠かせない。
その暗殺を請け負う事になったのが、今回リゾットのパートナーになった女、フレッドのチームだった。

「お手並み拝見させてもらうわ。元・暗殺チームリーダー」

クスクスと笑うフレッドに、リゾットは心の中で舌打ちした。
気に入らない。
馴れ馴れしい感じも、笑っているのに冷たい感じも。何もかもが名前と正反対。
仮装も気に入らない。

(名前…まだ怒ってるだろうか……)


フゥと一つ息を吐き、リゾットはターゲットの人物を見据えた。
その視線は氷のように冷たく、名前に会う以前の様に暗い闇を映す。








「無理です!!」

きっぱり言い切る名前に、部屋で待たされていた女はにこやかに歩み寄る。

「そんな姿では参加させられませんよ?」


ジョルノが準備していたのは、白を基調としたドレスだった。
細やかな刺繍とたっぷりのレースが贅沢にあしらわれ、ウェディングドレスさながらである。

なるほど確かに、さっきのフロアーに出るなら自然な衣装だ。


「派手過ぎます!!それに…私には似合わないですから!」

「おや、まだ着替えてなかったんですか?」

「ジョルノ!お願い、こんなの無理!!」


ドアを開けたジョルノは、すでにきっちりとしたスーツを身にまとっていた。
持ち前の綺麗な顔立ちがより引き立たされ、名前を追いかけ回していた女がホゥと見とれてため息を溢した。


「急遽用意させたんですが…あぁ、でも背中が結構開いてますね」

「そうだよ!」


「背中は痣になってました?」


名前が心配なのは痣ではない。

「仕方ない。じゃあこちらを着て下さい」

「……やっぱり派手…」


赤いドレスは確かに露出こそ少ないが、その高級感は先ほどのドレスとさほど変わらない。
ニッコリ笑うジョルノの、それ以上有無を言わさない空気に名前はゴクリと喉を鳴らした。


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